第74話 断る理由
翌日。
放課後。
剣道部の練習が終わると、女子マネージャーが縁之丞のもとへ歩いてきた。
「返事、聞いてもいい?」
縁之丞は静かに頷いた。
二人は昨日と同じ、道場の裏へ向かう。
夕日が静かに差し込む。
昨日と変わらない景色だった。
違うのは。
もう答えを決めていたことだけだった。
縁之丞は深く頭を下げる。
「ごめん」
女子マネージャーは少しだけ寂しそうに笑った。
「……好きな人がいるの?」
その問いに。
縁之丞は答えようとして、言葉が止まる。
好きな人。
その言葉を聞いた瞬間。
頭へ浮かんだのは、本子だった。
『おはよう』
朝、教室へ入ると、当たり前のように隣へ来て笑う本子。
帰り道。
二人で他愛もない話をしながら歩く時間。
『コンビニ寄ってこ!』
新作のお菓子を見つけて盛り上がった放課後。
『恋人ごっこ、やってみる?』
あの日から始まった、不思議な関係。
動物園ではしゃぐ横顔。
雨の日。
一つの傘へ肩を寄せて歩いた帰り道。
『だーれだ』
後ろから目を隠される、いつもの悪戯。
くだらないやり取り。
笑い合う時間。
何気ない毎日。
幼馴染だから当たり前だと思っていた景色。
その全部に。
本子がいた。
そして昨日。
『……好きにすれば』
少し怒ったような声。
少し寂しそうな横顔。
泣きそうなのに笑おうとしていた表情。
あの姿だけが、何度も頭の中で繰り返される。
(本子……)
自然と名前が浮かぶ。
昨日から。
気付けば、本子のことばかり考えていた。
怒らせた理由。
悲しそうだった理由。
最後まで、本子は何を思っていたのか。
そればかりが気になって仕方ない。
本子が笑うと安心する。
本子が怒ると気になる。
本子が元気がないと落ち着かない。
その笑顔を見たいと思う。
泣きそうな顔は、もう見たくないと思う。
でも。
これが恋なのか。
好きという気持ちなのか。
まだ、自分でも分からない。
だから。
この告白を受けることだけは違うと思った。
自分の気持ちも分からないまま。
誰かと付き合うことはできない。
縁之丞は静かに顔を上げた。
「……分からないんです」
女子マネージャーは首を傾げる。
「え?」
「好きな人がいるのかって聞かれても、自分でもまだ分からない」
一度だけ息を吸う。
「でも」
「今、誰かと付き合うことはできません」
女子マネージャーは少し目を丸くした。
そして、ふっと笑う。
「そっか」
短く息を吐く。
「ちゃんと考えて出した答えなんだね」
縁之丞は頷く。
「うん」
「ありがとう」
女子マネージャーは少しだけ目を潤ませながら笑った。
「ちゃんと答えてくれて、ありがとう」
そう言って頭を下げると、静かにその場を後にした。
縁之丞はその背中を見送る。
胸の奥に残るのは、後悔でも安堵でもない。
『……好きな人がいるの?』
その問いだけが、何度も頭の中で繰り返される。
答えようとするたびに。
浮かぶ顔は、一人だけだった。
夕焼けを見上げる。
胸の奥の小さなざわめきは。
昨日より、少しだけ大きくなっていた。




