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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第73話 好きにすれば

 本子は答えられなかった。


 断ってほしい。


 ただ、その一言だけなのに。


 どうしても口にできない。


 恋人ごっこ。


 最初から本物の恋人じゃない。


 終わりが来ることも約束された関係。


 許嫁ではある。


 でも。


 縁之丞の人生を決める権利なんて、自分にはない。


 だから。


 言えない。


 断って。


 その一言だけが、喉の奥で何度もつかえていた。


 女子マネージャーの顔が浮かぶ。


 剣道部の見学へ行った時、何度も見かけた。


 部員一人ひとりによく気が付き。


 飲み物やタオルを準備し。


 誰にでも明るく接する。


 部員たちからも慕われる人気者。


 縁之丞とも自然に笑い合える。


 きっと。


 私より恋人らしい。


 もし付き合えば。


 一緒に部活へ行って。


 一緒に帰って。


 休日も出掛けて。


 隣で笑って。


 そんな毎日になるのだろう。


 縁之丞は幸せになれる。


 そう思う。


 そう思うのに。


 胸が苦しかった。


 応援しなきゃ。


 幼馴染なんだから。


 何度も。


 何度も。


 そう言い聞かせる。


 それでも。


 心の奥では。


 断って。


 お願いだから断って。


 その願いだけが、どんどん大きくなっていた。



 隣を歩く縁之丞が、小さく呟く。


「まだ、どう返事するか決められなくてさ」


 本子の胸がざわつく。


「ちゃんと考えようとは思ってる」


 また。


 考える。


 また。


 返事を待たせる。


 その言葉が胸を刺した。


(まだ考えるの)


(まだ迷うの)


 少しでも。


 付き合いたいと思ったから?


 少しでも。


 可能性があるから?


 そんな考えが浮かぶたび、息が苦しくなる。


 分かっている。


 縁之丞は優しい。


 相手を傷つけたくないだけなのかもしれない。


 頭では分かっている。


 でも。


 心が追いつかない。


「本子ならどう思う?」


 その一言だった。


 張りつめていた何かが、ぷつりと切れた。


「……好きにすれば?」


 思わず口から出た。


 自分でも驚くくらい冷たい声だった。


 縁之丞が立ち止まる。


「本子?」


「好きにすればいいじゃん」


 止まらない。


「考えたいなら考えれば?」


「付き合いたいなら付き合えばいいでしょ」


 言葉とは裏腹に。


 胸の奥では、必死に叫んでいた。


(違う)


(付き合わないで)


(断って)


(私の隣にいて)


 全部飲み込む。


 全部隠す。


 だから。


 口から出るのは、逆の言葉ばかりだった。


 縁之丞は少し目を伏せる。


「……そうか」


 静かな返事だった。


(違う)


(そうじゃない)


(お願い)


(断るって言ってよ)


(その一言だけでいいから)


 心の中で叫ぶ。


 けれど。


 その願いが届くことはなかった。


 自分が「好きにすれば」と言ったのだから。


 その声を聞いた瞬間。


 本子の胸が強く痛んだ。


(違う)


(そんな意味じゃない)


(本当は違う)


 謝りたい。


 今すぐ訂正したい。


 でも。


 もう言葉は出てこなかった。


 二人の間に沈黙が流れる。


 夕焼けだけが、静かに二人を照らしていた。



 家へ帰る。


 「ただいま」


 返事をしてくれる母の声も、今日はどこか遠く聞こえた。


 「少し疲れたから部屋にいるね」


 そう言って、自室へ入る。


 鞄を床へ置く。


 制服も着替えないまま、ベッドへ腰を下ろした。


 静かになった部屋で。


 今日の出来事が何度も頭の中を巡る。


 ――好きにすれば。


 自分の声。


 ――そうか。


 縁之丞の返事。


 その二つだけが、何度も繰り返された。


 もし。


 本当に付き合ったら。


 女子マネージャーと並んで歩く縁之丞。


 一緒に笑う二人。


 休日に出掛ける二人。


 自分の知らない思い出が、少しずつ増えていく。


 そんな光景が頭に浮かぶ。


「……やだ」


 思わず漏れた小さな声。


 その瞬間。


 一筋の涙が頬を伝った。


「……あれ」


 慌てて拭う。


 でも。


 次の涙が零れる。


 また一粒。


 また一粒。


 止まらない。


「なんで……」


 分からない。


 幼馴染なんだから。


 応援しなきゃいけないのに。


 幸せになってほしいと、思っているはずなのに。


 どうして。


 こんなに苦しいの。


 どうして。


 こんなに泣いてしまうの。


 本子は顔を枕へ埋めた。


 声を殺して。


 誰にも聞こえないように。


 ただ静かに涙を流し続けた。


 胸の痛みの理由だけは。


 まだ、自分でも分からなかった。

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