第72話 相談
帰り道。
二人はいつものように並んで歩いていた。
夕焼けに染まる住宅街。
聞こえてくるのは、二人の足音だけだった。
いつもなら学校であったことを何となく話している。
けれど今日は、どちらも口数が少ない。
しばらく沈黙が続いたあと。
縁之丞が静かに口を開いた。
「俺、告白された」
本子の足が止まる。
「……え?」
聞き間違いかと思った。
けれど、縁之丞はそのまま続ける。
「剣道部のマネージャーに」
一瞬だけ、頭の中が真っ白になる。
胸がぎゅっと締め付けられた。
「……それ、私に言う?」
ようやく絞り出した声だった。
縁之丞は少し困ったように笑う。
「一応、許嫁だし」
「まだ正式な婚約でもないでしょ」
「でも、恋人ごっこもしてるし」
「だから、本子にも話しておこうと思って」
本子の心臓がどくんと鳴る。
(どうして)
(そんなことを私に言うの)
断って。
付き合わないで。
その言葉が喉まで込み上げる。
でも。
言えない。
恋人ごっこは、本物じゃない。
許嫁だからって、縁之丞を縛れるわけじゃない。
私に、そんなことを言う資格なんてない。
「……返事は?」
「まだしてない」
「少し考えさせてって言った」
本子は思わず立ち止まる。
「……少し考えさせて?」
「うん」
「何で?」
縁之丞は少し驚いたように本子を見る。
「え?」
「少しでも付き合いたいって思ったから?」
自分でも驚くくらい強い口調だった。
「違うよ」
縁之丞は首を横に振る。
「自分でも気持ちが分からなくて」
「だから」
「じゃあ断ればよかったじゃん」
言葉が止まらなかった。
「少し考えるってことは、迷ったってことでしょ?」
「違う」
「何が違うの?」
胸が苦しい。
苦しくて仕方ない。
頭では分かっている。
縁之丞は優しい。
相手を傷つけたくなかっただけかもしれない。
それでも。
“少し考える”
その一言だけが、頭の中で何度も繰り返される。
少しでも可能性がある。
そう思っただけで、息が苦しくなった。
「俺は」
縁之丞はゆっくり言葉を選ぶ。
「付き合いたいから返事を待ってもらったんじゃない」
「自分でも、どうして返事ができなかったのか分からないんだ」
「中途半端なまま返事をするのは失礼だと思った」
本子は何も言えなかった。
その説明は理解できる。
理解できるのに。
胸の痛みだけは消えてくれない。
「……知らない」
ぽつりと呟く。
縁之丞が心配そうに覗き込む。
「本子?」
「知らない」
首を振る。
「そんなの私に聞かれても知らない」
声が震える。
「付き合いたいなら付き合えばいいじゃん」
言った瞬間。
(違う)
胸の中で誰かが叫ぶ。
(そんなこと思ってない)
縁之丞は困ったように眉を下げた。
「怒ってる?」
「怒ってない」
反射的に答える。
でも。
自分でも分かる。
私は、明らかに怒っていた。
「じゃあ何でそんな言い方するんだ?」
「だから……」
拳をぎゅっと握る。
何で。
何でこんなにイライラするの。
何で胸が苦しいの。
何で涙が出そうなの。
何も分からない。
「……知らない!」
思わず声が大きくなる。
住宅街に、自分の声が響いた。
二人とも足を止める。
本子は口元を押さえた。
(何やってるの、私)
縁之丞は何も言わない。
ただ、心配そうに本子を見つめている。
その視線が、余計に苦しかった。
「……ごめん」
本子は俯く。
「怒るつもりじゃなかった」
「私も……」
声が震える。
「何でこんなにイライラしてるのか、自分でも分からない」
笑おうとした。
でも、笑えなかった。
縁之丞は少しだけ安心したように笑う。
「そっか」
「びっくりした」
「ごめん」
本子はもう一度だけ謝った。
夕焼けに伸びる二人の影は、いつもと同じように並んでいた。
けれど。
本子の心はもう、幼馴染だった頃には戻れなくなっていた。




