第66話 探してしまう
朝。
本子は、いつもの時間に教室へ入った。
「おはよう」
「おはよう、本子」
クラスメイトと軽く挨拶を交わし、そのまま自分の席へ向かう。
その途中だった。
本子の視線が、無意識に教室の中を動く。
窓際。
廊下側。
教室の後ろ。
けれど。
探していた姿は見つからない。
「……まだか」
思わず小さく呟く。
その瞬間、昨日の帰り際の会話を思い出した。
『明日は朝練がある』
県大会が近付き、剣道部の練習に参加すると言っていた。
「そうだった」
忘れていたわけではない。
ちゃんと覚えていた。
それなのに。
教室へ入った瞬間には、そのことより先に縁之丞を探していた。
◇
本子は席へ座り、教科書を机へ出す。
朝の教室は少しずつ賑やかになっていく。
廊下から足音が聞こえる。
教室の扉が開く。
本子は反射的に顔を上げた。
入ってきたのは別の男子生徒だった。
「……」
何事もなかったように教科書へ目を戻す。
しばらくして、また扉が開く。
今度は女子生徒が友人と話しながら入ってきた。
また違った。
「本子」
隣の席の女子生徒が不思議そうに声を掛ける。
「何?」
「さっきから扉ばっかり見てない?」
「見てないよ」
「見てるよ」
「人が入ってくるから」
「教室だからね」
「そうだね」
二人は顔を見合わせ、小さく笑う。
それ以上は何も聞かれなかった。
けれど。
本子自身は分かっていた。
誰かが教室へ入ってくるたびに。
縁之丞ではないかと確かめてしまっている。
◇
いつからだろう。
こんなことをするようになったのは。
以前なら。
縁之丞が先に来ていても。
まだ来ていなくても。
気になどならなかった。
どうせ、そのうち来る。
昼休みになれば話せる。
放課後になれば、一緒に帰る。
それが当たり前だったから。
姿を探す必要なんてなかった。
けれど最近は違う。
一緒に帰る時間が減り。
剣道部へ行く姿を見送る日が増えた。
だからだろうか。
少し会えないだけで。
姿を探してしまう。
◇
始業を知らせる予鈴が鳴る。
「間に合った」
聞き慣れた声が教室へ響いた。
本子は考えるより先に顔を上げる。
竹刀袋を肩へ掛けた縁之丞が教室へ入ってきた。
朝練を終えたばかりなのだろう。
前髪が少し乱れ、首元にはうっすら汗が残っている。
「おはよう」
縁之丞が本子の横を通りながら声を掛ける。
「おはよう」
本子も笑顔で返した。
たったそれだけ。
いつもと変わらない挨拶。
それなのに。
胸の中にあった落ち着かなさが、ふっと消えていく。
「何?」
席へ着いた縁之丞が首を傾げた。
「別に」
「そう?」
「うん」
本子は小さく笑う。
さっきまで探していた相手が、ちゃんと隣にいる。
それだけで安心している自分が、少しだけ不思議だった。
◇
昼休みも。
授業中も。
縁之丞はいつも通りだった。
友人と話し。
先生に当てられれば普通に答え。
何も変わらない。
変わったのは、自分の方なのだと本子は思う。
◇
放課後。
縁之丞は竹刀袋を肩へ担ぐ。
「じゃあ、行ってくる」
「うん」
「今日は少し遅くなると思う」
「分かった」
「先に帰ってて」
「また明日」
「ああ。また明日」
縁之丞は教室を出ていく。
本子は、その背中が見えなくなるまで見送っていた。
◇
一人で歩く帰り道。
夕日に照らされた道路は、いつもより広く感じる。
隣には誰もいない。
何気ない話をする相手もいない。
本子は小さく息を吐いた。
そして、一度だけ学校の方を振り返る。
今ごろ縁之丞は。
剣道場で竹刀を振っているのだろう。
「早く終わらないかな」
ぽつりと漏れた言葉に、自分で少し驚く。
教室へ入れば姿を探す。
廊下から声が聞こえれば振り返る。
帰り道では隣を見てしまう。
今日だけで、何度縁之丞を探しただろう。
以前は、こんなことはなかった。
それでも今は。
気付けば、いつも探してしまう。
本子は小さく笑うと、再び前を向いた。
夕暮れの帰り道を歩きながら。
胸の中では、少しずつ大きくなっていく想いが、静かに息づいていた。




