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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第61話 濡れてるよ

 雨は、まだ止みそうになかった。


 二人は一本の傘へ身を寄せながら、ゆっくりと歩いていく。


 先ほど顔が近づいてから。


 本子は、なかなか縁之丞の方を見ることができなかった。


 腕は組んだままなのに。


 肩も触れ合っているのに。


 意識すればするほど、どう振る舞えばいいのか分からなくなる。


「本子」


「何?」


「さっきから下ばっかり見てるけど」


「水たまりを避けてるの」


「そんなにないだろ」


「あるよ」


「どこに?」


「探してるところ」


「何だよ、それ」


 縁之丞が呆れたように笑う。


 本子は顔を上げないまま、絡めた腕へ少しだけ力を込めた。



 しばらく歩いたところで、強い風が吹いた。


 傘が大きく揺れ、端から雨粒が入り込んでくる。


「わっ」


「大丈夫か?」


「うん」


 縁之丞は本子が濡れないよう、傘をさらに彼女の方へ傾けた。


 そのせいで。


 傘からはみ出した縁之丞の前髪へ、細かな雨粒が降りかかる。


 本子はようやく隣を見上げた。


「縁之丞」


「何だ?」


「濡れてるよ」


「どこが?」


「髪」


 本子が指差す。


 縁之丞は空いている手で前髪へ触れた。


「これくらい平気だろ」


「平気じゃないよ」


「すぐ乾く」


「風邪引いたらどうするの?」


 縁之丞は少し考えたあと、何でもないように答えた。


「その時は看病して」


 本子は一瞬、きょとんとする。


「……私が?」


「昔もしてくれただろ」


「それは小さい頃の話でしょ」


「今はしてくれないのか?」


「そういうことじゃないけど」


「じゃあ頼む」


「まだ風邪引いてないじゃん」


「引いた時の話だ」


「調子に乗らないで」


 本子は照れ隠しのように言いながら、鞄からハンカチを取り出した。


「少しかがんで」


「何で?」


「いいから」


 縁之丞は不思議そうにしながらも、言われた通り少しだけ身体を屈める。


 本子はハンカチを持った手を伸ばした。


 濡れた前髪を、そっと押さえる。


「自分でできるぞ」


「動かないで」


「はいはい」


「返事は一回」


「細かいな」


 本子は縁之丞の前髪へついた雨粒を、丁寧に拭いていく。


 顔が近い。


 けれど。


 先ほどのように偶然近づいたわけではない。


 今度は、本子が自分から手を伸ばした。


 縁之丞の額へ触れそうな距離で。


 髪へ指を添えながら。


 その顔を、じっと見つめている。


「……本子?」


「何?」


「もう乾いただろ」


「あ」


 本子は我に返り、慌てて手を離した。


「まだ少し濡れてたから」


「そうか?」


「そうなの」


 使ったハンカチを畳みながら、本子は顔を伏せる。


 縁之丞は前髪へ触れたあと、小さく笑った。


「ありがとう」


「……どういたしまして」


 その一言だけで。


 本子の頬が、また少し熱くなる。


「本子も濡れてるぞ」


「え?」


 縁之丞が、本子の頬へ手を伸ばす。


 親指で、頬についていた小さな雨粒を拭った。


「ここ」


「……」


「どうした?」


「何でもない」


 本子は縁之丞の腕を掴み直し、前を向いた。


「帰ろ」


「ああ」


 二人は再び歩き始める。


 一本の傘の下。


 肩を寄せ。


 腕を組みながら。


 距離は、先ほどまでと変わらない。


 けれど。


 本子の頬には。


 縁之丞の指が触れた感覚だけが、いつまでも残っていた。

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