第58話 入る?
放課後。
ホームルームが終わり、二人は並んで昇降口へ向かっていた。
窓の外は、少し前まで晴れていた。
天気予報でも、雨が降るとは言っていなかったはずだ。
けれど。
二人が靴を履き替えた、その時だった。
ザーッ!
突然、激しい雨が降り始めた。
「うわっ」
「すごい雨……」
昇降口の外が、あっという間に白く霞んでいく。
大粒の雨が地面を叩き。
校庭には、次々と水たまりができ始めていた。
さっきまで見えていた青空も、いつの間にか厚い雨雲に覆われている。
「急すぎるだろ」
「朝はあんなに晴れてたのにね」
傘を持っていない生徒たちは、昇降口で足を止めていた。
スマホで天気予報を確認する者。
家族へ迎えを頼む者。
友人の傘へ入れてもらおうとする者。
本子も外を見つめ、小さく息をついた。
「傘、忘れちゃった」
「朝は晴れてたもんな」
「縁之丞は?」
「持ってる」
「嘘」
本子が驚いて振り返る。
縁之丞は鞄を開け、中から一本の折りたたみ傘を取り出した。
「入れっぱなしだった」
「ああ」
本子は思い出したように頷く。
「前に使ったあと、ずっと入れてたやつ?」
「多分」
「ちゃんと干した?」
「干したと思う」
「本当に?」
「臭くはないだろ」
「そこが基準なんだ」
本子は思わず笑った。
「そういうところ、縁之丞らしいね」
「結果オーライだ」
縁之丞は折りたたみ傘を広げる。
二人で入るには、少しだけ小さい。
けれど、どちらか一人だけ帰るという選択肢は、初めからなかった。
縁之丞は傘を持ったまま、本子へ視線を向ける。
「入る?」
本子は少しだけ照れたように笑った。
「お願い」
◇
二人は一本の傘へ入り、学校を出た。
雨はまだ強い。
傘へ当たる雨音が、絶え間なく響いている。
「狭いね」
「折りたたみだからな」
「もっと大きいの入れておけばよかったのに」
「入れっぱなしだっただけだぞ」
「用意してたみたいに言わないでよ」
「言ってない」
二人で入るには、少しだけ小さな傘だった。
歩き始めると、自然に肩が触れ合う。
少し離れれば、どちらかが傘から出てしまう。
本子は縁之丞のすぐ隣を歩きながら、その近さを意識していた。
昔にも。
二人で一本の傘へ入ったことはある。
幼い頃は、もっと狭い傘へ無理やり入って。
肩が濡れたと笑い合っていた。
その時は、何も気にしていなかった。
縁之丞だから。
幼馴染だから。
それだけで済んでいた。
けれど今は。
ただ隣を歩いているだけなのに。
少しだけ、胸の奥が落ち着かなかった。
◇
信号の前へ着く。
歩行者用信号は赤だった。
二人は傘の下で、並んで足を止める。
縁之丞が傘を持っていない方の手を、本子へ差し出した。
「ほら」
「ここでも繋ぐの?」
「雨で見えにくいからな」
「もう車はちゃんと見るよ」
「念のためだ」
本子は少しだけ笑った。
「心配性になったね」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「私かな」
「他に誰がいる」
本子は差し出された手を握る。
傘の下で肩を寄せ。
手まで繋いでいる。
傍から見れば。
きっと、どこから見ても恋人だった。
「縁之丞」
「ん?」
「今、すごく恋人らしいかも」
「傘に入ってるだけだろ」
「手も繋いでるよ」
「信号を渡るためだ」
「そういうことにしておくね」
「何だよ、それ」
本子は楽しそうに笑った。
やがて、信号が青へ変わる。
二人は手を繋いだまま、横断歩道を渡り始めた。
縁之丞は車道側を歩き。
周囲の車へ、何度も視線を向けていた。
本子はそんな縁之丞を、そっと見上げる。
「また前見てない」
「見てるよ」
「俺の方をだろ」
「縁之丞が前を見てるから大丈夫」
「自分でも見ろって」
「はーい」
本子は返事をしながら、繋いだ手へ少しだけ力を込めた。
縁之丞も、何も言わずに握り返す。
昔から何度も歩いてきた帰り道。
一本の傘へ入ることも。
肩を寄せ合うことも。
決して初めてではなかった。
けれど。
雨音に隠れてしまいそうなほど小さく。
本子の胸は、いつもより速く鳴っていた。




