第56話 守ってくれた
その日の夜。
本子は自分の部屋で、ベッドに横になっていた。
眠ろうとしているのに、なかなか目を閉じることができない。
ぼんやりと天井を見つめていると。
昨日の出来事が、何度も頭の中に浮かんできた。
車の音。
縁之丞の声。
強く腕を引かれた感覚。
そして。
不意に抱き締められた温もり。
「……」
本子は布団の中で、小さく身体を丸めた。
あの時の縁之丞は、今まで見たことがないほど必死な顔をしていた。
自分のことなんて考えず。
迫ってくる車へ背中を向けて。
ただ、本子を守ろうとしてくれた。
もし少しでも遅れていたら。
縁之丞も危なかったかもしれない。
それでも。
縁之丞は迷わなかった。
その事実が、胸の奥へ強く残っていた。
◇
幼い頃から。
二人は何度も手を繋いできた。
本子から抱きついたこともある。
肩を寄せ合って歩いたことも。
同じ布団で眠ったことだってあった。
どれも、二人にとっては普通のことだった。
縁之丞だから。
幼馴染だから。
そう言えば、すべて説明できた。
けれど。
昨日の抱擁だけは違った。
思い出すたびに。
縁之丞の腕の強さと。
胸へ顔を押しつけた時に聞こえた、激しい鼓動が蘇る。
本子は自分の胸へ、そっと手を当てた。
こちらの鼓動まで、少しずつ速くなっていく。
「……変だな」
事故の直後は、怖くて何も考えられなかった。
ただ、縁之丞から離れたくなかった。
抱き締められていると、安心した。
けれど今は。
思い出すだけで、胸が熱くなる。
あの時とは違う理由で。
「守ってくれたんだよね」
本子は誰もいない部屋で、小さく呟いた。
縁之丞なら、自分でなくても助けたのかもしれない。
困っている人を放っておけない人だから。
頼まれれば、文句を言いながら手を貸す人だから。
それでも。
あの瞬間。
縁之丞の目に映っていたのは、自分だけだった。
必死に名前を呼んで。
迷わず手を伸ばして。
自分の身体で、本子を守ってくれた。
それが。
どうしようもなく嬉しかった。
「愛の力……」
昼間、自分で言った言葉を思い出す。
あの時は、縁之丞をからかうつもりだった。
教室で真っ赤になる顔を見たくて。
少し冗談を言っただけ。
けれど。
本当に冗談だったのだろうか。
縁之丞が自分を大切にしてくれていることを。
少しだけ、確かめたかったのではないだろうか。
「……分かんない」
本子は枕へ顔を埋めた。
恋人ごっこを始めてからも。
縁之丞は、ずっと縁之丞だった。
隣にいるのが当たり前で。
何をしても、昔と変わらない。
そう思っていた。
映画館で手を繋いだ時も。
縁之丞から手を伸ばしてくれたことが、少し嬉しかった。
けれど。
どうして嬉しかったのかまでは、考えなかった。
考えなくても。
幼馴染という言葉で、曖昧にできたから。
でも。
昨日、守ってくれたあの瞬間を思い出すと。
もう、昔と同じようには見られなかった。
普段は面倒くさがりで。
頼まれると断れなくて。
何を言っても、鈍い返事ばかりで。
ずっと隣にいた、ただの幼馴染。
そのはずだった縁之丞が。
今は少しだけ。
知らない男の子のように思えた。
本子は枕から、わずかに顔を上げる。
「縁之丞……」
名前を呼んだだけで、胸がまた熱くなる。
ずっと曖昧だった何かが。
少しずつ。
けれど、確かに形を持ち始めていた。
本子は初めて。
縁之丞を。
はっきりと、一人の男の子として意識していた。




