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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第54話 大丈夫?

 車の運転手は、慌てて車から降りてきた。


「本当に申し訳ありません!」


 青ざめた顔で、何度も頭を下げる。


「大丈夫ですか?」


「どこかぶつかっていませんか?」


 近くにいた人たちも足を止め、心配そうに二人を見つめていた。


「危なかった……」


「あと少し遅かったら」


「間一髪だったな」


 周囲がざわつく。


 けれど。


 その声は、本子の耳にはほとんど届いていなかった。


 縁之丞の胸へ抱き込まれたまま、動くことができない。


 何が起きたのか。


 ようやく理解し始めた途端。


 本子の身体が、小さく震え始めた。


「本子」


 縁之丞が顔を覗き込む。


 本子は答えようとした。


 けれど、すぐには声が出なかった。


「……大丈夫?」


 いつものような気の抜けた声ではない。


 心配を隠しきれない、震えを含んだ声だった。


 本子は小さく頷く。


「うん」


「本当に?」


「ぶつかってないから」


「どこも痛くないか?」


「大丈夫」


 そう答えたものの。


 本子の手は、縁之丞の制服を強く掴んだままだった。


 足にも、うまく力が入らない。


「とりあえず、歩道へ戻ろう」


「ああ」


 縁之丞は本子の身体を支えながら、横断歩道を離れた。


 運転手は、その後ろをついてくる。


「救急車を呼びましょうか?」


「ぶつかってはいないので、大丈夫です」


 縁之丞が答える。


「本当に、申し訳ありませんでした」


 運転手は、もう一度深く頭を下げた。


 縁之丞は何も言わず、本子へ視線を戻す。


 無事だった。


 どこにも怪我はない。


 それでも。


 もし、自分が気付くのが少しでも遅れていたら。


 もし、本子を引き寄せる手が届かなかったら。


 そんな考えが、頭から離れなかった。


「縁之丞」


 本子が小さく名前を呼ぶ。


「何だ?」


「手、震えてるよ」


 言われて初めて。


 縁之丞は、本子の肩へ添えている自分の手を見た。


 指先が、わずかに震えていた。


「本子だって震えてるだろ」


「うん」


 本子は素直に頷いた。


 どちらも怖かった。


 車に轢かれそうになった本子も。


 本子が轢かれそうになるところを見た縁之丞も。


「もう大丈夫だ」


 縁之丞は、自分へ言い聞かせるように呟く。


「車も止まったし」


「ああ」


「怪我もしてない」


「ああ」


「だから、大丈夫」


「……そうだな」


 けれど。


 本子は縁之丞の制服から手を離さなかった。


 縁之丞も、本子の肩へ回した腕を離せない。


「……本子?」


 本子は小さく首を横へ振った。


「もう少しだけ」


「何が?」


「このままでいて」


 縁之丞は少しだけ戸惑う。


 歩道の端で。


 周囲には、まだこちらを心配そうに見ている人たちがいる。


 普段なら、恥ずかしいと思ったかもしれない。


 けれど今は。


 本子を離す方が、怖かった。


「ああ」


 縁之丞は短く答えた。


 そして。


 先ほどよりも少しだけ優しく、本子を抱き締め直す。


 本子も、縁之丞の胸へ顔を寄せた。


 互いの心臓は、まだ速く鳴っている。


 身体の震えも、すぐには止まらなかった。


 それでも。


 相手がここにいることだけは、確かだった。


「縁之丞」


「ん?」


「助けてくれて、ありがとう」


「……間に合ってよかった」


 それ以上の言葉は続かなかった。


 今はただ。


 二人とも、互いの温かさを確かめるように。


 しばらくその場で、離れずにいた。

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