第51話 部活帰り
放課後。
大会が近づき、縁之丞は今日も剣道部の練習へ参加していた。
インフルエンザで休んでいたレギュラー部員は、すでに練習へ復帰している。
大会へ出場する選手も、正式に決まっていた。
縁之丞の役目は、あくまで練習相手。
数日間練習を休んでいた部員たちの打ち込みを受け、鈍った感覚を取り戻すための実戦稽古へ付き合うことだった。
「面!」
鋭い掛け声とともに、竹刀が振り下ろされる。
縁之丞は最小限の動きで受け止めた。
「もう一回!」
「ああ」
向かい合っているのは、インフルエンザから復帰したレギュラー部員。
体調はすでに戻っている。
けれど、数日練習を休んだせいか、以前と比べて踏み込みにわずかな迷いがあった。
レギュラー部員は、再び一歩踏み込む。
「面!」
今度は縁之丞が半歩下がってかわした。
「踏み込みが浅い」
「やっぱり?」
「ああ」
「腕だけで打ってる」
「もう一回頼む!」
縁之丞は竹刀を構え直した。
何度も打ち込みを受け。
足の運びや間合いのずれを指摘する。
部活動としての剣道から離れていたとはいえ、縁之丞の感覚はほとんど鈍っていなかった。
足の運びも。
間合いの取り方も。
相手の動きを読む目も。
身体が自然と覚えている。
「次、試合形式で頼む!」
「ああ」
二人は道場の中央で向かい合った。
「始め!」
部長の声が響く。
レギュラー部員が慎重に間合いを詰める。
縁之丞は動かない。
相手が意を決して踏み込んだ瞬間。
「面!」
縁之丞の竹刀が、先に相手の面を捉えた。
「一本!」
部長が勢いよく旗を上げる。
向かい合っていた部員は、その場で肩を落とした。
「強すぎるだろ……」
「今のは動きが分かりやすかった」
「どこで分かった?」
「右足」
縁之丞は自分の足元を竹刀で示す。
「打つ前に、少しだけ力が入ってた」
「そこまで見てるのかよ」
「試合なら相手も見るだろ」
「もう一本頼む!」
「まだやるのか?」
「休んでた分を取り戻さないと、大会で勝てない!」
縁之丞は小さく息をつき、再び構えた。
稽古を見ていた部員たちから、感心したような声が上がる。
「やっぱり霧島すげえ……」
「レギュラーより強いんじゃないか?」
「中学の頃から有名だったしな」
「このまま復帰すればいいのに」
その言葉に、縁之丞はすぐ反応した。
「入部はしないからな」
部長が満面の笑みで近づいてくる。
「分かってる!」
「本当だろうな?」
「あくまで練習相手!」
「大会までの期間限定!」
「大会が終わったら解放しろよ」
「もちろん!」
「昨日も同じこと言ってなかったか?」
「昨日は昨日だ!」
「今日も練習増えてるだろ」
部長は縁之丞から視線を逸らした。
「……」
「おい」
「明日のことは、明日考えよう!」
「絶対また呼ぶ気じゃねえか」
周囲の部員たちが笑う。
縁之丞は小さくため息をついた。
嫌な予感しかしなかった。
◇
練習を終え、制服へ着替える。
縁之丞が校門へ向かうと、本子はいつもの場所で待っていた。
校門脇の壁へ背中を預け、スマホを眺めている。
「本子」
呼び掛けると、本子は顔を上げた。
「お疲れ」
「ああ」
「今日も遅かったね」
「悪い」
「別にいいよ」
本子はスマホを鞄へしまい、縁之丞の隣へ並ぶ。
二人はいつものように、肩を並べて歩き始めた。
「今回だけじゃなかったの?」
本子が横目で縁之丞を見る。
「俺も、そのつもりだった」
「昨日も行ってたよね」
「ああ」
「一昨日も」
「ああ」
「その前も行ってなかった?」
「……行ったな」
本子は呆れたように息をついた。
「全然、今回だけじゃないじゃん」
「インフルエンザで休んでたレギュラーの調整に付き合ってほしいって」
「打ち込み相手?」
「それと試合形式の稽古」
「部長さんに泣きつかれた?」
「泣きつかれた」
縁之丞は、両手を合わせる部長の真似をする。
「頼む、霧島!」
「大会までだから!」
「休んでた分を取り戻すには、お前くらい強い相手が必要なんだ!」
本子は思わず吹き出した。
「あははっ」
「笑い事じゃないぞ」
「似てる」
「毎日これだからな」
「絶対、明日も頼まれるよ」
「俺もそんな気がする」
「断ればいいのに」
「断った」
「でも行ってる」
「……押し切られた」
「縁之丞、頼まれると弱いもんね」
「そうか?」
「うん」
本子はくすっと笑う。
「何だかんだ言いながら、困ってる人を放っておけないし」
「そんな大げさな話じゃないだろ」
「部長さんたちにとっては大問題なんじゃない?」
「だからって、毎日呼ぶことないだろ」
「本当は少しくらい楽しいんじゃないの?」
本子に尋ねられ、縁之丞は少しだけ考えた。
「まあ」
「久しぶりにやると、悪くはない」
「やっぱり」
「でも、入部はしないからな」
「分かってるよ」
本子はそう答えた。
けれど。
縁之丞が剣道をしている姿は、昔から嫌いではなかった。
普段は気の抜けた顔をしているのに。
竹刀を握ると、表情が変わる。
背筋が伸び。
鋭い目で相手を見据え。
迷いなく前へ踏み込んでいく。
今日も道場の外から、少しだけ見ていた。
そして。
縁之丞を見ていたのは、本子だけではなかった。
「今日も女の子に囲まれてたね」
本子が何気ない口調で言う。
「囲まれてた?」
「練習が終わったあと」
「ああ」
縁之丞はようやく思い出したように頷く。
「剣道のことを聞かれただけだろ」
「また剣道部に戻るんですか、とか?」
「戻らないって言った」
「今度も練習を見に来ていいですか、とか?」
「好きにすればいいって」
「連絡先を教えてください、とか?」
「あれは練習へ行く日を聞きたいって話だろ」
本子は縁之丞の顔を見た。
本当に、何も分かっていないらしい。
「縁之丞は鈍いから」
「何が?」
「何でもない」
「気になるだろ」
「気にしなくていいよ」
本子は少しだけ歩調を速めた。
「おい」
縁之丞も自然と足を速める。
「急にどうした?」
「別に」
「怒ってる?」
「怒ってないよ」
「じゃあ、何で速く歩くんだ?」
「早く帰りたいから」
「さっきまで普通だっただろ」
「今、早く帰りたくなったの」
「何だよ、それ」
本子自身にも、よく分からなかった。
縁之丞が剣道部を手伝うことは、何とも思わない。
誰かに頼られているのも、縁之丞らしいと思う。
ただ。
知らない女子たちに囲まれ。
楽しそうに話している姿を見た時。
胸の奥に、小さな引っかかりを覚えた。
怒っているわけではない。
嫌だった理由も、まだ分からない。
「本子」
「何?」
「待てって」
縁之丞が追いつき、いつものように隣へ並ぶ。
本子は横目でその姿を確認した。
離れようとしても、すぐに追いついてくる。
そのことに、少しだけ安心する。
「明日も剣道部?」
「多分な」
「また女の子に囲まれるね」
「だから、剣道の話をしてるだけだって」
「ふうん」
「何なんだよ」
「何でもない」
本子は前を向いた。
歩く速さは、いつの間にか元へ戻っていた。
縁之丞も理由を尋ねることを諦め、隣を歩き続ける。
二人の肩が、時折触れ合う。
その距離は、いつもと変わらなかった。
それでも本子の胸には。
今まで感じたことのない小さな引っかかりが、消えずに残っていた。




