第42話 普通の時間
テレビから、出演者たちの笑い声が聞こえてくる。
けれど、二人とも番組の内容をそれほど真剣には見ていなかった。
本子は縁之丞の肩へ頭を預けたまま。
二人の手も、ソファの上で重なったままだった。
「ねえ」
「ん?」
「こういうのもデートなんだよね」
縁之丞は少し考える。
「多分な」
「多分なんだ」
「俺もおうちデートなんてしたことないから」
「私もないよ」
「じゃあ、分からなくても仕方ないだろ」
「それもそうだね」
本子は小さく笑った。
それから今日一日を思い返すように、ゆっくりと口を開く。
「ゲームして」
「ああ」
「一緒にカレー作って」
「ああ」
「ご飯食べて、片付けして」
「今はテレビ見てるだけ」
「うん」
本子は縁之丞の肩に頭を預けたまま、少しだけ首を傾けた。
「おうちデートって、こんな感じなのかな」
「そんなもんじゃないか?」
「もっと恋人らしいことするのかと思ってた」
「恋人らしいことって?」
「分かんない」
「分からないのかよ」
「分からないから試してるんでしょ」
「それもそうか」
二人は顔を見合わせることもなく笑った。
初めてのおうちデート。
けれど、特別なことは何もしていない。
対戦ゲームで本気になって。
協力ゲームでは喧嘩しながら失敗して。
一緒にカレーを作り。
食べ終わった皿を並んで洗った。
そして今は、特に見たいわけでもないテレビを眺めている。
恋人ごっこを始める前にも、似たような休日を何度も過ごしてきた。
「やっぱり普通だね」
本子がぽつりと呟いた。
「普通だな」
縁之丞も頷く。
動物園へ行った時も、同じことを思った。
恋人として出かけたはずなのに。
結局、一番楽しかったのは、昔と変わらず笑っていた時間だった。
今日も同じだ。
名前だけがおうちデートに変わって。
二人の過ごし方は、ほとんど何も変わっていない。
本子はしばらくテレビを眺めていた。
やがて。
「でも、私は好きだよ」
「何が?」
「こういう普通の時間」
縁之丞は本子へ視線を向けた。
本子はテレビを見たまま、言葉を続ける。
「何か特別なことをしなくても」
「一緒にいるだけで楽しいし」
「縁之丞の家にいると落ち着く」
「昔から来てるからだろ」
「そうかも」
本子は素直に頷いた。
「縁之丞の部屋も」
「このソファも」
「おじさんとおばさんも」
「全部、昔から知ってるから」
「自分の家みたいに言うなよ」
「だって、今さら緊張しないもん」
「遠慮もないしな」
「遠慮してほしい?」
「今さらされても気持ち悪い」
「ひどい」
本子は笑いながら、縁之丞の肩へもう少し深く頭を預けた。
「でもね」
「ん?」
「昔から知ってるから好きなのか」
「縁之丞と一緒だから好きなのか」
「よく分からない」
縁之丞は何も言わなかった。
本子も、答えを求めているわけではないようだった。
少しの間。
テレビの音だけが二人の間を流れていく。
「でも」
本子が小さく笑う。
「私は、この普通が好き」
特別な言葉ではなかった。
好きだと言われたのも、縁之丞自身ではない。
二人で過ごす、ごく普通の時間のこと。
それなのに。
縁之丞の胸の奥が、少しだけ温かくなった。
嬉しい。
そう思った理由は、まだよく分からない。
縁之丞は重なっている本子の手を見た。
それから、静かに答える。
「俺も」
「何が?」
「こういう時間」
本子が顔を上げた。
「好き?」
「ああ」
縁之丞は少し照れくさくなり、テレビへ視線を戻す。
「落ち着くしな」
「私と一緒だから?」
「昔から一緒にいるからだろ」
「そっか」
本子は少しだけ残念そうに見えた。
けれど、すぐに嬉しそうな笑顔へ戻る。
「じゃあ、同じだね」
「何が?」
「私も縁之丞も、この時間が好き」
「そうだな」
本子はもう一度、縁之丞の肩へ頭を預けた。
二人は再びテレビを眺める。
画面の中では、出演者たちが大声で笑っていた。
けれど。
どんな内容だったのか、あとで二人に聞いても答えられなかっただろう。
何を見ていたかよりも。
誰と見ていたかの方が、二人にとっては大切だった。
重なった手は。
最後まで、そのままだった。




