第34話 帰り道
夕方。
一日遊び尽くした二人は、駅へ向かって歩いていた。
西へ傾いた太陽が街をオレンジ色に染めている。
昼間の賑わいとは違い、動物園をあとにする人たちもどこか穏やかな表情だった。
「疲れたぁ」
本子が大きく伸びをする。
「結構歩いたな」
「足が少し痛い」
「明日は筋肉痛かもな」
「そんなに運動してないのに」
「動物園って意外と歩くからな」
「確かに」
本子は苦笑する。
「でも、いっぱい歩いた気がしない」
「楽しかったからか」
「うん」
気付けば何時間も園内を歩き回っていた。
キリンを見て笑って。
ふれあい広場ではしゃいで。
一緒に昼ご飯を食べて。
観覧車へ乗って。
お土産まで買った。
思い返せば、本当に一日中一緒だった。
「写真もいっぱい撮ったね」
「ああ」
「帰ったら見返そうかな」
「今日だけで結構あるだろ」
「あるよ」
本子は紙袋を軽く揺らした。
「お土産も買えたし」
「満足そうだな」
「大満足」
そう言って笑う本子は、本当に楽しそうだった。
◇
駅へ着くと、ちょうど帰りの電車がホームへ入ってきた。
二人は並んで乗り込み、空いている座席へ腰を下ろす。
ドアが閉まり、ガタン、と小さく揺れて電車が走り出した。
窓の外では夕焼けに染まった街並みがゆっくりと流れていく。
昼間の賑やかさが嘘のように、車内は静かだった。
疲れもあってか、本子も珍しく何も話さない。
ただ景色を眺めていた。
そんな時間も、不思議と気まずくはない。
幼い頃から、こうして隣に座っていることが当たり前だったから。
◇
しばらくして、本子が小さく息をついた。
「眠い?」
縁之丞が聞く。
「ちょっと」
「寝てもいいぞ」
「寝過ごす」
「起こす」
「じゃあ安心」
本子は笑う。
「でも寝ない」
「なんで?」
「帰るまで今日の余韻楽しみたい」
「余韻か」
「うん」
本子は窓の外を見つめる。
「今日、すごく楽しかったから」
「俺も」
それだけ言って、また静かな時間が流れる。
電車の走る音だけが規則正しく響いていた。
◇
数駅進んだ頃。
本子はバッグからスマホを取り出した。
「見て」
今日撮った写真を開く。
「もう見返すのか」
「うん」
一枚目。
キリンの前で笑っている二人。
「これ、キリン大きかったね」
「ああ」
二枚目。
モルモットを抱いて満面の笑みを浮かべる本子。
「私、嬉しそう」
「嬉しそうだった」
「顔ゆるみすぎ」
「いつもよりな」
「ひどい」
そう言いながらも、本子は笑っていた。
三枚目。
観覧車の中から撮った景色。
「天気よかったね」
「運がよかった」
「また行きたいな」
「そのうちな」
本子は画面を閉じる。
「いっぱい思い出できた」
「ああ」
その一言だけで十分だった。
◇
電車は静かに揺れ続ける。
本子は窓へ視線を戻した。
オレンジ色だった空は、少しずつ藍色へ変わり始めている。
「ねえ」
「ん?」
「今日どうだった?」
縁之丞は少し考えて答えた。
「楽しかった」
「俺も」
本子は小さく笑う。
それから少しだけ間を空けて言った。
「でも」
「普通だったね」
縁之丞も苦笑する。
「普通だったな」
恋人ごっこ。
そう決めて出かけた一日だった。
恋人らしいことをしようと思っていた。
でも。
気付けば笑っていたのは、昔と変わらない時間ばかりだった。
手を繋いで。
食べ物を分け合って。
口元を拭いて。
写真を撮って。
どれも昔から当たり前にしてきたことだった。
「恋人って」
本子がぽつりと呟く。
「もっと違うと思ってた」
「俺も」
「もっとドキドキして」
「もっと緊張して」
「もっと特別なのかなって」
「そうだな」
縁之丞も同じことを思っていた。
今日一日を思い返す。
動物を見て笑ったこと。
くだらない話をしたこと。
観覧車で笑い合ったこと。
心に残っているのは、昔と変わらない時間ばかりだった。
それなのに。
昔より、少しだけ楽しかった気がする。
その理由は、自分でもまだ分からなかった。
◇
やがて車内アナウンスが流れる。
「次は、桜ヶ丘駅。桜ヶ丘駅です」
「降りるか」
「うん」
二人は立ち上がる。
ホームへ降りると、夕方の風が心地よかった。
「今日はありがとう」
本子が笑う。
「こちらこそ」
「また行こうね」
「ああ」
その約束は、とても自然だった。
恋人だからではない。
幼馴染だからでもない。
一緒にいるのが当たり前だから。
二人は並んで家への道を歩き始める。
恋人ごっこの初めてのデートは終わった。
今日分かったことが一つだけある。
恋人らしいことは、まだよく分からない。
それでも。
一緒にいる時間は、確かに楽しかった。
二人は、その気持ちを胸に、いつもの帰り道を歩いていった。




