第27話 少し遠くへ
休日の朝。
本子は自室の鏡の前で立ち止まっていた。
「……これでいいかな」
白を基調とした夏らしいワンピース。
何着か見比べた末に選んだ一着だった。
普段なら、こんなに服で悩むことはない。
動きやすければ、それで十分。
そんな性格だった。
けれど今日は、少しだけ違う。
恋人ごっこを始めてから初めての遠出。
だから、ほんの少しだけ。
いつもよりおしゃれをしてみようと思った。
鏡の前でくるりと一回転する。
歩きにくくはない。
これなら一日歩いても大丈夫そうだ。
「……よし」
小さく頷く。
少しだけ緊張している自分が可笑しくなって、本子はふっと笑った。
◇
朝。
縁之丞のスマートフォンに本子からメッセージが届く。
『今日はどこ行く?』
休日になれば自然と遊ぶ。
それが二人にとって当たり前だった。
縁之丞は少し考えて返信する。
『いつも近場ばっかりだな』
『たまには遠出する?』
『いいね』
二人はそのまま候補を探し始めた。
水族館。
遊園地。
映画館。
動物園。
画面を眺めながら、思いつく場所を挙げていく。
どこでも楽しそうだった。
けれど、決め手がない。
しばらくして。
本子から新しいメッセージが届く。
『東山動植物園』
縁之丞は画面を見て少し笑う。
『久しぶりだな』
『小学校以来?』
『多分』
『覚えてる?』
『キリン』
『それだけ?』
『あと弁当』
『食べることしか覚えてない』
『迷子になりかけてた』
『縁之丞が先に行ったから』
『俺のせいか』
『そう』
少し間が空く。
数秒後。
『じゃあ決まり』
『了解』
これで今日の目的地が決まった。
◇
待ち合わせは駅前だった。
縁之丞は約束の十分前には着いていた。
休日の駅前は、多くの人で賑わっている。
買い物へ向かう家族。
楽しそうに話す学生。
手を繋いで歩く恋人たち。
ぼんやりと人の流れを眺めていると。
「縁之丞」
聞き慣れた声がした。
振り向く。
本子がこちらへ歩いてくる。
白を基調とした夏らしいワンピース。
肩まで伸びた髪は、いつもより少しだけ丁寧に整えられている。
足元も涼しげなサンダルで、普段とはどこか雰囲気が違った。
思わず目が止まる。
見慣れた本子なのに。
今日は少しだけ違って見えた。
本子は縁之丞の視線に気付くと、小さく手を振る。
「待った?」
「いや」
本子が目の前まで来る。
少しだけ沈黙が流れた。
縁之丞は何か言おうとして。
少し迷って。
それでも素直に口を開く。
「その服」
「すごく似合ってる」
本子は一瞬きょとんとした。
まさか最初の一言が、それだとは思っていなかった。
「……ありがとう」
頬がほんのり赤く染まる。
「そう言ってもらえると嬉しい」
照れくさそうに笑う本子を見て、縁之丞も少し照れくさそうに頭をかいた。
「そうか」
「うん」
少しだけ照れくさい空気が流れる。
けれど、不思議と気まずくはなかった。
本子は縁之丞を見つめる。
「縁之丞も」
「今日はいつもと違うね」
「そうか?」
「髪、ちゃんとセットしてる」
縁之丞は前髪に触れた。
「母さんに整えられた」
「ふふっ」
「じゃあ、お母さんに感謝しないと」
「そうなるな」
二人は顔を見合わせて笑った。
いつもの笑い方。
だけど、少しだけ照れくさい。
恋人ごっこを始める前とは、ほんの少しだけ違う笑顔だった。
「じゃあ」
「行こうか」
「ああ」
二人は並んで歩き出す。
改札を抜け、ホームへ向かう。
ほどなくして電車が滑り込み、扉が開いた。
二人は並んで乗り込む。
窓の外では、見慣れた街並みがゆっくりと流れ始める。
今日は、少しいつもより遠くへ。
二人にとって初めての、少し遠くへのデートが始まった。




