第25話 あーん
翌日の放課後。
恋人らしいこと研究、三日目。
二人は学校を出ると、いつもの帰り道を並んで歩いていた。
「今日は何する?」
本子が尋ねる。
昨日は、互いの呼び方を変えてみた。
一昨日は、恋人らしい写真を撮った。
けれど、今日の研究内容はまだ決まっていない。
「恋人らしいことか……」
縁之丞は、少し前を歩いている男女へ目を向けた。
二人はぴったりと身体を寄せ、腕を組みながら歩いている。
「あれとか?」
「あれ?」
「腕を組む」
本子も前を歩く二人を見る。
「確かに、恋人っぽいね」
「やってみる?」
「うん」
二人は立ち止まった。
縁之丞が、少しだけ左腕を開く。
本子はその腕を見つめたあと、そっと自分の腕を絡めた。
「…………」
「…………」
二人は、そのまま歩き始める。
腕が触れ。
肩も、普段より近くなる。
手を繋ぐよりも身体が密着し、歩くたびに互いの腕が擦れた。
「どう?」
本子が尋ねる。
「歩きにくい」
「私も」
「歩幅が合わないな」
「縁之丞が大きすぎるんだよ」
「本子が小さいんだろ」
「普通です」
「俺も普通」
「じゃあ、相性が悪い?」
「恋人ごっこ三日目で?」
「腕を組んで歩く相性」
「細かいな」
二人はしばらく歩いてみたものの。
少し進んでは肩がぶつかり。
歩幅を合わせようとすると、今度は妙にゆっくりになる。
「……やめる?」
「うん」
二人は同時に腕を離した。
いつもの距離へ戻ると、急に歩きやすくなる。
「手を繋ぐ方が楽だな」
「慣れてるからね」
「恋人らしさより、歩きやすさを優先していいのか?」
「転ぶよりいいでしょ」
「それもそうか」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
帰り道の途中。
二人はコンビニへ寄り、カップに入ったアイスを一つ買った。
店を出ると、近くのベンチへ並んで座る。
本子が蓋を開け、スプーンで半分ほどすくった。
「半分こ」
「おう」
昔から。
二人で一つのお菓子を分けることは多かった。
飲み物も。
アイスも。
最後の一口も。
互いに欲しければ、特に遠慮することなく分け合ってきた。
本子が一口食べる。
次に、縁之丞へスプーンを渡そうとして。
ふと、その手を止めた。
「どうした?」
「思いついた」
「何を?」
本子は、スプーンにアイスを乗せる。
「恋人って、食べさせ合ったりするよね」
「……あーん?」
「うん」
縁之丞は、差し出されたスプーンを見つめた。
「この前、やめただろ」
「だから、今日はちゃんと試してみよう」
「恥ずかしくない?」
「研究だから」
「便利だな、その言葉」
「縁之丞も使ってたでしょ」
「まあ」
本子はスプーンを縁之丞の口元へ近づける。
「はい」
「…………」
「あーん」
「言わなくてよくない?」
「言った方が恋人っぽいでしょ」
「そうなのか?」
「多分」
「また多分か」
縁之丞は周囲を確認する。
幸い、近くを歩いている人はこちらを見ていない。
「早くしてよ」
「分かったよ」
縁之丞は諦めたように口を開いた。
「あーん」
本子が、スプーンをその口へ入れる。
縁之丞はアイスを食べながら、無言で正面を向いた。
「…………」
「どう?」
「恥ずかしすぎる」
本子は耐えきれずに吹き出した。
「そんなに?」
「自分で食べた方が絶対に早い」
「効率の問題じゃないよ」
「じゃあ、何のためにするんだ?」
「恋人らしいから?」
「疑問形じゃん」
「私も、まだ分からないもん」
本子は笑いながら、もう一口アイスを食べる。
縁之丞は、そんな本子からスプーンを受け取った。
「じゃあ、次」
「次?」
「本子にも味わってもらう」
「私はいいよ」
「不公平だろ」
「私は食べさせる側で研究できたから」
「俺は食べさせる側を研究してない」
「そこまで厳密にしなくても」
「研究なんだろ?」
本子は言葉に詰まった。
縁之丞はアイスをすくい、スプーンを本子の口元へ差し出す。
「あーん」
「…………」
「さっき俺には言っただろ」
「言ったけど」
「早く」
本子は周囲を見回した。
誰もこちらを見ていない。
それでも。
縁之丞に食べさせてもらうのだと思うと、急に恥ずかしくなってくる。
「本子?」
「分かってる」
本子は顔を赤くしながら、恐る恐る口を開いた。
「あーん……」
縁之丞が、その口へスプーンを入れる。
本子はアイスを食べると、すぐに顔を逸らした。
「…………」
「どう?」
「恥ずかしすぎる」
「だろ?」
「何で、食べさせるだけでこんなに恥ずかしいの?」
「知らない」
「手を繋ぐより恥ずかしい」
「肩を抱くよりもな」
「顔を近づけるよりも」
二人は顔を見合わせる。
そして。
同時に吹き出した。
「恋人って、すごいことするんだな」
「アイスを食べさせただけだよ」
「俺たちにとっては十分すごい」
「確かに」
昔から距離は近かった。
手を繋ぐことも。
肩を寄せることも。
一つのものを分け合うことも。
二人にとっては普通だった。
けれど。
相手の口へ食べ物を運ぶことだけは。
同じ一口を分け合うのとは、少し違った。
食べさせてあげたい。
食べさせてもらいたい。
そこには、ただ近くにいるだけではない。
相手を甘やかすような意味がある。
「もう一回する?」
本子が尋ねる。
「するの?」
「確認」
「一回で十分分かっただろ」
「何が?」
「恥ずかしいってこと」
「それしか分かってないよ」
「十分じゃない?」
「気持ちは?」
「…………」
縁之丞は少し考える。
「嫌じゃなかった」
「私も」
「恥ずかしかったけど」
「うん」
「本子に食べさせてもらうのは、ちょっと嬉しかったかも」
本子は目を丸くした。
「そうなの?」
「少しだけ」
「じゃあ」
本子は、もう一度アイスをすくった。
「もう一口」
「何で嬉しそうなんだよ」
「研究が進んだから」
「本当に?」
「本当」
本子は笑いながら、スプーンを差し出す。
「はい。あーん」
縁之丞は少しだけ迷ったあと。
今度は、周囲を確認せずに口を開いた。
「あーん」
◇
アイスを食べ終え。
二人は再び帰り道を歩き始めた。
「俺たちさ」
縁之丞が、ぽつりと呟く。
「身体の距離は、昔から近すぎるんだな」
「うん」
本子は苦笑しながら頷いた。
「手を繋いでも、肩を抱いても、昔とあまり変わらないから」
「でも、あーんは恥ずかしかった」
「すごく恥ずかしかった」
「何が違うんだろうな」
本子は少し考える。
「自分から、相手のためにすることだからじゃない?」
「相手のため?」
「食べさせてあげるとか」
「可愛いって言うとか」
「ただ近くにいるだけじゃなくて」
本子は、わずかに頬を緩めた。
「相手を喜ばせようとすることが、恋人らしいのかも」
「なるほど」
「多分だけど」
「結局、多分なんだな」
「まだ三日目だから」
二人は笑い合う。
恋人らしいことが何なのか。
互いを恋人として好きなのか。
答えは、まだ分からない。
けれど。
昔から繰り返してきたことと。
恋人として初めてすること。
その違いだけは。
少しずつ見え始めていた。




