第21話 いつもの二人
喫茶店へ入った二人は、窓際の席へ案内された。
向かい合って座るため、先ほどまで繋いでいた手を離す。
指先が離れた瞬間。
本子は、何となく自分の手を膝の上へ置いた。
縁之丞も同じように、手元へ視線を落とす。
「どうしたの?」
「いや」
「何?」
「急に手が暇になったなと思って」
本子が小さく笑う。
「ずっと繋いでたから?」
「人が多かったからな」
「恋人繋ぎだったけどね」
「本子が変えたんだろ」
「嫌じゃなかったでしょ?」
「嫌じゃないって言った」
「ならいいよ」
本子は少し満足そうにメニューを開いた。
縁之丞は炭酸飲料。
本子は紅茶と、小さなケーキを注文する。
飲み物が運ばれてくると、本子は紅茶へ砂糖を入れながら縁之丞を見た。
「せっかくのデートだし」
「うん」
「恋人っぽい話、してみる?」
「例えば?」
「…………」
本子の手が止まる。
「分からない」
「俺も」
二人は顔を見合わせ、思わず笑った。
「恋人って、どんな会話するんだろうな」
「学校の話はしないのかな」
「するだろ」
「ゲームは?」
「恋人でもゲームくらいするんじゃない?」
「じゃあ、いつもと同じだね」
「そうなるな」
恋人らしい会話。
そう言われても、二人にはまったく思いつかなかった。
本子は紅茶を一口飲み、しばらく考える。
「お互いの好きなところを言うとか?」
「急に難しくなったな」
「恋人らしいでしょ」
「本子、俺の好きなところあるの?」
「あるよ」
あまりにも迷いのない返事に、縁之丞は少し驚いた。
「例えば?」
「優しいところ」
「普通だな」
「困ってる人を放っておけないところ」
「剣道部のこと?」
「それも」
本子は指を折りながら続ける。
「何だかんだ言いながら、私のお願いも聞いてくれる」
「断っても勝手にやるだろ」
「ちゃんと私を見てくれてる」
「毎日隣にいるからな」
「そういうところだよ」
本子が微笑む。
縁之丞は、少しだけ居心地が悪そうに視線を逸らした。
「……次、縁之丞の番」
「俺も言うの?」
「私だけ言うのは不公平でしょ」
縁之丞は腕を組み、本子の好きなところを考える。
「優しい」
「同じじゃん」
「俺のことをよく分かってる」
「幼馴染だからね」
「忘れ物した時に助けてくれる」
「それは縁之丞がちゃんとして」
「あとは」
縁之丞は本子の顔を見る。
「一緒にいて楽」
本子が小さく目を見開いた。
「楽?」
「ああ」
「無理に話さなくてもいいし」
「何してても気を遣わないし」
「本子が隣にいるのが、一番普通だから」
本子は少しだけ黙った。
褒め言葉としては、華やかさがない。
可愛いとも、特別だとも言われていない。
それでも。
縁之丞らしい言葉だと思った。
「それ、好きなところ?」
「違う?」
「……ううん」
本子は頬を緩める。
「嬉しい」
「そっか」
「うん」
少しだけ、照れくさい沈黙が流れた。
◇
本子は運ばれてきたケーキをフォークで小さく切った。
「じゃあ、次」
「まだあるの?」
「恋人って、『好き』とか言うんじゃない?」
縁之丞が固まる。
「言うの?」
「多分」
「また多分か」
「試してみる?」
「ここで?」
「小さい声なら聞こえないよ」
「聞かれたらどうするんだよ」
「付き合ってると思われるだけ」
「付き合ってないだろ」
「今は恋人ごっこ中」
「ややこしいな」
本子は笑いながら、姿勢を少しだけ正した。
「ほら」
「本当にやるの?」
「嫌ならやめる?」
そう言われると、逃げるのも少し悔しい。
縁之丞も座り直し、本子と向き合った。
「じゃあ、本子から」
「私から?」
「言い出したの、本子だろ」
「分かった」
本子は一度だけ息を吸う。
目の前にいるのは、赤ん坊の頃から知っている縁之丞。
これまでにも、好きだと思ったことは何度もある。
家族のように。
親友のように。
大切な幼馴染として。
けれど今は。
恋人として言う。
そう考えた瞬間、急に言葉が重くなった。
「……縁之丞」
「何?」
「好き」
本子は小さな声で言った。
縁之丞の胸が、わずかに鳴る。
ただの練習。
恋人ごっこの一つ。
分かっているのに、普段より本子の顔を見ていられなかった。
「次、縁之丞」
「ああ」
縁之丞も少し迷った後、本子を見る。
「本子」
「うん」
「……好き」
「…………」
「…………」
言葉が途切れる。
店内には、食器の触れ合う音と、他の客の会話が流れている。
それなのに。
二人の間だけが、妙に静かになったように感じられた。
「どう?」
本子が尋ねる。
「何が?」
「恋人っぽかった?」
「分からない」
「私も」
「でも」
縁之丞は炭酸飲料へ手を伸ばす。
「少し照れるな」
「うん」
「本子は?」
「すごく照れた」
「じゃあ、成功?」
「何が?」
「恋人らしいこと」
「どうだろう」
二人は再び顔を見合わせる。
そして、どちらからともなく笑った。
笑った後も。
先ほどの「好き」という言葉だけが、二人の胸へ小さく残っていた。
◇
結局。
その後の話題は、いつものものばかりだった。
「今日の服屋、どうだった?」
「もう縁之丞には服を選んでもらわない」
「まだ怒ってるの?」
「地味って言ったから」
「本子っぽいって褒めたんだけど」
「地味なところが、でしょ」
「落ち着いてるって言い直しただろ」
「私が教えた後にね」
「次はちゃんと言う」
「次もあるんだ」
「試験するんだろ?」
「覚えてたんだ」
学校。
ゲーム。
宿題。
先生。
漫画の新刊。
次に行われるゲームの大型更新。
「新しい装備、追加されるらしいよ」
「本子には使いこなせないだろ」
「どうして?」
「説明読まずに装備するから」
「見た目が可愛ければいいの」
「性能も見ろよ」
「縁之丞が強い装備を教えて」
「自分で調べろ」
「仮の彼氏なのに冷たい」
「恋人ごっことゲームは別」
「宿題の時も言ったね」
「何でも頼ろうとするからだろ」
「縁之丞も私に頼ってるよ」
「何を?」
「朝起こすこと」
「頼んだ覚えないけど」
「電話しなかったら寝坊するでしょ」
「起きるよ」
「今日も電話で起きたよね?」
「……ありがとうございます」
本子は満足そうに頷いた。
気づけば。
二人は恋人らしい会話をしようとしていたことさえ忘れ、いつもの調子で話し続けていた。
◇
本子は話の途中で、縁之丞の飲み物へ手を伸ばした。
「一口ちょうだい」
「自分の紅茶あるだろ」
「炭酸も飲みたい」
「勝手に飲めば」
「じゃあ、いただきます」
本子は縁之丞のグラスを引き寄せ、同じストローへ口をつけた。
炭酸飲料を一口飲む。
「甘い」
「本子の紅茶も甘いだろ」
「あれは砂糖の甘さ」
「同じじゃないの?」
「違うの」
本子はグラスを戻しかけて、ふと指を止めた。
先ほど自分が口をつけたストロー。
その前には、縁之丞が何度も飲んでいる。
「……どうした?」
「何でもない」
「また?」
「何でもないから」
本子は少しだけ頬を赤くしながら、グラスを縁之丞の前へ戻した。
縁之丞は不思議そうな顔をした後、そのまま同じストローから飲む。
本子の視線が、思わず縁之丞の口元へ向いた。
「何?」
「何でもないって」
「さっきから見てるけど」
「見てない」
「見てただろ」
「気のせい」
本子は誤魔化すように、自分のケーキを口へ運んだ。
以前なら。
同じストローで飲むことなど、何も気にしなかった。
今も、わざわざ避けようとは思わない。
けれど。
何も感じていないわけではなくなっていた。
それでも二人は、昔から変わらない行動なのだからと、深く考えなかった。
◇
夕方。
二人は喫茶店を出て、駅前を歩いていた。
日が傾き、休日の人混みも少しずつ落ち着き始めている。
「これ」
本子が尋ねる。
「デートになってる?」
「多分」
「服を見て、本を買って、お茶しただけだよ」
「普通のデートも、そんな感じじゃないの?」
「知らない」
「なら、成功でいいだろ」
「適当だね」
「楽しかった?」
「うん」
「俺も楽しかった」
「じゃあ、成功かな」
本子が笑う。
やっていることは、いつもの外出と変わらない。
けれど。
今日は互いの服を褒め。
恋人繋ぎをして。
好きだと言い合った。
ほんの少しだけ、いつもとは違っていた。
人の多い場所へ差しかかると、縁之丞は自然に本子の手を握った。
本子も何も言わず、その手を握り返す。
少し歩いた後。
本子は、繋いだ指を動かした。
普通の手繋ぎから、恋人繋ぎへ変える。
縁之丞も驚かずに、指を絡め返した。
「今日は、こっちなんだな」
「デートだから」
「もう帰りだけど」
「家へ帰るまでがデートです」
「遠足みたいに言うなよ」
「似たようなものじゃない?」
「違うと思う」
「何が違うの?」
「分からないけど」
「縁之丞も分からないんじゃん」
二人は顔を見合わせ、笑った。
「普通だな」
縁之丞が言う。
「普通だね」
本子も答える。
恋人らしいことをしたはずなのに。
一日を終えて残ったのは、昔から変わらない居心地のよさだった。
結局。
二人は、いつもの二人だった。
けれど。
喫茶店で言い合った「好き」という言葉を。
二人とも、何度も思い返していた。
繋いだ手の温かさも。
同じストローを使った時の小さな緊張も。
昨日までなら、すぐに忘れていたはずのことが。
なぜか、いつまでも胸へ残っている。
まだ二人は気づいていない。
いつも通りだと思っている、その毎日が。
少しずつ。
本当に少しずつ、変わり始めていることに。




