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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第17話 久しぶりの竹刀

 放課後。


 高等部の剣道場では、大会を目前に控えた部員たちが練習の準備を進めていた。


 縁之丞は部長から借りた防具を確認しながら、道場の隅へ腰を下ろしている。


 その姿を見て、一年生たちは小声で話し始めた。


「あの人が、今日来るって言ってた助っ人?」


「らしいよ」


「帰宅部なんだよな?」


「高校では、剣道部に入ってないって聞いた」


 一年生たちは顔を見合わせる。


 縁之丞は眠そうな顔をしている。


 身体も、剣道部員のように大きいわけではない。


 どこから見ても、ごく普通の男子高校生だった。


「本当に強いのか?」


「中学の頃は有名だったらしいけど」


「でも、もう何か月も練習してないんだろ?」


「毎日練習してる俺たちより、帰宅部を優先するのはどうなんだよ」


「助っ人っていうか、人数合わせじゃないの?」


 そんな声を聞いていた二、三年生たちは、苦笑しながら顔を見合わせた。


「俺たちも、最初はそう思ってたよ」


「でも、一回見れば分かる」


 一年生が首を傾げる。


「見れば分かるって?」


「そのままの意味」


「そんなに強いんですか?」


「まあ……」


 二年生の部員は、道場の隅に座る縁之丞を見た。


「始まれば、すぐ分かるよ」


 少し離れた場所では、本子が正座をして練習を見学していた。


 縁之丞が剣道をする姿を見るのは、久しぶりだった。


 中学の大会以来かもしれない。


 普段は面倒くさがりで、何をするにも気の抜けている幼馴染。


 だが。


 竹刀を持った縁之丞が、普段とはまるで違うことを、本子はよく知っていた。



「霧島」


 顧問が縁之丞へ声をかける。


「久しぶりだそうだな」


「はい」


「身体は動きそうか?」


「多分」


「多分か」


「やってみないと分かりません」


 縁之丞は立ち上がり、防具を身につけ始めた。


 胴。


 垂れ。


 面を被り、最後に小手を締める。


 そして、床へ置いていた竹刀を握った。


 その瞬間。


 縁之丞の立ち姿が変わった。


 先ほどまでわずかに丸まっていた背筋が、真っ直ぐに伸びる。


 足の幅。


 腰の位置。


 竹刀を握る両手。


 どこにも余計な力が入っていない。


 それでいて、わずかな隙も見当たらなかった。


 竹刀の切っ先が、静かに正面を捉える。


 先ほどまで話していた一年生たちの声が、自然と止まった。


「……何か、雰囲気変わってない?」


「さっきと同じ人だよな?」


「構えただけなのに」


 顧問は腕を組み、静かに頷いた。


「なるほど」


 立ち姿を見るだけで分かる。


 長く剣道を続けてきた者の構え。


 しかも、ただ形が整っているだけではない。


 相手がどこから打ち込んできても、即座に対応できる位置へ立っている。


「これが、霧島縁之丞か」


 顧問の呟きを聞き、部長が口元を緩めた。


「やっぱり、鈍ってないな」


 本子もまた、竹刀を構える縁之丞から目を離せずにいた。


 まだ何もしていない。


 ただ立っているだけ。


 それなのに、普段の縁之丞とは別人のように見えた。



「お願いします!」


 最初に縁之丞と向かい合ったのは、一年生の部員だった。


 先ほど、帰宅部を助っ人にすることへ不満を口にしていた一人である。


 二人が礼を交わす。


 竹刀を構え、互いに間合いを測る。


「始め!」


 顧問の声が響いた。


 一年生は、すぐには動かなかった。


 縁之丞の実力を疑っていたとはいえ、構えを見れば不用意に踏み込めない。


 竹刀をわずかに動かし、縁之丞の反応を探る。


 だが。


 縁之丞は動かない。


 切っ先だけが、静かに一年生の中心を捉え続けている。


(どこから打つ?)


(面か)


(小手か)


 一年生は迷った。


 そして、縁之丞の竹刀がほんのわずかに下がったように見えた瞬間。


 面を狙い、勢いよく踏み込んだ。


 その時には。


 縁之丞は、すでに動いていた。


 乾いた音が、道場へ響く。


「面!」


 一年生の竹刀が届くよりも早く。


 縁之丞の竹刀が、正確に面を捉えていた。


「一本!」


 顧問が声を上げる。


 一年生は、何が起きたのか分からないまま動きを止めた。


「……え?」


 踏み込んだはずだった。


 相手が動いたところも見えていた。


 それなのに、自分の竹刀が届く前に打たれていた。


 見学していた部員たちがざわつく。


「今の、見えた?」


「打ったのは見えたけど……」


「何であんなに早く入れたんだ?」


「霧島先輩、後から動いたよな?」


「いや」


 顧問が静かに首を横へ振った。


「霧島は、後から動いたんじゃない」


 部員たちが顧問を見る。


「あの一年生が、打とうと決めた瞬間には動いていた」


「決めた瞬間?」


「剣道では、身体が動く前に必ず予兆が出る」


 呼吸。


 重心。


 足先。


 肩へ入る力。


 本人すら意識していない、わずかな変化。


「霧島は、その起こりを読んでいる」


 だから、相手が竹刀を振り上げた時には。


 縁之丞は、すでに打つための動作へ入っている。


「単純に速いだけではない」


「相手より先に、動き始めているんだ」


 道場が静まり返った。



「もう一本、お願いします!」


 一年生が悔しそうに竹刀を構え直す。


 今度は、先ほどのように簡単には踏み込まない。


 縁之丞の竹刀を押さえ、中心を外そうとする。


 小手を狙うように見せ。


 そこから面へ切り替えようとした。


 だが。


 竹刀を動かした瞬間、縁之丞が間合いへ入る。


「小手!」


 鋭い音。


 今度も、一年生は何もできなかった。


「一本!」


「ありがとうございました」


 縁之丞は竹刀を下ろし、礼をする。


 一年生も慌てて礼を返した。


「ありがとうございました……」


 その声からは、先ほどまでの不満が完全に消えていた。


 続いて、二年生が前へ出る。


「お願いします!」


 二年生は、一年生よりも慎重だった。


 縁之丞の間合いへ、簡単には入らない。


 何度も足を動かし、左右から揺さぶりをかける。


 それでも。


「胴!」


 わずかに竹刀が上がった瞬間、胴を抜かれた。


 さらに三年生。


 縁之丞と中学時代から面識のある部員が相手になる。


「久しぶりに一本取らせてもらうぞ」


「前にも取られたことないだろ」


「今日は鈍ってるかもしれない」


「期待しない方がいいぞ」


「言ったな」


 三年生が鋭く踏み込む。


 面。


 小手。


 連続して打ち込み、縁之丞を下がらせようとする。


 縁之丞は最小限の動きで竹刀を受け流す。


 大きく下がらない。


 姿勢も崩れない。


 相手が三度目の打ち込みへ移ろうとした瞬間。


 縁之丞は、その中心を真っ直ぐに打ち抜いた。


「面!」


「一本!」


 三年生は竹刀を下ろし、悔しそうに息を吐いた。


「やっぱり無理か」


「前より少し速くなった?」


「毎日練習してるからな」


「そうか」


「何で帰宅部に褒められてるんだ、俺は」


 周囲から笑い声が上がった。


 だが。


 その後も、誰一人として縁之丞から一本を取ることはできなかった。



 一通りの稽古を終え、縁之丞は面を外した。


 額には汗が浮かび、少しだけ呼吸が乱れている。


 縁之丞は手の甲で汗を拭いながら、竹刀を眺めた。


「久しぶりだから、少し遅れたな」


 その一言に。


 道場中の視線が縁之丞へ集まった。


「どこがだよ!」


「十分速すぎます!」


「誰も一本取れてないんですけど!」


「帰宅部って何なんですか!」


 一斉にツッコミが飛んでくる。


 縁之丞は、不思議そうに首を傾げた。


「でも、中学の時より身体が動いてないぞ」


「比較対象がおかしいんですよ!」


「これで鈍ってるなら、全盛期は何だったんですか!」


「今より少し速かった」


「答えになってない!」


 道場へ大きな笑い声が響く。


 その時。


 最初に縁之丞と稽古をした一年生が、何かを思い出したように声を上げた。


「あっ!」


 全員が振り返る。


「俺、この名前を聞いたことあります!」


「今さらか?」


「霧島縁之丞!」


 一年生は興奮した様子で縁之丞を指差す。


「中学の大会で、相手校から『今年は個人戦に出ないでくれ』って冗談で頼まれてた人ですよね!?」


 一瞬。


 道場が静まり返った。


 全員の視線が、再び縁之丞へ向く。


 縁之丞は困ったように頭をかいた。


「それは大げさだよ」


「やっぱり違うんですか?」


「正式に言われたわけじゃない」


 部員たちが、ほっと息を吐く。


「何だ」


「さすがに、そこまでは――」


「練習試合の後に『大会では別の選手を出してくれ』って頼まれたことは、何回かあるけど」


「あるのかよ!」


 再び、道場中から大きなツッコミが飛んだ。


 縁之丞は耳を押さえながら眉を寄せる。


「声が大きい」


「誰のせいだと思ってるんですか!」


「帰宅部だと思って疑って、すみませんでした!」


「別に気にしてないよ」


「でも、どうして高校で剣道部に入らなかったんです?」


 一年生に尋ねられ、縁之丞は少し考えた。


「毎日練習するのが面倒だったから」


「理由が台無しだ!」


 今度は、顧問まで額へ手を当てた。


「才能の使い方を、もう少し考えろ」


「大会には出るので許してください」


「今回だけではなく、入部する気は?」


「ないです」


「即答か」


 部長が悔しそうに肩を落とす。


「大会が終わっても、たまに来てくれないか?」


「気が向いたら」


「絶対来ないやつだ!」


 道場には、再び笑い声が広がった。



 本子は少し離れた場所から、その様子を見つめていた。


 普段の縁之丞は、面倒くさがりで。


 少しだらしなくて。


 教室では、いつも眠そうにしている。


 宿題もぎりぎりまでやらない。


 忘れ物をすれば、当然のように本子を頼る。


 けれど。


 竹刀を握った縁之丞は、まるで別人だった。


 構えた姿には、わずかな隙もない。


 相手がどれほど速く動いても、その先を見ている。


 静かで。


 鋭くて。


 それでいて、勝ったことを誇る様子もない。


 中学時代にも、何度も見てきた姿だった。


 だから。


 今さら驚くようなことではない。


 そのはずなのに。


 本子は、竹刀を持つ縁之丞から目を離せなかった。


(剣道してる縁之丞って)


 胸の奥が、少しだけ落ち着かなくなる。


(やっぱり、格好いいな)


 そう思った瞬間。


 本子の頬が、わずかに熱くなった。


「本子?」


 稽古を終えた縁之丞が、こちらへ近づいてくる。


「どうした?」


「何でもない」


「顔赤くない?」


「道場が暑いだけ」


「本子、何もしてないだろ」


「見てるだけでも暑いの」


「そういうもの?」


「そういうもの」


 本子は縁之丞から顔を逸らした。


 剣道をしている縁之丞が格好いい。


 それ自体は、昔から知っていた。


 けれど。


 恋人ごっこを始めてから見るその姿は。


 今までよりも、ほんの少しだけ特別に見えた。

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