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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus文庫


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第16話 帰宅部の元剣道部

 昼休み。


 縁之丞は、自分の机へ突っ伏したまま眠っていた。


 本子は弁当を持って近づくと、呆れたようにその背中を見下ろす。


「また寝てる」


「眠い」


「まだ何も言ってないのに返事した」


「本子の声だったから」


「寝てても分かるんだ」


「毎日聞いてるからな」


 本子は一瞬だけ口元を緩める。


 しかし、すぐに縁之丞の肩を軽く叩いた。


「起きて。お昼食べるよ」


「あと五分」


「昼休み終わるよ」


「じゃあ、三分」


「駄目」


 本子がもう一度肩を揺すると、縁之丞は仕方なく顔を上げた。


 大きな欠伸を一つする。


「帰宅部は暇でいいね」


「本子も帰宅部だろ」


「私はちゃんと帰宅部してるもん」


「帰宅部に『ちゃんと』ってあるのか?」


「あるの」


「初めて聞いた」


「授業が終わったら、真っ直ぐ帰る」


「俺も帰ってるだろ」


「たまに教室で寝てる」


「放課後まで寝てたら、起こしてくれるだろ?」


「私がいる前提なの?」


「違うの?」


 本子は少しだけ眉を寄せる。


「……違わないけど」


「なら大丈夫」


「威張らないでよ」


 縁之丞は再び机へ頬をつけた。


「暇だから帰宅部なんだよ」


「部活へ入りたいと思わなかったの?」


「毎日練習するの、面倒だろ」


「縁之丞らしいね」


「本子も入ってないじゃん」


「私は家で習い事があるから」


「俺も家で剣術やってるけど」


「最近、さぼってるでしょ」


「何で知ってるんだよ」


「おじさんが言ってた」


「親同士で情報共有するのやめてほしい」


 本子が楽しそうに笑う。


 その時だった。


 教室の入口が、急に騒がしくなった。


「いた!」


 大きな声と共に、数人の男子生徒が教室へ入ってくる。


 全員、剣道部の部員だった。


 先頭に立っていたのは、中等部時代の二つ上の先輩。


 現在の高等部剣道部で、部長を務めている男子生徒だった。


「霧島!」


 名前を呼ばれた縁之丞は、机へ伏せたまま顔だけを上げた。


「嫌です」


「まだ何も言ってない!」


「大会へ出てくれって話ですよね」


 部長は思わず足を止めた。


「……何で分かった」


「顔に書いてあります」


「そんなに分かりやすいか?」


「この時期に剣道部が集団で来る理由、それ以外にあります?」


「入部の勧誘かもしれないだろ」


「入学してから何回断ったと思ってるんですか」


「三回」


「数えてるんですね」


「諦めてないからな」


 教室のあちこちから、興味を持ったクラスメイトたちの声が上がった。


「知り合い?」


「霧島って、剣道やってたの?」


「帰宅部じゃなかった?」


 縁之丞が剣道をしていた姿を知らない生徒たちは、不思議そうにこちらを見ている。


 本子だけは、剣道部員たちが縁之丞を頼ってきた理由を知っていた。


 縁之丞は今でこそ帰宅部だが、中学までは剣道部に所属していた。


 霧島家では、幼い頃から剣術を学ぶ慣例がある。


 縁之丞も物心がついた頃には木刀を握り、小学校へ入ると同時に剣道を始めた。


 構えには、ほとんど無駄がない。


 相手との間合いを読むのが異様に早い。


 剣先のわずかな動き。


 足の向き。


 呼吸の変化。


 相手が打ち込もうと力を込めた瞬間には、縁之丞はすでにその先を読んでいた。


 中学三年生になる頃には、地区の剣道部で縁之丞の名を知らない者はいなかった。


 大会の組み合わせが発表されるたび、


「霧島がいる学校と当たる」


「先鋒に出てくるのか?」


「それとも大将か?」


 そんな会話が交わされた。


 縁之丞自身は、勝つことへ強く執着していたわけではない。


 家の慣例で始めた剣道を、そのまま続けていただけ。


 試合へ出れば勝つ。


 勝てば仲間や家族が喜ぶ。


 だから、頼まれるまま試合へ出ていた。


 けれど。


 高校へ進学してからも、毎日道場へ通いたいと思うほど、剣道が好きだったわけではない。


 中学卒業を機に剣道部を辞め、高校では帰宅部を選んだ。


 それでも。


 縁之丞の実力を知っている者たちは、簡単には諦めてくれなかった。


 部長が縁之丞の机の前まで来ると、両手を合わせる。


「頼む」


「嫌です」


「先鋒がインフルエンザなんだ」


「お大事に」


「来週、県大会予選がある」


「頑張ってください」


「ここで負けたら終わりなんだ!」


「大会だから当然でしょう」


「冷たくないか!?」


 部長は机へ両手をついた。


「団体戦だけでも出てくれ」


「俺、帰宅部なんですけど」


「知ってる!」


「防具も部室へ置いてないですよ」


「予備がある!」


「竹刀もないです」


「用意する!」


「練習へ毎日行く気もないです」


「毎日は来なくていい!」


「それ、部員としてどうなんですか?」


「今回だけ助っ人でいい!」


「剣道部としての誇りは?」


「こっちも背に腹は代えられないんだ!」


 縁之丞は面倒そうに頭をかいた。


「他にも部員いるでしょう」


「いる」


「なら、その人が出ればいいじゃないですか」


「そう簡単に言うな!」


「部長が部員を信じなくてどうするんです?」


「信じている!」


「じゃあ大丈夫でしょう」


「信じているが、それと勝てるかどうかは別だ!」


「最低なこと言ってますよ」


 周囲のクラスメイトたちから、小さな笑い声が上がった。


 部長はそれでも諦めない。


 何度も頭を下げる。


「頼む、霧島」


「お前が一人入るだけで、試合の組み方が全部変わるんだ」


「大将でも先鋒でもいい」


「相手が、お前を警戒してくれるだけでも違う」


「そんなに期待されても困ります」


「お前以外に頼めるやつがいないんだ!」


 その時。


 部長の後ろに立っていた部員の一人が、前へ出た。


 中等部時代、縁之丞と同じ剣道部で戦っていた同級生だった。


「頼む、縁之丞」


 先ほどまで面倒そうにしていた縁之丞が、わずかに顔を上げる。


「お前まで来たのか」


「ああ」


「先鋒が出られなくなって、今のままじゃ五人揃わない」


「補欠は?」


「昨日、練習中に足を痛めた」


「運悪すぎない?」


「俺たちもそう思ってる」


 同級生は苦笑した。


 だが、すぐに真剣な表情へ戻る。


「中学の頃、一緒に全国を目指しただろ」


「行けなかったけどな」


「だから今度こそって、みんな頑張ってきたんだ」


「俺はもう部員じゃない」


「分かってる」


 同級生は真っ直ぐ縁之丞を見る。


「今回だけ、力を貸してくれ」


「勝手な頼みなのは分かってる」


「でも、お前が必要なんだ」


 縁之丞は答えず、しばらく相手の顔を見つめていた。


 かつて同じ道場で汗を流した仲間。


 一緒に勝ち。


 一緒に負けた相手。


 剣道そのものに未練はない。


 けれど。


 真剣に頼ってくる仲間を、簡単に見捨てることもできなかった。


 本子は何も言わず、隣でその様子を見守っている。


 縁之丞が面倒くさがりなのは知っている。


 剣道部へ戻る気がないことも知っている。


 けれど。


 誰かに本気で頼られた時、最後まで断り切れないことも、本子は昔から知っていた。


 やがて縁之丞は、大きく息を吐いた。


「……今回だけだからな」


 一瞬。


 剣道部員たちは、言葉の意味を理解できず固まった。


 次の瞬間。


「ありがとう!」


「助かった!」


「これで勝てる!」


 教室へ大きな歓声が上がった。


「声が大きい!」


 縁之丞は慌てて周囲を見回す。


 クラスメイトたちは、何事かとこちらを見ていた。


「そんな大げさな」


「大げさじゃない!」


「霧島が出るなら、相手校も相当警戒するぞ」


「しばらく竹刀も握ってないんだけど」


「お前なら大丈夫だ!」


「その根拠のない信頼、怖いんですけど」


 縁之丞は困ったように頭をかく。


 その隣で、本子は小さく笑っていた。


「何だよ」


「別に」


「何で笑ってるんだ?」


「縁之丞らしいなって」


「どこが?」


「結局、断れないところ」


「別に、断れなかったわけじゃない」


「じゃあ、どうして引き受けたの?」


「……困ってたから」


「ほら」


 本子は満足そうに笑った。


 縁之丞は何も言い返せず、再び頭をかいた。



 放課後。


 縁之丞は、久しぶりに高等部の剣道場の前へ立っていた。


 教室では簡単に引き受けたものの、道場を前にすると、中学時代の記憶が少しずつ蘇ってくる。


 毎日のように聞いた掛け声。


 竹刀同士がぶつかる乾いた音。


 防具の中へ籠もる熱気。


 試合前の、張り詰めた静けさ。


「本当に久しぶりだな」


 縁之丞が呟く。


「緊張してる?」


 後ろから本子の声が聞こえた。


 縁之丞が振り返る。


「何で本子までいるんだよ」


「見学」


「帰宅部はちゃんと帰るんじゃなかったのか?」


「今日は特別」


「俺がさぼらないか見張り?」


「それもある」


「信用ないな」


「あと」


 本子は少しだけ笑う。


「久しぶりに、縁之丞が剣道するところを見たくなったから」


「見ても面白くないぞ」


「私が決めることだよ」


「そうですか」


 縁之丞は道場の扉へ手をかけた。


 開いた瞬間。


 木の香りと、わずかに汗の混じった懐かしい空気が流れてくる。


 床を踏み込む音。


 部員たちの掛け声。


 壁際へ並べられた竹刀。


 場所は中等部の道場とは違う。


 それでも、漂う空気は何も変わらなかった。


「霧島、来たか!」


 部長が嬉しそうに駆け寄ってくる。


「約束しましたから」


「防具は用意してある」


「本当に全部用意したんですね」


「逃がすわけにはいかないからな」


「怖いな」


 縁之丞は渡された防具の横に置かれていた竹刀へ手を伸ばした。


 一本を選び、軽く持ち上げる。


 握った瞬間。


 久しく触れていなかったはずの感触が、不思議なほど自然に手へ馴染んだ。


 指の位置。


 力の入れ方。


 竹刀の重さ。


 すべてを身体が覚えている。


 縁之丞は軽く構え、竹刀の先を見つめた。


 先ほどまで教室で眠そうにしていた顔から、少しずつ気の抜けた雰囲気が消えていく。


 本子は、その変化を道場の入口から静かに見つめていた。


「……懐かしいな」


 縁之丞は小さく呟く。


 そして。


 竹刀を握ったまま、静かに道場の中へ足を踏み入れた。

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