第11話 今日から恋人ごっこ
恋人ごっこをしてみる。
二人でそう決めた途端。
縁之丞と本子の間に、照れくさい沈黙が流れた。
「…………」
「…………」
先ほどまで普通に話していたはずなのに。
急に、何を言えばいいのか分からなくなる。
本当の恋人になるわけではない。
互いの気持ちを確かめるため、恋人の真似をしてみるだけ。
それでも。
今から目の前にいる相手を、仮とはいえ恋人として意識することになる。
本子は誤魔化すようにアイスティーへ口をつけた。
縁之丞も炭酸飲料へ手を伸ばす。
しばらくして。
本子が、そっとグラスを置いた。
「それで」
「うん?」
「いつから始めるの?」
「いつからって?」
「恋人ごっこ」
縁之丞は首を傾げた。
「今からじゃないの?」
「もう始まってるの?」
「始めるって決めたんだから、始まってるだろ」
「そうなのかな」
「違うの?」
「分からない」
二人は顔を見合わせた。
恋人になる時には、何か分かりやすいきっかけがあると思っていた。
告白をして。
相手が受け入れて。
その瞬間から恋人になる。
けれど二人は、互いを好きだと確かめたわけではない。
ただ、好きかどうかを知るために恋人の真似をすることを決めただけだった。
「じゃあ」
本子が尋ねる。
「今の私たちは何?」
「幼馴染」
「それは変わらないよ」
「じゃあ、恋人ごっこ中の幼馴染」
「長いね」
「仮の恋人?」
「それだと、ちょっと本物っぽい」
「本物じゃないの?」
「ごっこだから」
「難しいな」
「始めたばかりなのに?」
二人は思わず笑った。
少しだけ、緊張が和らぐ。
「それで」
縁之丞が尋ねる。
「恋人ごっこって、何をすればいいんだ?」
「それを今から試すんでしょ」
「最初は?」
「…………」
本子は考え込む。
デート。
手を繋ぐ。
一緒に食事をする。
二人きりで過ごす。
先ほど挙げたものは、ほとんど昔から経験している。
「何かないの?」
「縁之丞も考えてよ」
「提案したのは本子だろ」
「最初に恋人未満から始めようって言ったのは縁之丞だよ」
「恋人ごっこって名前をつけたのは本子」
「責任の押しつけ合いやめる?」
「そうだな」
二人は再び考え込んだ。
やがて本子の視線が、テーブルの上に置かれた縁之丞の手へ向かう。
「……手」
「手?」
「繋いでみる?」
「ここで?」
「恋人らしいことを試すんでしょ」
「そうだけど」
縁之丞も、自分の手を見る。
これまで本子とは、何度も手を繋いできた。
幼い頃は、何の理由もなく。
少し大きくなってからは、人混みではぐれないように。
最近でも、本子が転びそうになった時には自然に手を取っている。
今さら、ためらうようなことではない。
そのはずだった。
「嫌?」
本子が尋ねる。
「嫌じゃない」
「じゃあ」
本子は、テーブルの上へ右手を差し出した。
縁之丞も手を伸ばす。
けれど。
互いの指先が触れる直前で、二人の動きが止まった。
「…………」
「…………」
「何で止まるの?」
「本子も止まっただろ」
「縁之丞が止まったから」
「本子の方が先だった」
「同時だよ」
「じゃあ、せーので繋ぐ?」
「手を繋ぐだけで?」
「今さらだよな」
「うん」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
「せーの」
声を揃え。
二人は、そっと手を重ねた。
縁之丞の手が、本子の手を包む。
いつもと同じ温かさ。
握り方も。
触れた感触も。
何一つ変わっていない。
けれど。
今は、恋人として手を繋いでいる。
そう考えただけで、普段よりも手のひらが熱く感じられた。
「……どう?」
本子が小さな声で尋ねる。
「少し変な感じ」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「私も」
二人は手を繋いだまま、互いの顔を見た。
普段なら、手を繋いだ程度で相手の表情を確かめたりはしない。
何も考えずに握り。
必要がなくなれば、自然に離していた。
今は。
いつまで繋いでいればいいのかさえ分からない。
「もう離す?」
縁之丞が尋ねる。
「縁之丞は離したい?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、このままでいいんじゃない?」
「飯、食べにくくない?」
「あ」
本子はテーブルの上を見る。
二人とも片手が塞がっている。
「確かに」
「離すか」
「うん」
どちらからともなく手を離す。
ほんの少ししか繋いでいなかったのに。
離した手のひらには、相手の温かさが残っていた。
本子は、自分の手を膝の上へ隠す。
縁之丞も、何となく炭酸飲料のグラスを持ち直した。
「これで」
本子が尋ねる。
「恋人ごっこ、始まった?」
「多分」
「また多分」
「他に始め方が分からないだろ」
「そうだね」
本子は小さく笑った。
「じゃあ、今日からよろしくね」
「何を?」
「恋人ごっこ」
「……ああ」
縁之丞は少しだけ照れながら答える。
「よろしく」
「仮の彼氏」
「その呼び方、恥ずかしくない?」
「ちょっと」
「じゃあ言うなよ」
「縁之丞も言って」
「何を?」
「仮の彼女」
「嫌だ」
「どうして?」
「恥ずかしいから」
「私には言わせたのに?」
「本子が勝手に言ったんだろ」
「不公平」
「一回だけだからな」
縁之丞は周囲に聞こえないよう、少しだけ声を落とした。
「よろしく。仮の彼女」
本子の表情が、少しだけ緩む。
「うん」
言わせた本人の方が、照れていた。
◇
ファミリーレストランを出ると、外は夕暮れに染まっていた。
二人は駅へ向かって並んで歩き始める。
距離は、いつもと同じ。
話す内容も、昨日までと変わらない。
「宿題やった?」
「まだ」
「明日提出だよ」
「帰ったらやる」
「絶対やらないでしょ」
「本子が教えて」
「恋人ごっこと宿題は関係ないから」
「仮の彼女、冷たくない?」
「さっき恥ずかしいって言ってたのに、もう使ってる」
「使えるものは使う」
「仮の彼氏がだらしないの」
「本子も使ってるじゃん」
二人は顔を見合わせて笑う。
恋人ごっこを始めても。
すぐに会話が変わるわけではない。
急に胸が高鳴り続けるわけでもない。
やはり、いつもの二人だった。
けれど。
信号の前で立ち止まった時。
本子は、そっと右手を差し出した。
「何?」
「さっき、すぐ離したから」
「また繋ぐの?」
「嫌?」
「嫌じゃない」
縁之丞は、差し出された手を握った。
店の中で繋いだ時よりも、今度は少しだけ自然だった。
「これでいい?」
「うん」
二人は手を繋いだまま、信号が変わるのを待つ。
「いつもと同じだな」
縁之丞が呟く。
「うん」
本子は繋いだ手を見つめる。
「でも、今日は恋人としてだから」
「ごっこだけどな」
「それでも」
本子は嬉しそうに笑った。
信号が青へ変わる。
二人は手を繋いだまま、横断歩道を渡り始めた。
昨日までと同じ相手。
昨日までと同じ手。
同じ帰り道。
それでも。
二人の間にある意味だけは、昨日までと少し違っている。
ずっと普通だった幼馴染との恋人ごっこが。
今日から、本当に始まった。




