SS 第5話 まだ帰りたくない
駅前を離れ。
縁之丞と本子は。
指を絡めたまま、家へ向かって歩いていた。
初めての。
本当の恋人としてのデート。
喫茶店へ行き。
買い物をして。
特別なことをしたわけではない。
それでも。
今日一日のすべてが。
昨日までとは少しだけ違って感じられた。
「今日」
本子が口を開く。
「楽しかったね」
「ああ」
「喫茶店も」
「ああ」
「買い物も」
「ああ」
「さっきから、それしか言ってないよ」
「本子も同じことしか言ってないだろ」
「だって」
本子は。
繋いだ手へ力を込める。
「何か話してないと」
「すぐ家に着いちゃうから」
縁之丞は。
前方へ視線を向けた。
二人が暮らす家は。
すでに見えている。
並んで建つ。
霧島家と鬼灯家。
幼い頃から。
何度も行き来してきた場所だった。
どちらかの家へ帰ったとしても。
会おうと思えば、すぐに会える。
窓から呼ぶだけでも。
声が届きそうな距離。
それでも。
今日は。
離れることが、少しだけ惜しかった。
◇
二人は。
霧島家と鬼灯家の前で足を止めた。
右へ進めば、霧島家。
左へ進めば、鬼灯家。
いつもなら。
ここで手を離す。
「じゃあ、また明日」
「うん」
それだけ言って。
それぞれの家へ入る。
けれど。
今日は。
どちらも手を離さなかった。
「着いたね」
本子が言う。
「ああ」
「私の家、あっち」
「知ってる」
「縁之丞の家は、こっち」
「何年、隣に住んでると思ってるんだよ」
「生まれた時から」
「じゃあ説明する必要ないだろ」
本子は。
鬼灯家の門を見る。
あそこへ入れば。
今日のデートは終わる。
明日の朝には。
また会える。
それでも。
本子の足は動かなかった。
「本子?」
縁之丞が尋ねる。
本子は。
絡めていた指を一度離す。
その代わりに。
縁之丞の制服の袖を掴んだ。
「まだ」
小さな声で言う。
「帰りたくない」
縁之丞の胸が。
大きく跳ねた。
「家、そこだけど」
「知ってるよ」
「帰っても、すぐ会えるだろ」
「それも知ってる」
「じゃあ」
「それでも」
本子は。
縁之丞の袖を握ったまま、顔を上げた。
「もう少しだけ」
「一緒にいたい」
縁之丞も。
同じ気持ちだった。
今日が終わるには。
まだ少し早い。
「うち、来る?」
本子の表情が。
僅かに明るくなる。
「いいの?」
「いつも来てるだろ」
「でも」
本子は。
少しだけ頬を赤くした。
「今日は、恋人として行くんだよ」
「また、その言い方するの?」
「だって、本当でしょ」
「そうだけど」
「嫌?」
「嫌じゃない」
縁之丞は。
本子へ手を差し出す。
本子は。
迷うことなく。
再び、その指へ自分の指を絡めた。
◇
霧島家の玄関を開ける。
「ただいま」
「お邪魔します」
二人は。
手を繋いだまま、家へ入った。
玄関には。
清之丞と楓の靴が並んでいる。
「もう帰ってるみたい」
本子が小声で言う。
「ああ」
「何か言われるかな」
「いつも本子が来ても、何も言わないだろ」
「今日は違うよ」
「何が?」
「恋人になってから」
本子は。
少しだけ声を小さくする。
「初めて来たから」
縁之丞も。
改めて、そのことを意識した。
昨日まで。
本子が自宅へ来ることに。
何の特別さも感じていなかった。
勝手に冷蔵庫を開けられても。
自分の部屋で寝られても。
ただの、いつものことだった。
けれど。
今日は。
本子が恋人として。
自分の家へ来ている。
「考えすぎだよ」
縁之丞は。
自分へ言い聞かせるように答えた。
二人で居間へ向かう。
「ただいま」
居間では。
仕事から帰った清之丞と楓が。
並んで茶を飲んでいた。
「お帰りなさい」
楓が、穏やかに答える。
「本子ちゃんも、いらっしゃい」
「お邪魔します」
本子が頭を下げる。
清之丞と楓は。
二人を見る。
正確には。
まだ繋がれたままの手を見る。
それから。
互いに顔を見合わせた。
清之丞の口元が。
僅かに緩む。
楓も。
楽しそうに目を細めた。
「何?」
縁之丞が尋ねる。
「何も」
楓が答える。
「笑ってるじゃん」
「嬉しそうだと思って」
「誰が?」
「二人とも」
「普通だよ」
「そう?」
楓は。
本子へ視線を向ける。
「本子ちゃん」
「はい」
「今日のデートは楽しかった?」
本子の肩が。
僅かに跳ねた。
「何で知ってるんですか?」
「彩葉さんから連絡が来たの」
「お母さん……」
「今日は」
楓は。
柔らかく笑う。
「本当の恋人として」
「初めてのデートになるかもしれないって」
本子の顔が。
みるみる赤くなっていく。
「何で、そこまで話すの……」
「母親同士は」
清之丞が言う。
「何でも共有するものらしい」
「お父さんも聞いてるじゃん」
「同じ居間にいたからな」
「聞かないふりしてよ」
「難しい相談だ」
◇
「それで」
清之丞は。
真面目な顔で縁之丞を見る。
「今日は」
「本子さんを帰宅させるんだろうな?」
「当たり前だろ!」
「何時まで一緒にいるつもりだ?」
「少しゲームして」
「それから帰る」
「送っていくのか?」
「送るよ」
清之丞は。
窓の外へ視線を向けた。
鬼灯家は。
すぐ隣に建っている。
「必要なのか?」
「隣でも送るんだよ!」
「玄関を出て」
「数歩、歩くだけだぞ」
「数歩でも送る!」
「恋人らしいな」
「からかうなよ!」
清之丞は。
どこまでも真面目な顔をしている。
けれど。
僅かに上がった口元が。
完全に面白がっていることを示していた。
「泊まっていくなら」
清之丞は続ける。
「隼人には、私から連絡を――」
「泊まらないから!」
本子が。
慌てて答えた。
「まだ、最後まで言っていない」
「言わなくていいです!」
「以前使った寝具も残っているが」
「黙れって!」
縁之丞の声が。
居間へ響き渡る。
「お父さん」
楓が。
呆れたように夫を見る。
「からかいすぎよ」
「私は」
清之丞は。
平然と茶を飲む。
「必要な確認をしているだけだ」
「絶対楽しんでるだろ!」
「息子の交際が順調なら」
「父親として喜ばしい」
「その顔で言うな!」
本子は。
縁之丞の隣で。
顔を赤くしながら俯いている。
楓は。
そんな二人を見て、柔らかく笑った。
◇
「二人とも」
楓が言う。
「縁之丞の部屋へ行くのでしょう?」
「うん」
縁之丞が答える。
「ゲームするだけだから」
「そう」
楓は。
穏やかに頷く。
「なら」
「扉は開けておいてね」
「何もしないから!」
縁之丞が。
反射的に答えた。
「何もするなんて」
「私は言っていないけれど?」
「その言い方が」
「何かすると思ってるだろ!」
「思っていないわよ」
楓は。
口元を手で隠しながら笑う。
「ただ」
「本子ちゃんは、もう恋人でしょう?」
「だからこそ」
「節度あるお付き合いをしないとね」
「分かってるよ!」
「本当に?」
「本当!」
「それなら」
楓は。
縁之丞の部屋がある二階を見る。
「扉を開けておいても」
「何も問題ないわよね?」
「うるさいな!」
清之丞が。
静かに頷く。
「母親の言うとおりだ」
「お父さんまで乗ってくるな!」
「本子さん」
清之丞は。
本子へ視線を向ける。
「縁之丞が不埒なことをした場合は」
「遠慮なく声を上げなさい」
「俺を何だと思ってるんだよ!」
本子は。
真っ赤な顔のまま。
小さく笑った。
「分かりました」
「本子も答えるなよ!」
◇
両親に笑われながら。
二人は、二階へ向かう。
階段を上がる途中。
本子が。
縁之丞の制服の袖を引いた。
「何?」
「縁之丞」
「本当に、何もしないの?」
縁之丞の足が。
階段の途中で止まる。
「何って」
「何?」
本子は。
少しだけ楽しそうに笑っていた。
「手を繋ぐとか」
「一緒にゲームするとか」
「そういうこと」
「紛らわしい言い方するなよ!」
「何を想像したの?」
「何も想像してない!」
「顔、赤いよ」
「本子もだろ!」
二人の声が。
一階の居間まで届く。
直後。
清之丞と楓の笑い声が聞こえてきた。
「全部聞こえてるから!」
縁之丞が。
階段の下へ向かって叫ぶ。
本子は。
隣で声を抑えながら笑っている。
「何で笑うんだよ」
「楽しいから」
「俺は疲れた」
「でも」
本子は。
縁之丞の手を握る。
「帰らなくてよかった」
縁之丞は。
繋がれた手を見る。
それから。
本子の指へ、自分の指を絡めた。
「俺も」
小さな声で答える。
二人は。
もう一度、手を繋いだまま。
縁之丞の部屋へ向かった。
恋人として。
初めて二人きりになるために。




