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ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus


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112/121

第111話 もう一度、家族として

 公園から帰った後。


 縁之丞は。


 自宅の居間で、両親と向かい合っていた。


 父の清之丞は。


 いつものように背筋を伸ばし。


 母の楓は。


 湯呑みを手に、穏やかな表情で座っている。


 二人とも。


 縁之丞が何かを話そうとしていることには。


 すでに気づいていた。


「話がある」


 縁之丞が口を開く。


「そうか」


 清之丞は、短く答えた。


 楓は何も言わず。


 続きを待っている。


 剣道の試合前とは違う緊張が。


 縁之丞の胸にあった。


 本子へ告白した時ほどではない。


 それでも。


 自分の気持ちを両親へ伝えることには。


 少しだけ照れがあった。


「本子と」


 一度、言葉を止める。


「付き合うことになった」


 楓は。


 驚くこともなく、柔らかく笑った。


「そう」


 湯呑みを静かに置く。


「ようやくなのね」


「ようやくって何だよ」


「そのままの意味よ」


「最初から分かってたみたいに言うな」


「分かっていたもの」


 楓は、当然のように答える。


「本子ちゃんの話をする時だけ」


「あなた、少し声が柔らかくなるから」


「そんなことない」


「あるわよ」


「ない」


「自分では分からないものなのね」


 縁之丞は、不満そうに眉を寄せた。


 その様子を見て。


 楓は、楽しそうに笑っていた。


     ◇


「縁之丞」


 清之丞が。


 真面目な声で名前を呼ぶ。


「何?」


「確認しておく」


 父の鋭い視線が。


 真っ直ぐに縁之丞へ向けられる。


「今度は」


「恋人ごっこではないんだな?」


「ああ」


 縁之丞は。


 迷わず頷いた。


「違う」


「本当に、本子さんと交際するということか?」


「ああ」


「許嫁だったからではなく?」


「違う」


「私たちに言われたからでもなく?」


「違う」


 清之丞は。


 息子の目を見たまま、さらに尋ねる。


「天音さんとの縁談を断ったのも」


「本子さんが理由か?」


「ああ」


「天音さんに、不満があったわけではないんだな?」


「何もない」


 縁之丞は。


 少しも迷わず答えた。


「綺麗で」


「強くて」


「武道にも真剣で」


「心から尊敬できる人だった」


「それでも」


 清之丞が尋ねる。


「本子さんを選んだのか?」


「ああ」


 弓香と出会い。


 別の未来を選ぶこともできた。


 彼女となら。


 互いを尊敬し合える、穏やかな家庭を築けたかもしれない。


 それでも。


 縁之丞が何年先にも隣にいてほしいと願った人は。


 本子だけだった。


「自分で選んだのか?」


 清之丞が、改めて尋ねる。


 縁之丞は。


 父の目を真っ直ぐに見返した。


「ああ」


「俺が、本子を選んだ」


 許嫁の話は。


 もう、なくなっている。


 家同士が決めた未来へ。


 従ったわけではない。


 その答えに。


 迷いはなかった。


 清之丞は。


 しばらく息子の顔を見つめていた。


 やがて。


 厳しかった表情を、僅かに緩める。


「なら」


 穏やかな声で言った。


「それでいい」


 縁之丞は。


 少しだけ目を見開く。


「それだけ?」


「他に何が必要だ?」


「もっと何か言われるかと思った」


「交際を始めるのは」


「お前と本子さんだ」


「私が口を挟むことではない」


 清之丞は。


 腕を組みながら続ける。


「ただし」


「本子さんを泣かせるようなことはするな」


「もう泣かせた」


 縁之丞は、正直に答えた。


「何?」


 清之丞の眉間に皺が寄る。


「告白したら泣いた」


「それは」


 清之丞は、一瞬だけ言葉に詰まる。


「嬉しくて泣いたんだよ」


「そうか」


「たぶん」


「たぶんとは何だ」


「本人に聞けよ」


「なぜ私が聞くんだ」


 楓が。


 耐え切れずに吹き出した。


「二人とも」


「真面目な顔で、何を話しているのよ」


     ◇


「お父さん」


 楓が、清之丞を見る。


「本当は嬉しいのでしょう?」


「当然だ」


 清之丞は、あっさりと認めた。


「本子さんは」


「幼い頃から知っている」


「気立てもよく」


「芯も強い」


「縁之丞には、もったいないほどだ」


「そこまで言う?」


「事実だ」


「父親なら、少しくらい息子を褒めろよ」


「剣道についてなら褒めてやる」


「それ以外は?」


「今後に期待する」


「ひどくない?」


 楓は、再び笑った。


 縁之丞も。


 呆れながら、僅かに口元を緩める。


「とにかく」


 清之丞は。


 改めて息子を見る。


「自分で選んだのなら」


「責任を持って、大切にしなさい」


「ああ」


「相手は幼馴染である前に」


「一人の女性だ」


「分かってる」


「本当に?」


「分かってるよ」


 今までとは違う。


 本子が隣にいることを。


 ただ、当たり前だと思ってはいけない。


 離れて初めて。


 縁之丞は、そのことを知った。


「本子を大切にする」


 縁之丞が言う。


 清之丞は。


 満足したように頷いた。


     ◇


 一方。


 同じ頃。


 鬼灯家でも。


 本子は、両親と向かい合っていた。


「お父さん」


「お母さん」


「話があるの」


 隼人と彩葉が。


 同時に娘を見る。


「縁之丞君のこと?」


 彩葉が尋ねた。


「何で分かったの?」


「顔を見れば分かるわよ」


 彩葉は、楽しそうに微笑む。


「嬉しいことがあった顔をしているもの」


 本子は。


 思わず、自分の頬へ手を当てた。


「そんなに出てる?」


「ものすごく」


「嘘」


「本当よ」


「隠せてると思ったのに」


「帰ってきてから、ずっと笑っているわ」


 本子は。


 慌てて口元を引き締める。


 けれど。


 すぐに、また頬が緩んでしまった。


 彩葉は。


 そんな娘を見て、さらに笑みを深める。


「それで?」


「どうなったの?」


 本子は。


 少し恥ずかしそうに視線を逸らした。


「縁之丞と」


 小さく息を吸う。


「付き合うことになった」


「まあ」


 彩葉は。


 嬉しそうに両手を合わせた。


 そして。


 本子が反応するよりも早く立ち上がり。


 娘を強く抱きしめる。


「よかったわね」


「お母さん、苦しい」


「少しくらいいいでしょう?」


「よくない」


「本子が」


「ちゃんと自分で選べたことが嬉しいのよ」


 彩葉の声は。


 どこまでも優しかった。


 本子は。


 少しだけ抵抗した後。


 母の背中へ、そっと腕を回す。


「うん」


「自分で決めた」


「そう」


「それなら、よかった」


     ◇


 彩葉が娘を離すと。


 隼人が、重々しく口を開いた。


「そうか」


「うん」


「結局」


 隼人は。


 どこか寂しそうな顔で言う。


「霧島家へ行くのか」


「まだ結婚しないから」


「分かっている」


「分かってる顔じゃないけど」


「交際の先には」


「結婚があるかもしれないだろう」


「始まったばっかりだよ」


「いつかは、その日が来る」


「何年先の話をしてるの?」


「父親には」


「娘が生まれた時から、覚悟が必要なんだ」


「お父さん」


 彩葉が、呆れたように夫を見る。


「本子は、まだ家を出ていかないわよ」


「分かっている」


「それに」


「もし結婚しても、霧島家はすぐ隣でしょう?」


「距離の問題ではない」


「じゃあ何?」


「気持ちの問題だ」


 本子は。


 思わず、ため息を吐いた。


「面倒くさい」


「本子」


「何?」


「縁之丞君に」


「嫌なことをされたら、すぐに帰ってきなさい」


「帰ってくるも何も」


「まだここに住んでるから」


「隼人さん」


 彩葉が笑いながら言う。


「気が早すぎるわ」


     ◇


「でも」


 隼人は。


 少しだけ表情を真面目なものへ戻した。


「本子」


「何?」


「本当に」


「自分で縁之丞君を選んだのか?」


 本子は。


 父の問いを受け止める。


 匠との縁談を断った時。


 理由はすでに伝えていた。


 匠に不満があったわけではない。


 知的で。


 誠実で。


 心から尊敬できる人だった。


 それでも。


 匠と過ごしている間。


 本子が何度も思い浮かべた人は。


 縁之丞だった。


「うん」


 本子は、しっかりと頷く。


「私が選んだ」


「縁之丞がいいって」


「自分で決めた」


 隼人は。


 娘の目を、しばらく見つめていた。


 やがて。


 寂しそうだった表情を緩める。


「そうか」


「なら」


 静かな声で言った。


「お父さんからは、何も言わない」


「本当?」


「ああ」


「縁之丞君なら」


 隼人は、僅かに目を細める。


「幼い頃から知っている」


「真っ直ぐで、責任感も強い」


「本子を任せてもいいと思える男だ」


「まだ任せないけどね」


「分かっている」


「だから、顔が分かってないって」


 彩葉は。


 娘と夫のやり取りを見ながら。


 幸せそうに笑っていた。


     ◇


 その日の夜。


 霧島家の居間には。


 霧島家と鬼灯家の六人が集まっていた。


 両家で食卓を囲むこと自体は。


 珍しいことではない。


 幼い頃から。


 誕生日。


 季節の行事。


 何でもない休日。


 数え切れないほど、一緒に食事をしてきた。


 けれど。


 今夜だけは。


 少しだけ空気が違っていた。


 縁之丞と本子は。


 隣同士に座っている。


 以前なら。


 何も意識しなかった距離。


 今は。


 互いの腕が触れそうになるたび。


 二人とも僅かに身体を強張らせていた。


 向かい側へ座る楓と彩葉は。


 そんな二人を。


 微笑ましそうに眺めている。


「それで」


 清之丞が口を開く。


「二人から、改めて話があるそうだ」


「改めて言う必要ある?」


 縁之丞が尋ねる。


「両家がそろっている場でも」


「伝えておきなさい」


「もう全員知ってるじゃん」


「いいから言え」


 清之丞に促され。


 縁之丞は、本子を見る。


 本子も。


 少し恥ずかしそうに、縁之丞を見返した。


 二人は。


 小さく頷き合う。


「俺たち」


 縁之丞が口を開く。


「付き合うことになった」


「私たちが」


 本子も続ける。


「自分で決めました」


 楓と彩葉は。


 同時に、穏やかに頷いた。


 清之丞も。


 満足そうに目を細める。


 隼人だけは。


 少しだけ複雑そうな顔をしていた。


「隼人」


 清之丞が、隣を見る。


「何だ」


「顔が暗いぞ」


「娘を持つ父親の気持ちは」


「お前には分からない」


「昔から」


「縁之丞と結婚させようとしていただろう」


「それとこれとは別だ」


「何が違うんだ」


「親が決めた未来と」


「実際に娘から交際を報告されるのは違う」


「面倒だな」


「お前には言われたくない」


 二人の父親が。


 真面目な顔で言い合う。


 縁之丞と本子は。


 呆れたように、その様子を見ていた。


     ◇


「しかし」


 清之丞は。


 ふと、腕を組む。


「最初から」


「こうなると思っていた」


「なら」


 隼人が、すぐに返す。


「許嫁の話をなくす必要はなかっただろう」


「お前も納得したではないか」


「納得したが」


「結果だけ見れば」


「元に戻っただけだ」


「元には戻っていないわ」


 楓が。


 静かに二人の会話へ入った。


 清之丞と隼人が。


 同時に楓を見る。


「あのまま許嫁でいれば」


「二人は、自分の気持ちを確かめないまま」


「いつか結婚していたかもしれない」


 彩葉も。


 穏やかに続ける。


「お互いが好きだから一緒にいるのか」


「親に決められたから一緒にいるのか」


「きっと」


「最後まで分からなかったでしょうね」


「それは……」


 隼人が。


 僅かに言葉を止める。


「縁之丞も、本子ちゃんも」


 楓は。


 二人へ視線を向けた。


「一度」


「相手を選ばなくてもいい立場になった」


「別の人と出会って」


「別の未来を考えることもできた」


「そのうえで」


 彩葉が微笑む。


「もう一度」


「互いを選んだのよ」


 縁之丞と本子は。


 顔を見合わせる。


 確かに。


 二人は。


 元の場所へ戻ったわけではない。


 許嫁だった頃と。


 今では。


 同じように隣へ座っていても。


 その意味は、まったく違っていた。


     ◇


「だから」


 楓は、はっきりと告げた。


「許嫁の話は」


「白紙のままにしておきましょう」


 本子が。


 僅かに目を見開く。


「戻さないの?」


「ええ」


「せっかく付き合ったのに?」


「交際と許嫁は、別でしょう?」


 楓は、穏やかに笑う。


「あなたたちは」


「まだ高校生よ」


「これから先」


「気持ちが変わることだって」


「ないとは言い切れない」


「縁起でもないこと言うなよ」


 縁之丞が眉を寄せる。


「可能性の話よ」


「でも」


 楓の表情は。


 どこまでも優しかった。


「将来」


「本当に結婚したいと思う日が来たら」


「その時は」


「親が決めるのではなく」


「二人で決めなさい」


 彩葉も頷く。


「そして」


「二人の口から、私たちへ伝えて」


「許嫁だったから結婚するのではなく」


「自分たちが、夫婦になりたいから結婚するのだと」


「その時に」


「改めて聞かせてちょうだい」


 縁之丞と本子は。


 同時に黙り込んだ。


 結婚。


 まだ。


 あまりにも先の話だった。


 けれど。


 二人が思い描いた未来の先には。


 いつか。


 その言葉があるのかもしれない。


 縁之丞が。


 隣の本子を見る。


 本子も。


 同じタイミングで、縁之丞を見た。


 視線が重なり。


 二人の顔が。


 同時に赤くなる。


「何で顔を赤くしてるんだ?」


 隼人が尋ねる。


「別に」


「何でもない」


 二人は。


 ほとんど同時に答えた。


「息ぴったりね」


 彩葉が笑う。


「笑わないでよ」


 本子は。


 さらに頬を赤くした。


     ◇


「ところで」


 食事が終わりかけた頃。


 楓が。


 何かを思い出したように尋ねる。


「二人の初デートは」


「いつにするの?」


「初デート?」


 本子は首を傾げる。


「もう何回もしてるよ」


「動物園にも行ったし」


「遊園地にも行ったし」


「買い物にも行った」


「恋人ごっこの時でしょう?」


 彩葉が指摘する。


「今度は」


「本当の恋人としての初デートよ」


 縁之丞と本子は。


 そろって動きを止めた。


「考えてなかったの?」


 楓が尋ねる。


「付き合ったばっかりだし」


 縁之丞が答える。


「まだ、何も決めてない」


「恋人になって最初のデートなのだから」


「特別な場所がいいんじゃない?」


「特別な場所って?」


 本子が尋ねる。


「夜景の綺麗なレストランとか」


「高校生には早い」


 清之丞が言う。


「水族館は?」


 彩葉が提案する。


 本子は。


 思わず、縁之丞を見る。


「魚、多いんだろ?」


「何で今言うの?」


「水族館の話になったから」


「そういうところだよ」


「何が?」


 本子は。


 呆れたように笑う。


 けれど。


 その表情は。


 どこまでも嬉しそうだった。


「映画はどうだ?」


 隼人が言う。


「暗い場所で二人きりになるだろう」


「隼人さん」


 彩葉が。


 冷たい声で夫の名前を呼ぶ。


「自分で勧めておいて」


「どうしてそんなに嫌そうな顔をしているの?」


「やはり、映画は駄目だ」


「何でだよ」


「父親として認められない」


「さっき、交際は認めるって言ったじゃん」


「交際と、暗い場所は別だ」


「面倒くさいな」


「縁之丞君」


「何?」


「門限は守りなさい」


「分かってるよ」


「本子には、指一本――」


「もう何回も手を繋いでるよ」


 本子が言った。


 隼人の動きが止まる。


「何?」


「抱きついたこともあるし」


「本子」


「肩に寄りかかって寝たこともある」


「本子!」


「同じ部屋で寝たことも――」


「それ以上は言わなくていい!」


 隼人の声が。


 居間へ響き渡った。


 清之丞は。


 額へ手を当て。


 楓と彩葉は。


 声を上げて笑っている。


 縁之丞は。


 顔を赤くして、本子を見た。


「何で全部言うんだよ」


「隠すことじゃないでしょ」


「今は、隠してよかっただろ」


「そう?」


「そうだよ」


 二人は。


 また、いつものように言い合う。


 けれど。


 以前とは。


 少しだけ違っていた。


 もう。


 許嫁ではない。


 恋人ごっこでもない。


 それでも。


 二人は、互いの隣にいる。


 家族たちに見守られながら。


 自分たちで選んだ相手と。


 これからも。


 同じ食卓を囲んでいく。


 親たちに決められた未来ではなく。


 二人で選んでいく未来の中で。


 霧島家と鬼灯家は。


 今までと変わらないようで。


 少しだけ新しい関係を。


 もう一度。


 家族として、始めようとしていた。

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