第107話 久しぶりの二人
縁談を断ってから。
数日が過ぎた。
縁之丞と本子は。
久しぶりに、二人だけで近所の公園を訪れていた。
幼い頃から。
何度も遊びに来た場所。
小学生の頃は、日が暮れるまで走り回り。
中学生になってからは。
学校帰りに、どうでもいい話をしながらベンチへ座った。
特別な場所ではない。
二人にとっては。
家へ帰る途中に立ち寄る、いつもの公園だった。
それなのに。
今日は、少しだけ違っていた。
◇
二人は並んでベンチへ座っていた。
以前なら。
肩が触れるほど近くても、何も気にしなかった。
本子が縁之丞の飲み物を勝手に取ることも。
疲れたと言って、肩へ頭を預けることもあった。
けれど。
今は。
二人の間に、一人分には足りないほどの距離が空いている。
近いようで。
遠い。
縁之丞は、その隙間をちらりと見る。
本子も同じように、二人の間へ視線を落とした。
けれど。
どちらも、距離を詰めようとはしなかった。
「最近、学校どう?」
本子が尋ねる。
「普通」
「普通って何?」
「特に何もないってこと」
「もっと何かないの?」
「授業があって、昼飯食って、帰った」
「それ、私も一緒じゃん」
「じゃあ聞くなよ」
本子は少し笑った。
縁之丞も、つられるように笑う。
会話だけなら。
以前と何も変わらない。
けれど。
笑い声が途切れると。
すぐに、静けさが戻ってくる。
公園では。
小さな子供たちが遊んでいた。
母親に呼ばれ。
楽しそうに走っていく。
遠くでは。
犬を連れた老人が、ゆっくりと歩いていた。
穏やかな夕方。
二人の間にだけ。
何かが引っかかったまま残っている。
◇
「本子は?」
今度は、縁之丞が尋ねた。
「何が?」
「学校」
「普通」
「俺と同じじゃん」
「だって、本当に何もないし」
「部活は?」
「いつもどおり」
「友達とは?」
「いつもどおり」
「じゃあ、聞くことないな」
「そっちが聞いたんでしょ」
また。
二人は小さく笑った。
それでも。
本当に聞きたいことには。
どちらも触れない。
縁之丞は、弓香との縁談を断った。
本子も。
市之瀬匠との縁談を断ったらしい。
互いに。
両親から、そのことだけは聞いていた。
なぜ断ったのか。
どのような時間を過ごしたのか。
何を思ったのか。
それは。
まだ、何も知らなかった。
本子は膝の上で。
何度も指を組み直す。
聞きたい。
けれど。
聞くのが怖い。
もし。
縁之丞が弓香を好きになっていたら。
縁談は断っても。
まだ、心のどこかに残っていたら。
そんなことを考えるだけで。
胸の奥が、少し苦しくなる。
◇
「ねえ」
本子が口を開く。
「何?」
「……お見合い」
一度、言葉を止める。
縁之丞が本子を見る。
本子は。
少しだけ視線を逸らしながら尋ねた。
「どうだった?」
「どうって?」
「天音さん」
「どんな人だったの?」
縁之丞は、すぐには答えなかった。
弓香の姿を思い出す。
深紅の着物。
隙のない立ち姿。
強い弓を、何の震えもなく引き絞る姿。
自分の心へ嘘をつかず。
最後まで、誇りを失わなかった女性。
「綺麗だった」
縁之丞が答える。
「……そう」
本子は。
平静を装うように頷いた。
「すごく強かった」
「武道の話も合った」
「そうなんだ」
「弓道が得意で」
「俺じゃ、まともに引けないような弓を普通に使ってた」
「へえ」
本子の声が。
少しずつ小さくなっていく。
「優しかったし」
「気遣いもできる人だった」
「家柄もよくて」
「兄さんたちから、ものすごく大切にされてた」
「……うん」
「努力もしてて」
「強いだけじゃなくて、自分の力をちゃんと制御してた」
縁之丞は、弓香を語る言葉を探す。
「心から尊敬できる人だった」
本子は何も言わなかった。
膝の上で。
ぎゅっと、指を握る。
聞かなければよかった。
そんな気持ちが、僅かに浮かぶ。
縁之丞が褒めるたび。
弓香が、どれほど魅力的な女性だったのか伝わってくる。
綺麗で。
強くて。
優しくて。
気遣いができて。
家柄もよく。
努力を惜しまない。
(私より)
本子は俯く。
(ずっと、立派な人じゃん)
自分にはないものを。
弓香は、いくつも持っている。
「そんなに」
本子は、何とか声を出した。
「そんなに素敵な人だったんだ」
「ああ」
縁之丞は正直に頷いた。
その答えに。
本子の胸が、さらに苦しくなる。
「じゃあ」
声が。
僅かに震えた。
「どうして断ったの?」
◇
縁之丞は。
すぐには答えなかった。
弓香と過ごした時間は。
本当に楽しかった。
尊敬していた。
出会えたことを、嬉しく思っている。
もし。
本子のことを知らなければ。
弓香との未来を選んでいたかもしれない。
それでも。
何かを見るたび。
何かを感じるたび。
心に浮かんだのは。
いつも、同じ人だった。
縁之丞は。
隣へ座る本子を見る。
本子は不安そうに。
答えを待っていた。
「ずっと」
縁之丞が口を開く。
本子の肩が僅かに揺れた。
「本子のことを考えてたから」
本子は。
言葉を失った。




