表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ずっと普通だった幼馴染と、今日から恋人ごっこを始めます  作者: Atelier Lotus


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
105/121

第104話 水族館

 次の休日。


 本子は市之瀬匠と二人で、水族館を訪れていた。


 駅から少し離れた海沿いに建つ、大きな水族館。


 休日ということもあり。


 館内は家族連れや、若い男女で賑わっている。


「水族館は、お好きですか?」


 入口で案内冊子を受け取りながら、匠が尋ねる。


「好きです」


 本子は頷いた。


「詳しくはないですけど」


「今日は楽しめれば、それで十分です」


「市之瀬さんは詳しいんですか?」


「魚そのものより、水槽の設備に興味があります」


「そっちなんですか?」


「少し変わっていますか?」


「ちょっとだけ」


 匠が穏やかに笑う。


 本子もつられて笑いながら、最初の展示室へ足を踏み入れた。


     ◇


 通路の両側には、大小さまざまな水槽が並んでいた。


 色鮮やかな小魚。


 岩陰に身を隠す魚。


 水底でほとんど動かない、不思議な形の生き物。


 本子が水槽へ顔を近づける。


「この魚、ずっと同じところにいますね」


「流れの弱い場所を選んでいるのでしょう」


「水槽の中にも、流れってあるんですか?」


「ありますよ」


 匠は水槽の上部を指す。


「この水槽は、水の流れを何層にも分けているんです」


「魚が疲れないためですか?」


「それもあります」


 匠は本子にも見えるよう、少し身を屈めた。


「種類によって、好む水の流れが違いますから」


「速い流れを好む魚もいれば、流れの穏やかな場所で過ごす魚もいます」


「同じ水槽の中でも、それぞれが過ごしやすい場所を選べるように作られているんです」


 本子は改めて水槽を見つめる。


 ただ水が入っているだけに見えた。


 けれど。


 よく見れば。


 水草が大きく揺れている場所と。


 ほとんど動いていない場所がある。


「本当だ」


「場所によって全然違いますね」


「ええ」


「魚を入れるだけでは、水族館にはなりません」


「その生き物が、できる限り自然に近い状態で暮らせる環境を作る必要があります」


「お医者さんと似てますね」


 匠が少し目を見開く。


「どの辺りがですか?」


「相手に合わせるところです」


 本子は水槽を見ながら答える。


「同じ魚だからって、全部同じ流れでいいわけじゃないんでしょう?」


「人も、全員同じ治し方じゃないんですよね?」


 匠はしばらく本子を見つめた後。


 嬉しそうに微笑んだ。


「そのとおりです」


「鬼灯さんは、とても良い見方をされますね」


「そうですか?」


「ええ」


 褒められた本子は、少し照れくさくなった。


     ◇


 匠は、どの展示を見ても。


 本子が尋ねたことへ、丁寧に答えてくれた。


 魚が群れで泳ぐ理由。


 深海魚の身体が独特な形をしている理由。


 暗い水槽の中で、生き物を観察できる照明の工夫。


 難しい話も。


 本子が分からない顔をすれば。


 すぐに言葉を変えて説明してくれる。


「この魚、何でこんなに平たいんですか?」


「海底へ身体を隠しやすくするためです」


「最初から、両方の目が上にあるんですか?」


「生まれた時は、普通の魚と同じように左右にあります」


「成長すると、片方の目が反対側へ移動するんです」


 本子は驚いて魚を見る。


「目って移動するんですか?」


「します」


「怖くないですか?」


「魚にとっては必要な変化ですから」


「でも、朝起きて目が移動してたら怖いですよ」


「人間でしたら、すぐに病院へ行ってください」


「市之瀬さんが診てくれます?」


「外科の担当領域でしたら」


「そこは何とかしてくださいよ」


 匠が小さく笑う。


 本子も笑った。


 どんな疑問を口にしても。


 匠は馬鹿にしない。


 幼稚だと笑うこともない。


 本子が理解できるまで、真面目に答えてくれる。


 この人と一緒なら。


 自分の知らないものを、これからもたくさん見せてもらえるのだろう。


 ただ知識を教えてもらうだけではない。


 本子が何を感じ。


 何を疑問に思ったのか。


 それを大切にしてくれる。


 尊敬できる相手として。


 隣を歩いていける。


 そんな未来を。


 本子は自然と思い描くことができた。


     ◇


 二人は館内の奥にある、大水槽へたどり着いた。


 天井近くまで続く、巨大な水槽。


 青い水の中を。


 無数の魚が泳いでいる。


 小さな魚の群れが、一つの生き物のように形を変え。


 その横を、大きな魚がゆっくりと通り過ぎていく。


 本子は思わず足を止めた。


「すごい……」


「見事ですね」


 匠も隣へ立つ。


「群れで泳ぐ魚は、周囲の個体の動きを見ながら進む方向を変えています」


「誰かが命令してるわけじゃないんですか?」


「ええ」


「一匹一匹が、近くの魚へ合わせて動いているんです」


「それだけで、あんなに綺麗に揃うんですね」


「外敵から身を守るためでもあります」


 匠は魚の群れを目で追う。


「一匹では小さくても、群れれば大きな生き物に見せることができますから」


「なるほど」


 本子は頷く。


 匠の話は面白かった。


 ただ眺めるだけでは分からなかったことが。


 少しずつ見えるようになる。


 けれど。


 大水槽を眺めているうちに。


 本子の頭の中へ、別の声が浮かんだ。


『魚、多いな』


 縁之丞なら。


 きっと、それだけだった。


『もっと何かないの?』


『でかい魚もいる』


『見たら分かる』


『じゃあ、小さい魚もいる』


『それも見たら分かるって』


 知識も。


 深い意味もない。


 見たものを、そのまま口にしただけの感想。


 けれど。


 想像しただけで。


 本子の口元が、自然と緩んだ。


「どうしました?」


 匠が不思議そうに尋ねる。


 本子は慌てて首を横に振った。


「……何でもないです」


「そうですか?」


「はい」


 本子は再び水槽へ視線を戻す。


 目の前では。


 小さな魚の群れが、光を反射しながら形を変えていた。


     ◇


 その後も。


 二人は館内をゆっくりと見て回った。


 ペンギンが水の中を飛ぶように泳ぎ。


 大きな海獣が、重そうな身体を器用に動かす。


 匠は一つひとつの展示を丁寧に説明してくれた。


 本子も。


 知らなかったことを知るたびに、素直に声を上げた。


 楽しかった。


 それは間違いない。


 匠の話は。


 縁之丞より何倍も知的で。


 何倍も分かりやすく。


 何倍も面白かった。


 それなのに。


 大きな魚を見た時。


 変な顔の生き物を見つけた時。


 頭に浮かぶのは。


『何だこいつ』


 きっと、そんなことしか言わない。


 幼馴染の声だった。


 匠から教えてもらえる話も。


 知らなかった世界も。


 本子は心から魅力的だと思っている。


 それでも。


 今。


 隣で聞きたいと思ってしまったのは。


 縁之丞の。


 何の役にも立たない、くだらない感想だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ