FILE004 出張 前編
「嫌ーな感じの天気だなぁ今日はよぉー。低気圧で色々痛むんだよねぇモー」
分厚く黒い雲が空を覆っている。しかしその迫力の割にはしとしとと粘りつくような雨が降っていた。陰鬱がじわりと漏れ落ちてくるようだ。
「課長ォ♡天気の話なんてジジ臭いですよォ?もっとテストステロンが分泌されるような話をしましょうよォ♡」
「よーし!ワンナイトしてみたい野菜の話でもしてみるかぁ!」
オダとヒヒヨシがデスクでダラダラと座りながらあまりにもくだらない話をしているが、話題の特殊性のためかなんとなく全員聞き耳を立てている。女性陣も興味津々だが、これは『関係性』がある前提である。真似をして何らかを失ったとしても責任は取りません。
「ワタクシはナスですねェ♡一度ハマったらズブズブと後戻り出来なさそうないやらしいシルエットをしてますよねェ♡」
「ケツに突っ込むの前提じゃねえかお前w俺はやっぱりアボカドかなぁ?ねちっこい身の奥に大きくて黒々とした種が――」
「アボカドは分類上野菜じゃなくて果物だ馬鹿野郎」
オダとヒヒヨシの顔の間から野太く、重く、かつ静か。まるで地響きのような声が発せられた。
「「ギャアアア!!!」」
2人の情けない叫声がオフィスと廊下にこだました。どうやって室内に入り込んだのだろうか、扉の見える位置で談笑していたのに。どうやって気付かれずに背後に回り込めたのか、2m半を超える熊のような巨躯でありながら――いや熊型獣人なのだが……。そしてどうしてこのキャラで無駄に博識なのか。様々な疑問が残るが、オダはただ1つ取るべき行動を反射的に遂行した。
「ユウザン部長!!おはようございます!!生憎の天候ですが部長の顔が見られて心は晴れやかでございます!!!」
「チッ!!」
尻尾ごと直立したオダを舌打ちであしらったこの男は国民防護庁乱世対策部長ユウザン=サイトウである。無双、無頼、無慈悲……敵味方問わずこのような言葉でその猛烈な人間性を形容されてきた。
対特3課で彼の指導を直接受けたのはオダとマミヤのみであるが、他メンバーにも絶えず目を配っており、意外にも面倒見が良い。マミヤ曰く「地獄の鬼そのもののようだが厳しさだけではない」とのことだが、彼女から見てもオダには特に厳しく接しているように見える。よってオダ曰く「地獄の鬼そのもの」とのこと。
「オダ、タバコに付き合え」
ぱたぱたと雨が窓に当たる廊下を無言のままユウザンとオダが連なって歩く。除け者をさらに追いやるようにオフィスから遠く離れた屋外にある喫煙所へただただ歩みを進めた。
到着するや否や、ユウザンがタバコを2本取り出した。
「……どうせ俺吹かすだけっすよ?」
「吹かすだけマシだ。付き合え」
2人は横に並び、壁にもたれ込んだ。それぞれが自分のタバコに火を着けて煙を斜め上に吐き出す。
「……1時間後、旧都に出張だ」
オダはわざとらしく、タバコを吐くよりも深いため息をついた。
「……まだ本丸は掴めないんですか?いつまでも末端と遊んでるだけ。下っ端に草刈りさせてないで根っこを引き抜いて欲しいもんですよ」
「好きなだけ文句を言え。『アレ』を放置するリスクも捜査の難しさも理解しているだろう」
ユウザンはタバコを咥え、大きく吸い込んだ。規格外の肺活量によりフィルターをつまむ指寸前まで一気に燃え尽きた。淀みない動きで次のタバコをトントンと引き出す。
「断っても構わんぞ。お前が嫌なら、3課の他の者に行かせても構わん」
オダの目つきが変わった。オフィスで半分ふざけていた時とも先程までとも違う。瞳孔がギンと開いてかろうじて冷静さを保っているような瞳だった。そして、それを隠すようにニタァっと笑った。
「……やだなぁ、業務命令に背くわけないでしょう?それにまだあいつらには荷が重いですってぇ〜……あとね、俺に話通さずウチの部下に必要以上に干渉するなら——」
一息、煙を口に含んでゆっくり吐き出す。
「殺しますよ。刺し違えてでも」
ただただ、雨の音だけが聞こえる。2人共ぼんやりと目前を眺めていてチラリともお互いを見ようとしない。しかしオダには分かった。ユウザンは変わらずリラックスしてニッと笑っている。感情を昂ぶらせている自分が滑稽に思えるほどにこの男は雄大だ。
「お前の優しさは美徳だ。とことん利用させてもらうぞ」
「忠告のつもりならどうも。情を仕事に持ち込むなってやつでしょ?」
オダは半分も吹かしきっていないタバコをグリグリと揉み消して、ユウザンに背を向け歩き出した。
「でもですね……。部下のために。それでしかモチベ保てないんっすよねぇこの仕事……」
——1人喫煙所の屋根の下に残されたユウザンが雨に語り掛ける。
「刺し違えるだとよ。テメェのことも愛する部下のことももうちょっと信頼してやれ若造」
オッサンになるにつれ増えた独り言を、少し冷えた指先と一緒にポケットに突っ込んで仕事に戻った。
オフィスに戻ったオダはいつものレザージャケットとブーツではなく、スーツとビジネスシューズに着替えていた。上等そうな生地と仕立てである。それなりにこなれているため、普段から着ているようにも見える。
「ほれお前達見てみぃ、馬子にも衣装とはこのことじゃのう」
「うっせうっせw」
なんてやり取りをしながらオダは出張の準備を整える。鞄に資料を詰めてデスクを軽く片付けた後、水を1杯飲んだ。
出張も転送装置で一瞬だ。ただ、旧都までは遠いため『秒で』とはいかない。靴紐を締め直した後、軽くストレッチをした。入念に身体をほぐして仕上げに薄く色がついた丸眼鏡を掛けた。
――その頃、課長がいなくなったオフィスで……。
「課長ってェ♡部長とタバコ吸った後すぐ出張に行く時がちょくちょくありますよねェ?」
ヒヒヨシがコーヒーを淹れながら誰に話しかけるわけでもなく喋り出した。
「そもそも、あの人タバコ吸うんですか?誘われる以外で吸いに行ってるとこ見たことないですよ?」
「『古の社会人の処世術』らしいよォ?会議と休憩は喫煙所で起きてるんだ!って課長が力説してたんだよねェ♡」
ヒヒヨシがミミヒデに秘技を口伝するも、意味が分からないと言いたげに首をかしげた。
「あと……いつも違う書類を適当な枚数掴んで持ってってるけど、どういう出張なんだろうねェ?」
「まあまあいいじゃろ。やつの仕事じゃ。詮索しても何も出てこんよ」
マミヤは外を眺めながら、素っ気なく言い放った。
「ふーん」
しとしとと変わらない雨脚。一瞬だけその音が消えたように思えた。




