第44話 俺の原点
――魂が虚空をさまよっているような、そんな感覚だった。
輪郭も、重さも、時間さえも曖昧な場所に俺はいた。
そこは現実とも夢ともつかない世界。
その先には光あった。気がつけば――視界が開けた。
「ここは……?」
俺はぼんやりと辺りを見回した。
そこは講義室。緩やかな傾斜のついた階段式の席。前方の黒板に講師が何か書いている。座席には、まばらに学生たちが座っていて、ノートPCや教科書を開いている。
(……大学? 俺の……大学だ!)
「まさか……」
目の前には、ノートとシャーペン。そして、誰かの話す声が背後からかすかに聞こえていた。
「……凪、また寝てたのか?」
壇上の柄の悪そうな講師のヴォルクが、俺をからかった。
「あ、すみません……」
俺は思わず立ち上がりかけて、すぐに腰を下ろした。周囲の学生たちがクスッと笑っている。
(……なんだこれ。なんで……俺は……もっと、大事なことをしてた気がする。命を懸けるような――)
ノートの表紙に書かれた“黒瀬 凪”という自分の名前を見つめながら、俺の胸には、得体の知れない“ズレ”が確かに生まれていた。
「まったく、君ってやつは……」
隣の席から、聞き慣れた皮肉まじりの声がした。
「ほら、僕のノートを写すといいよ」
そっと差し出されたノートには、丁寧な文字でその日の講義内容がまとめられていた。
「ユーリス……!」
俺は驚きに目を見開いた。
「お前、やっぱり生きてたんだな!? よかった……!」
ユーリスは首を傾げ、くすりと笑う。
「何を言っているんだい君は? 僕が死ぬわけないだろう?」
「そうよ、あなたたちは――“友達”でしょう?」
振り返ると、そこにはリシアがいた。いつもの赤い髪を揺らし、少し呆れたような表情で腕を組んでいる。
「リシア……! お前も、無事だったんだな!」
「ほんとにもう……まだ寝ぼけてるのね」
呆れたような、けれどどこか嬉しそうなその笑顔。見慣れた、愛しい仕草。
俺はゆっくりと席を立ち、講義室の全体を見渡した。
――ビートが居眠りしている。
――リュカがノートに落書きをしている。他にも見知った面々が一緒にいる。
(……良かった……みんな……)
思わず胸がいっぱいになる。
けれどそのとき――
なぜだろう、胸の奥がひやりと冷える。
俺の前の席の白い髪の男が振り向いた。
「そこは俺の席だ」
「お前は……」
俺は――現実を思い出し始めていた。
「……あれ、みんな……?」
講義室を見渡した俺の視線の先で、仲間たちが一人、また一人と席を立ち、静かに扉の向こうへと姿を消していく。
「え、ちょっと待って……!」
俺は慌てて立ち上がる。
「……おい、どこへ行くんだよ!!」
誰も、返事をしない。ただ笑って、ただ穏やかに、去っていく。
気づけば、講義室には俺ひとり。
「……やめてくれ……!」
立ち尽くしたまま、張り詰めた声が漏れる。
「……俺を、一人にしないでくれ……!」
その瞬間。
――すべてが、闇に消えた。
光は消え、床はなく、壁も天井も失われた。ただ、俺は宙に浮いているような感覚を覚えた。
(……また、ここか)
その中で――ふと。
視界の先に、やわらかな光が灯る。
それは、温もり。寂しさに凍えた心に、そっと触れてくるような。
「あれは……?」
俺はその光に、見覚えがあった。
「……セレスティア。あなたの声のおかげで何度も窮地を救われました。本当に……ありがとう」
俺は目の前の大精霊に向かって静かに頭を下げた。どこかで、言葉にする必要がある気がした。
それに、伝えたかった。心から。
彼女は光の中で微笑んだ。
『そう。よかった。でも――まだ終わってはいない』
「……え?」
『あなたは、前に進まなくてはならない。あなたにはまだ役割が残されています。』
「これ以上進むことで、何か大切なものを失ってしまうんじゃないかって。失って、傷ついて、もう戻れなくなるのが――怖いんです」
『――大丈夫よ。あなたが“前に進む”限り、必ずあなたを助けてくれる人が現れるわ』
「……そう、かな」
『それにずっとみてきたあなたは、目の前の困っている人を放っておけないんだもの』
「確かに」
『ええ。だから大丈夫。――あなたが失ったものがあるとしても、拾ってきたもの、そして、これから拾うものの方がずっと大きいはずだから』
「……そう、かもしれませんね」
その言葉とともに、白い光がゆっくりと広がっていった。
それは、夜明けのように。
『また、会いましょうね。黒瀬凪くん』
セレスティアは姿を消した。
――その先。
誰かが、呼んでいる。
誰かが俺を必要としている。
――行かなきゃ
俺が、行かなきゃならない
☆今回の一言メモ☆
凪の夢の世界。凪の唯一にして最大の行動理念が詰まっている回でした。ビートとリュカの教室での行動は想像しやすかったです。




