牡羊座の優等星⑤
果てしなく続く紅い鳥居を数えるのが面倒になってから暫くして、最後の鳥居に辿り着いた。
その鳥居は色褪せた朱塗りが所々剥げ落ち、風雨に晒された古びた木肌が露わになっている。
それでも一回り大きく、威厳を残した鳥居だった。
イメドダは最後の鳥居を潜り抜けると静かに立ち止まり、こちらを振り向く。
無機質な表情の中に、透き通ったエメラルドの瞳だけが淡い光を浴びて、儚く輝いていた。
その輝きは、まるでこの虚無の世界で唯一の生命の証のように見えた。
風が遠くの木々を揺らし、かすかな葉擦れの音だけが聞こえる。
振り返れば、果てしなく続く紅い鳥居の列が、霧の中に薄れて消えていく。
まるで俺をこの場所へ誘う為だけに、誰かが冷徹に用意した一本道のように感じられ、背筋に寒気が走った。
戴冠式の熱狂的な歓声や金冠の重みは、今や遠い幻影のように色褪せ、この果てしない静寂と虚無が胸を締め付ける。
この場所が、希望につながるのか、それとも更に深い虚無へ誘う罠なのか、判断がつかない。
けれども、今の俺には他に選択肢が無い。
先に進むしかないんだ。
「これは……!」
最後の鳥居の先には、本当に小さな、こぢんまりとした社殿があった。
苔むした屋根は深い緑に覆われ、古びた柱にはぼろぼろの注連縄が弱々しく垂れ下がり、わずかな風に不安定に揺れている。
賽銭箱は空っぽで埃を被り、鈴緒はちぎれかかり、触れれば崩れ落ちそうなほど傷んでいる。
周囲の空気は重く淀み、湿った土と朽ちた木、微かなカビの匂いが鼻腔を刺激した。
それは果てしなく長い間も忘れ去られた場所特有の、深い孤独と諦念を湛えていた。
「ココハ、蝶想幻子ノ"家"デス。」
「幻子の、家…だと?!」
驚いた。
こんなに古びていて、幽霊が棲んでいそうなぐらい不気味で、美少女が住むのが目的とは思えないような建物が"家"だなんて。
「ココハ蝶想幻子ガ創造シタ世界ナノデ…、トハイエ、今ハ住ンデイマセンガ。」
「これも幻子が創ったのか?こんな建物まで…。」
けれども、何でだろうか。
こんな不気味で虚しい島のような世界は初めて見た筈なのに、初めて来た気がしない。
むしろ懐かしさを感じてしまうのは…。
そして社殿の周りには、不釣り合いな雰囲気の男が二人、虚ろな目で佇んでいた。
一人は白い布を巻いただけのような簡素で貧相な衣装に、白いマッシュルームヘアからふわふわとした白い羽を生やした小柄な男。
男と呼ぶにしては表情は頼りなく、肩をすくめながら視線を泳がせている。
もう一人は黒い蝶ネクタイに白いエプロンというウェイターのような恰好で、水色の長いカーテンバングの下から、細められたワインレッドの目が不気味に光る男。
薄ら笑いを浮かべた唇が、底知れぬ胡散臭さを漂わせていた。
誰だ、コイツらは。
イメドダの仲間か?
自分でも分かるほど訝しげな顔をしていると、二人が同時に俺の方を向いた。
その視線に、胸の奥で警鐘が鳴る。
「ユーシャ様、お目覚めになられましたか。」
水色の髪の男が、胡散臭い薄ら笑いを深めて俺の名を呼んだ。
声は丁寧だが、どこか冷ややかさが感じられる。
「ついにこの時が来たのですね!」
白いマッシュルーム頭の男が、口の端だけを不自然に上げて喜びの声をあげた。
白い羽が小さく震え、喜びというよりは義務的な動作のように見えた。
「は、はぁ…。」
呆気にとられ、困惑した声が喉から漏れた。
野郎2人に歓迎されても、ちっとも嬉しくない。
それに、2人共笑顔が張り付いたようにぎこち無くて不信感しかない。
胸の奥では、ミーシャを失った喪失感がまだ疼いて、この不可解な出会いが更にその傷を抉るようだった。
「君達は?」
俺は2人を交互に見つめ、声を低くして尋ねた。
指先が無意識に剣の柄を探る。
警戒した俺に気付いたのか、羽の男が慌てたように敬礼をする。
「ミーシャ様の護衛を務めておりました、射手座の優等星ルパヴェンと申します。」
ミーシャの護衛?
このヒョロヒョロした体躯で、とても護衛が務まるとは思えない。
頼りなさが逆に不信感を煽り、あのミーシャが本当に彼を信頼していたのか疑いたくなる。
「ミーシャ様の執事を務めておりました、水瓶座の優等星スズスナ・リルゼッテでございます。」
水色の髪の男は小さくお辞儀をした。
どちらかと言えばバーテンダーって恰好に見えるし、何と言うか、エプロンと蝶ネクタイの組み合わせがこの廃れた社殿に溶け込まず、かえって異様さを増している。
ていうか、スゲェ信用出来そうに無い笑顔は何なんだ。
それにしても、優等星?
何かの肩書きか?
肩書きで思い出したけれど、俺って、勇者の他にも"世界の有家名"って呼ばれてたっけ。
別に3の倍数で馬鹿になる人でも時を止める能力者でも無いのにな。
まぁ、でも今のこの最果ての地では、そんな肩書きなど完全に無意味だ。
ただの孤独な亡者、虚無に取り残された残骸に過ぎない。
「……つまり君達は、ミーシャの家来か?」
「そうです。」
スズスナは目を細め、頷く。
その笑みが一瞬、冷たく歪んだように見えた。
「何でミーシャの家来がこんな場所に集まっているんだ?」
こんなよく分からない孤立したような場所で、ミーシャの家来が3人も居るなんておかしい。
ルパヴェンがオドオドしながら一歩前へ出る。
頭の白い羽が小さく震えた。
「僕達は、ミーシャ様の試練を引き継がされて此処に…。」
「ミーシャの試練?」
初めて聞く情報に、頭が混乱する。
そのミーシャの試練というものが、この場所と、この家来達と、俺と、ミーシャに関係があるって事なのか?
胸の奥でざわめきが広がり、息苦しさが増す。
ルパヴェンが続ける。
「ミーシャ様は能力を得る為に、幻子と取引したのです。」
「何だって!?」
能力を得るための取引!?
幻子と?
世界を救う長い旅の最中、ミーシャが能力の為の取引を幻子としていたなんて——
俺は知らなかった。
知らされていなかった。
仲間だとか師匠だとか思っていたのに、彼女の秘密を何も見抜けていなかったのか。
再び自己嫌悪と無力感が、波のように押し寄せてくる。
それにしても、ミーシャの能力とは、一体何だったのか。
俺は彼女の強さを知っている。
彼女は剣の達人だった。
だが、その剣術から能力を使ったような感じはなかった。
もし、その強さの裏に取引があったとして、その代償となる試練とは何だろうか?
ミーシャのメイドであるイメドダは静かに傍らに立ち、鎖を微かに鳴らしていた。
霧が社殿の周りをゆっくりと回り、紅い鳥居の影が3人を覆うように伸びる。
俺の心に、新たな疑問と不安が、深く根を張り始めた。




