申し開きはあるか
「ルーク・アルノー」
サイラスが静かにその名を呼ぶ。低い声が静寂な部屋に重く響いた。
「は、はい……っ!」
裏返りそうになる声をなんとか抑え込み、ルチアは直立不動で応えた。
サイラスは伏せたばかりの書類を、長い指先でコン、コンと軽く叩く。その無機質な音が、まるでルチアの命のカウントダウンのように聴こえた。
「お前のことを少し調べた」
「……ッ」
「報告書によれば、お前は幼い頃から病弱で、まともに剣も握れず、屋敷からほとんど出られない日々を送っていたようだが……」
サイラスはゆっくりと上半身を起こすと、冷ややかな黒い瞳でルチアを頭から足先までねっとりと検分するように見つめた。
「……今はずいぶんと元気そうだな?」
すっと、サイラスの薄い唇が弧を描いた。
整いすぎた容貌だからこそ、その微笑みは冷酷で、恐ろしいほどの圧力を放っている。
(笑顔が……怖い……っ!!)
ルチアの背中に一筋の冷や汗が伝い落ちる。
心臓が破裂しそうなほど早打ちし、指先が急速に冷たくなっていくのが分かった。
(やばい……完全に調べ尽くされてる……! 病弱な兄さんの代わりに私が来てるって、怪しまれてる……!?)
必死に頭を回転させ、「田舎の空気が合って急に元気になった」とか「必死に特訓した」とか、苦しい言い訳を言葉にしようとした——その時。
サイラスは追い打ちをかけるように、淡々と次の言葉を口にした。
「それと……お前には双子の妹がいるらしいな」
「……え……?」
「名前は……ルチア・アルノー」
——ドクンッ!!
世界から音が消え去ったかのような衝撃が、ルチアを襲った。
ルチアは目を見開き、息をすることすら忘れて固まった。
血の気がスーッと引き、視界が真っ暗になりかける。
(私の……名前……!!)
どこまで調べ上げられているのか。
病弱な兄の代わりに、妹である自分が男装してここに立っているという事実が、完全に暴かれてしまったという絶望がルチアを支配する。
脚の膝がカタカタと震え、立っていることすら限界に達しそうだった。
絶望に打ちひしがれ、膝が砕けそうになり、ただ床の一点を見つめて小さく震えることしかできない。
視界が恐怖で滲む中、カツン……カツン……と、重く静かな靴音が近づいてくる。
一歩、また一歩と迫る死神のような足音。
ついにその靴音が自分の目の前でピタリと止まった。
(あぁ……終わった……。お兄ちゃん、ごめんなさい……!)
ギュッと目を閉じ、恐怖に身をすくめた瞬間だった。
——グイッ
皮の手袋越しに、強い力で顎を掴まれた。
抗う隙すら与えられず、顔を上へと向けさせられる。
「っ……!」
強制的に見上げさせられた先には、見下ろしてくるサイラスの冷酷な顔があった。
月の光のような銀髪と、吸い込まれそうなほど深く鋭い黒い瞳。至近距離で射抜くような視線を注がれ、ルチアは息を詰まらせる。
「申し開きはあるか?」
低く冷ややかな声が、頭上から容赦なく降ってくる。
逃げ場はどこにもなかった。
手袋越しに伝わるサイラスの指の冷たさと圧倒的な圧力を前に、ルチアの心の中でピンと張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。
(……もう、誤魔化せない。これ以上嘘をついても、お兄ちゃんに迷惑がかかるだけだ……)
ルチアはすっと震えを収めると、覚悟を決めた瞳でサイラスの黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
顎からサイラスの手が離れると同時に、ルチアはそっと首元のチョーカーに手を伸ばし、それをゆっくりと取り外した。
「……申し訳、ございません」
チョーカーを外した途端、喉から溢れ出たのは、偽りの青年の声ではなく、鈴を転がすような高くて澄んだ
「少女の声」だった。
「ご推察の通りです。私はルーク・アルノーではなく、双子の妹のルチア・アルノーです……」
ルチアはそのまま引くことなく、まっすぐな姿勢で右膝を床につき、左膝を立てて右手を左胸に強く当てた。誇り高き「騎士の礼」をもって、サイラスを見上げる。
「兄のルークは昔から病弱で、今も床から起き上がることができません。けれど、私がいた村では男子は騎士団に入団が決められておりました……召集に応じなければ、兄が罰を受けることに。だから、私が兄の代わりに男装し、入団試験を受けました」
胸に当てた手にギュッと力を込め、ルチアは偽らざる事実をすべて吐露した。
「騎士団を謀り、正体を偽っていた罪はすべて私一人にあります。兄は、なにも知りません……! どんな処罰でも受けます。命を差し出せと言われれば従います。ですからどうか……兄だけは、お許し頂けないでしょうか……っ!」
静まり返った団長室に、ルチアの必死な言葉と、覚悟の込もった澄んだ声が重く響いていた。




