絶対に忘れないわ
「わぁ……! 見てルーク、あんなに綺麗なドレスがあるわ! あっちにはお菓子がいっぱい!」
抜けるような青空の下、王都の賑やかな市場にコレット姫の歓声が響き渡った。
普段の豪華なドレスから、街になじむ可憐な町娘の服に着替えたコレット。桃色のふわふわとした髪を揺らし、目を輝かせながら店から店へと駆け回っている。
「姫様、あんまり走ると転んじゃいますよ! 気をつけてくださいね」
ルチアは冷や汗をかきながらも、そっと周囲を警戒しつつ後を追いかけた。少し離れた場所には、気配を殺した護衛の騎士たちが隠れているものの、コレットの隣に並んで歩くのはルチア一人だ。
「もうっ、『姫様』だなんて! お兄様のように『コレット』って呼んでって言ったでしょう?」
コレットはくるりと振り返ると、ぷくっと頬を膨らませてルチアの袖をキュッと引っ張った。
「ふふ、でもお仕事中ですからね。……ほら、あっちに焼きたての甘いパイが売ってますよ。食べてみませんか?」
「まぁ! はやく、ルーク!」
屋台で買ったサクサクのリンゴパイを二人で並んで頬張り、「おいしいですね」「本当に美味だわ!」と顔を見合わせて笑い合う。
色鮮やかな雑貨、香ばしい焼きたてパンの匂い、楽しそうに行き交う人々——。
お城の部屋に閉じこもっていたコレットにとって、見るものすべてが宝箱のように眩しく輝いていた。
「……ねえ、ルーク」
大きな噴水のある広場のベンチに座り、ジュースを飲みながら、コレットがふとぽつりと呟いた。
「わたくし、今日のお出かけ……絶対に忘れないわ。ルークがわたくしを外に連れ出してくれたから……こんなに世界が綺麗な場所だって知ることができたの」
緑の瞳を潤ませ、心からの感謝を伝えてくる姫様。
そのまっすぐで素直な瞳を見つめながら、ルチアは自分の胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
(……私、最初は自分の正体を隠すため、家族を守るための『取引』としてこの任務を引き受けたけれど……コレット様のこんなに素敵な笑顔が見られて、本当に良かったな)
「コレット様。私の方こそ、一緒に街を歩けてすごく楽しかったです。またいつでも、いろんな場所へ一緒に行きましょうね」
ルチアが優しく微笑むと、コレット様は頬をぽっと赤く染め、とっても幸せそうにうなずくのだった。
◇
午後になっても二人の冒険は続き、市場のさらに奥、賑やかな路地へと足を伸ばしていた。
色とりどりの布地や珍しい木彫りの細工が並ぶ屋台を眺めていたとき、威勢の良い声が二人に向かって飛んできた。
「へい、そこのお嬢さん! お付の騎士様を連れて歩くなんて、お嬢さんは貴族の家のお生まれかい? どうだい、この可愛らしい髪飾り! 買ってかないか?」
声をかけてきたのは、体格のいい屋台の店主だった。
ルチア(ルーク)以外の男性にはまだ強い恐怖心があるコレットは、突然近づいてきた大きな男性店主を見てビクッと身を竦ませた。そして警戒と恐怖を隠すように、眉をひそめて突っぱねてしまう。
「な、なんですの急に! 無礼な……わたくしに軽々しく声をかけないでちょうだい!」
「あんだと……? せっかく親切に声をかけてやったのに、なんだその言い草は」
コレットの刺々しい態度に、店主の額に青筋が浮かび、不穏な空気が漂いはじめた。
(しまった……! 店主さん、怒りそう……!)
ルチアは即座にサッとコレットの前へと割り込むと、すっと膝をついて目線を合わせた。
「お嬢様、そのような態度は好ましくありませんよ」
落ち着いた低い声で語りかけながら、ルチアはコレットだけに聞こえるような小声で、優しく微笑んで付け加えた。
「お嬢様の好きな物語、『囚われ王女のイデア』の王女様は、そんな事は言わないかと……」
「っ……!」
ルチアから教わった大好きな物語の気高くて優しいヒロインの名を出され、コレットはハッと目を見開いた。
自分の失礼な振る舞いを悟り、頬を瞬時に真っ赤に染め上げる。
「う……そ、そうね。……悪かったわ」
コレットは赤面したままぷいっと顔をそむけたものの、勇気を出して店主に向かって小さく頭を下げ、素直に謝罪の言葉を口にした。
「…… 意地悪を言ってごめんなさい」
「お、おう……分かってくれりゃいいんだよ」
幼い少女の素直な謝罪に、店主の毒気も一気に抜けたようだ。
ルチアは立ち上がると、ニコッと爽やかな笑みを店主に向けた。
「こちらの髪飾りを一ついただけますか? お嬢様にとてもお似合いですので」
ルチアは手際よく品物を受け取ると、少し多めのコインを店主の手のひらに渡した。
「あ、おい! 多すぎるぞ!」
「いえ、お騒がせしたお詫びと、素敵な品物をいただいたお礼です。取っておいてください」
「へっ……兄ちゃん、粋な騎士様だな! まいどありーっ!」
後ろから聞こえる店主の嬉しそうな声に見送られながら、二人は軽やかな足取りでその場を後にした。
コレットはルチアから渡された髪飾りを大切そうに抱え、真っ赤な顔のまま、けれどとても嬉しそうにルチアの袖をギュッと握りしめて歩くのだった。




