まぁ、秘密ってなに?
重い扉が閉まり、ルチアはそっと室内に足を踏み入れた。
部屋の中央、大きなベッドにちょこんと腰掛けていたのは、桃色のふわふわとした髪に、深い緑の瞳を持つ愛らしい少女だった。彼女は警戒心剥き出しの様子で、クッションをぎゅっと胸に抱きしめている。
(…クッションで殴られたりしないよね……!?)
冷や汗をにじませつつも、ルチアは身なりを正してキリッとした「騎士の礼」をとった。
「初めまして、コレット姫。本日から護衛警護を担当いたします、騎士のルーク・アルノーです」
しかし、コレットは挨拶など全く耳に入っていないかのように、不機嫌そうにぷいと顔をそむけた。
「……男の人は嫌いよ。……で、さっきの言ってた『恋愛物語』っていうのは何?」
興味がなさそうな素振りをしながらも、声のトーンには隠しきれない退屈さと、ほんの少しの期待が滲んでいる。十歳の少女らしい素直ではない態度に、ルチアは内心でふっと微笑んだ。
「——承知いたしました」
ルチアはコレットのベッドから少し離れた場所に膝をつき、柔らかく穏やかな声で語り部のように話し始めた。
「……あるところに、それは可愛らしい女の子がおりました。その子は——」
それは、兄がかつてベッドの上で語ってくれた、遠い国の冒険とロマンスの物語。
身分違いの恋、幾多の困難や魔物の襲撃、それを共に乗り越えて絆を深めていく王子と少女の旅路。ルチアは自身の感情を込めて、まるで目の前で起きているかのように鮮やかに紡いでいく。
コレットははじめこそ腕を組んでいたが、物語が進むにつれて抱えていたクッションを緩め、夢中になってルチアの言葉に耳を傾けるようになった。緑の瞳をキラキラと輝かせ、一言一句聞き漏らすまいと身を乗り出している。
そして——。
「……そうして、王子様と少女は世界を冒険しながら、いつまでも仲良く暮らしましたとさ。おしまい」
物語の幕が下りると、静かな部屋にはルチアの優しい声色の余韻だけが残された。
「……ふぅ」とルチアが息をつき、ふとコレットの顔を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
(えっ……!? 泣かせた……!? 私、何か気に障るようなこと言っちゃった……!?)
コレットの緑の瞳から、大粒の涙がポロポロと零れ落ちていたのだ。さらに、高揚したのか、頬はほんのりと赤く染まっている。
慌ててオタオタするルチアをよそに、コレットは両手で涙を拭い、興奮気味に声を弾ませた。
「す、素晴らしいお話でしたわ……!! どんな困難な壁にぶつかっても、手を取り合って立ち向かう二人……コレット、ものすごく感動しました……!」
「え……?」
「わたくし、ずっと部屋に閉じ籠もって退屈で、視察なんてどうでもいいと思っていましたけれど……今の物語の女の子のように外の世界を駆け巡ってみたいわ!」
涙ぐみながらも、少女の表情は今まで見たこともないほど生き生きと輝いていた。
(よかった……! 怒らせるどころか、めちゃくちゃ気に入ってもらえた……!)
ルチアは胸を撫で下ろし、心の底から大きく安堵の息をつくのだった。
◇
「ねぇ、あなたのお名前はなんだったかしら?」
感激を少し落ち着かせたコレットが、ふと思い出したように首を傾げて尋ねた。
ルチアは慌てて姿勢を正し、もう一度丁寧に名乗る。
「失礼いたしました。騎士の、ルーク・アルノーと申します」
それを聞いたコレットは、クスクスと可愛らしい声をこぼした。
「ルークね。……あなたって、なんだか他のいかつい騎士たちと違って、全然男らしくないわね。……ふふ、特別にこのお部屋に入る許可をあげるわ!」
(男らしくないって……そりゃ中身は女の子だもんね……)
と内心で冷や汗をかきつつ、ルチアは恭しく礼をした。
「ありがとうございます。光栄にございます、コレット姫」
すっかり警戒心を解いたコレットは、瞳をキラキラと輝かせてルチアの手を引っ張りベッド近くの椅子へ座らせる。
「ねぇ、ルーク! もっとお話聞かせてちょうだい! ここに来てからずっと退屈だったの!」
「承知いたしました」
笑顔で頷いたルチアは、兄から教わった別の甘い物語を思い出し、再び穏やかな声で語り始めた。
「……その少女は、母親と二人で慎ましく暮らしていました。ですが、その母親には、誰にも言えない大きな秘密がありました」
「まぁ! 秘密ってなに?」
身を乗り出し、目を輝かせて先を促すコレット。
ルチアはニッコリと微笑み、人差し指を軽く立ててみせた。
「姫様、それはこれから分かりますよ」
「もう、焦らさないでよ! 続きは?」
そこからの時間は、あっという間に過ぎ去っていった。
物語が一つ終わるたびに、コレットは「次はどんなお話?」「主人公はどうなっちゃうの?」とおねだりを繰り返し、ルチアは次々と心温まる恋愛や冒険の物語を紡いでいく。
気づけば、窓の外の空はすっかり茜色から群青色へと変わり、日は完全に沈みきっていた。
「コレット様、お時間です。そろそろ夕食の準備を……」
呆れたような、しかしどこかホッとしたような表情の侍女が、部屋に入ってきた。
「えー、もうそんな時間なの!? まだ全然足りないわよ!」
コレットは頬をプーッと膨らませて不満そうな声をあげる。
ルチアは苦笑しながら、宥めるように優しく微笑んだ。
「姫様、続きはまた明日です。今夜は美味しい夕食を食べてしっかり休んでくださいね」
「……明日も来てくれる?」
「はい、お約束します」
ルチアがそう答えると、コレットはやっと納得したように頷いた。
こうして初日の任務を予想外の形でクリアしたルチアは、深い安堵と心地よい疲労感を抱えながら、夜の闇に包まれた騎士団の宿舎へと帰っていくのだった。




