七十日目(二)
マヅチは薬がないことに気付いてから、きっと自分が生き延びられない可能性を感じ取っていただろう。それでもなお本気で生きて帰ろうとしているように振る舞っていた――私が生きていけるように。
なぜマヅチが今まで傍で私のことを助けてくれていたのか、ようやくわかった気がした。幼い頃から重病を患っていたマヅチは、おそらく自ら命を捨てようとした私に、命の価値を教えようとしてくれていたのだろう。自分の死をも顧みず、ただひたすら、私に……
観光施設の人たちが救助用の道具をもって救出しに来てくれるまでの間、レンジュはマヅチと共謀して私に隠していた秘密を全て明かしてくれた。
私たちは海中の洞穴を臨む岸辺に救助隊を待って腰を下ろしていた。マヅチの遺体があることは現地の言葉で白人男性に伝えてあるらしい。
レンジュは言った。
「マヅチとその約束を交わしてから、俺はイサナを守り抜く方法を考えた。そして思いついた最良の方法が、『成り代わり』だった」
「レンジュが……マヅチに?」
レンジュは自分の罪を意識しているかのように沈んだ面持ちで頷いた。
「どうしてそれが最良の方法だったの?」
「いつか、俺はイサナに酷い質問をしたね。あの時はもちろん、こんなことになるとは思っていなかった。ただ、イサナの意思を確かめたかっただけなんだ」
「……うん」
「あの時、イサナは俺よりマヅチの方が大切なんだって確信したよ」
私は何も返すことができなかった。今では、その自覚がある。私はレンジュ以上に、マヅチのことを想っていた。
「俺の方が大切に思ってもらえているなんて出過ぎた期待はしていなかった。せめて同等なら、まだ追い抜けるかもしれないって思っていたんだ。だから、俺はイサナが『二人とも同じくらいずっと一緒に暮らしたい』って笑って答えてくれるのを願っていた。でも、イサナは『答えられない』って怒った。きっとその怒りの分だけ、俺とマヅチの間には差があったんだ。だからこそ、俺は『成り代わり』が必ず成功すると確信した」
私は胸が苦しくなった。私の想像よりも遥かに上回って、レンジュは私のことを想ってくれていた。
もう耳を塞ぎたいくらい胸が苦しくなっていたが、今だけはそれをしてはいけないと判断できるだけの分別はあった。
「俺は『成り代わり』をより確実に成功させるために、幻覚成分を含むナツメグの毒を使った。気分が高揚したり、喉が渇いたりしていたと思うけど、全部ナツメグの毒の影響だよ」
「もしかして、免疫を強化する薬って言って飲ませてくれていた、あれ?」
「そう。でも毒物なんだから、飲ませてくれていた、じゃない。飲まされていた、だよ。途中、毒を飲ませ過ぎて、イサナが死んだはずの俺を幻視するっていう問題は生じたけど、結果的に、こうしてイサナを島から脱出させるまでは生き延びさせることができた」
言葉の割に、彼の顔色は少しも明るくはなかった。まだ話すことが残っているようだった。
「でも、俺はこのこと以上に、イサナに謝らないといけないことがある……」
「謝る……?」
「俺はさっきまで、自分をすっかり捨てて、ピエロとしてマヅチに成り代わっていた。でも、俺は最低なピエロを演じていたんだ!」
レンジュは俯き、顔を両手にうずめた。
「俺がマヅチに成り代わったのは、イサナを守り抜くという目的もあった。でも、俺の中には他にもあったんだ。二人の親友として、最高に卑しい、下劣な目的が。だからこそ、俺はこんな方法を思いついたんだ。俺は……」
レンジュの声は止めどない罪悪感に震え始めていた。
「俺はマヅチの殻をかぶり! イサナに毒を盛ってでも! イサナを手に入れたいという欲望が心の中にあったんだッ‼」
彼がそう叫んだ時には、彼の全身が小刻みに震えていた。
私は彼の心の叫びを聞いた。その悲しみの強さに、その罪悪感の強さに、私の心までもが共鳴を起こした。先ほど助かるとわかって真っ先に死んだマヅチに謝ったのは、きっとこれが理由なのだ。私の想像も及ばないところで、彼は計り知れないくらいのジレンマに苦しんでいたのだ。
「いいんだよ、レンジュ」
私は彼の身体をそっと抱擁した。そして思ったことを、包み隠さずそのまま口にした。
「レンジュは自分を殺してまで、自分のお墓を自分で作ってまで、私を守ろうとしてくれた。私を死なせないために、たくさん独りで抱え込んでくれた。だからそのくらい、いいんだよ。ありがとう、今までつらかったよね。それだけ、私のことを想ってくれていたんだよね」
私は心から言った。
「本当にありがとう。今まで気付いてあげられなくて、ごめんね」
レンジュは私の腕の中で泣き続けた。
やがて到着した救助隊により、私たちは島から救出された。
最初に私たちを発見してくれた白人男性は、フタバガキ科の一斉開花を調査しにきた学者だった。この奇跡がなければ、私たちが島から脱出することはなかっただろう。もしかしたら、この島は明確な意志をもって私たちを助けてくれたのかもしれない。
島を後にした私たちは、ボートの座席に並んで座り、モーター音を聞きながら白い飛沫と深青色の大海原を眺めた。いくつか警察に簡単な質問をされたが、本格的な事情聴取は私たちが十分な休みを取ってから行われるのだという。
「最後にもう少しだけ、マヅチの話をするよ」
そう切り出して、レンジュは語った。
「マヅチはね、ずっと怯えていたんだ。自分が死ぬ時、自分の命が生まれなくてもよかった、価値のないもので終わることを。小さい頃から、自分が長くは生きられないことを知っていたから、余計にね。でも、イサナが自殺をしようとした時、決めたんだって。自分の命はイサナのためだけに使おうって。心臓の発作が出て、息を引き取る最期の瞬間まで、マヅチはそのことに怯えていたよ」
私は疼く胸を押さえた。
「そっか……」
マヅチの心の根底には、彼の恐怖、弱さが巣食っていて、彼の心を侵していた。そして、それらの痛みを最期まで優しさで覆い隠し、独りで苦しみに耐え続けていた――全ては私のために。マヅチはただ、私のためだけに生きてくれた。
「もう私のこの命は、私一人のものじゃないんだね」
私の中にはマヅチの命があり、そしてレンジュの想いが宿っている。自分を殺してまで私のために尽くしてくれた二人のために、私は恩返しがしたい。
「私、生きるよ」




