16
ーーーすごい体験をしてしまった。これが噂に聞く“閨”というものなのね。
あれからレオリオンは一晩中私を離さず翻弄し続けた。
甘くしつこく私を追いつめる姿はまるで猛獣。私は為す術なく、食い尽くされたのだった。
痛む腰をさすりながら、帰らなければならないと思う。
家を知られていることはないだろうが、念の為住んでいるアパートを引き払った方がいいだろう。静かな森の中で暮らすのもありかもしれない。
《夜の祝福》についても月蝕の魔女が急に現れたら驚かせてしまうだろうが予告状は無しにしようかなと案を講ずる。そうすれば今後レオリオンと会うこともないだろう。
そん彼は気持ちよさそうに眠りながらもまるで私を逃がさないようにがっしりと腕の中に閉じ込めている。しかし瞬間移動を使えばこの腕から抜け出すのは造作もない。
なんとか身を捩り、彼の顔に近づくと、おでこにキスをする。
「私のことはもう忘れて、幸せになるのよ」
こうしては私は公爵邸を去った。
====================
家に着くと、どっと疲れが出てベッドに倒れ込む。
それにしてもすごい一日だった。
ずっと心残りだった幼い兄妹が実は公爵家の私生児で、今となっては誰しもが羨望と憧れの眼差しで見る魔法騎士となり、しかも私のことが好きで、あんな……。
昨日のことを思い出し、顔が火照る。
アンから閨のこと教えてもらってればまだ良かったかしら、そしたらまだあんなに好き勝手にされず済んだかもしれない。
でも、どれも過ぎたことだ。
「さ!とにもかくにも引越しよ!まさか家まで知られていることはないだろうけど念の為」
「予想通り質素なところに住んでいるんだな」
突然のことで体が反応できない。
絞り出すように声を出す。
「どうして、ここに」
「驚いただろ?俺だけしか使えないスペシャルな魔法だよ」
「追跡魔法?」
「ちょっと違うかな。なあ、ルナベル、一つだけ教えてあげるね。確かに月蝕の魔女と讃えられるその魔力は圧倒的で誰も敵うことができない。でもね、俺の魔法だってそこに届くんだよ」
黒紫の髪は窓から差し込む朝日を吸い込みより濃く見える。追い詰められているのはこの私だと、余裕そうな彼の表情が物語っていた。
「言うなればルナベルは膨大な魔力で強引に魔法を発動するパワータイプ。俺はアカデミー三年で卒業した天才、魔法学が大得意でアレンジも効くテクニックタイプ。誰かさんが魔法団を解散まで追い込んだから魔法騎士団に入ったけど、本来は飛び切り優秀な魔法使いってわけ。俺だけしか使えない魔法たくさんあるんだよ」
「これもその特別な魔法なの?」
「そう、しかもこれはルナベルは絶対に真似できない」
今回のこの一連の追い込み方。私のことをよく知っていないとできない仕掛けがたくさんあった。『お姉様は世間知らずすぎます。もっと危機感を持ってください』私のことを叱ってくれた優しい声を思い出す。
「そっか。一つだけ質問があるんだけど、いいかな?」
「ルナベルの頼みは断らないよ」
ぐいっと腰を抱き寄せ密着した体。
もし私の予想が正しければ、到底見過ごせない事態になっているはずだ。
「私が買った懐中時計を犯罪集団に盗ませたのはあなたね?」
「うん。その通り」
「わざと壊し、私の大好きなケーキをエサに近づいた」
「うん」
「ジェイドさんも共犯ね。平民のアイディアを採用するわけないと思ったのよ」
「確かにジェイドもグルだけど、オレンジピールは本当に感激していた。ケーキが完成したら一緒に食べに行こう」
「きっと私が懐中時計を買うことも、甘いものや海鮮がすきなのも、…とある貴族の娘だってことも全部知ってたんでしょう」
「その通りさ、全部知ってたよ。ついでにオレンジが好きなことも、美味しいものを食べた時の癖のことも」
アカデミーで出会い、共に魔法を研究し、私を追い詰める策略を練り練った二人の姿を想像する。
「セレナ…!」
膝に力が入らず、倒れそうになるのをすかさずレオリオンが支える。
魔女とは関係のない所で幸せに生きて欲しかった。なのにどうして、こんなことまでしても私に会いたいとでもいうのだろうか。
レオリオンに向き直ると声を荒げて問いただす。
「私とセレナの関係を知っている人は他にいるの」
「俺はセレナとクロノア・ルナベルに関する一体のことを口外しないという契約魔法を結んでいる。月蝕の魔女の正体を知るものは、クロノア家の人間と俺だけだ」
「よかった…!」
安心して次は体全体の力が抜ける。
でもこうしてはいられない。
レオリオンから離れると、急いで魔法を発動し荷物をまとめていく。
「ルナベル」
「セレナとレオリオンの言う通り、私は迂闊で世間知らずなところがあるのを認めるわ。いずれまた、誰かに正体がバレてしまったら大変よ。もう何もせず異国で生きるわ」
「ちょっと、おい」
「月蝕の魔女として活動してきたこの五年間だけじゃない、生まれてからずと嫌なことも危険なことも数えきれないくらいあったの。それにセレナは巻き込みたくない、セレナだけには笑って欲しいのよ」
「ルナベル!」
「だめよ、だめ、セレナだけはだめ。あの子は魔力も少なくて、悪い魔法使い狙われたらひとたまりもないわ!」
ーーーバリィイン
けたたましい音を轟かせ、窓ガラスか一斉に割れる
レオリオンが咄嗟に私に結界を貼り『ルナベル!』と抱き寄せる。
はーはーと肩を上下に揺らし息を吐く。だめよ、だめ、セレナだけはセレナだけは絶対にだめ。
「ルナベル」
頭の上で優しい声が響く。
「王直魔法騎士団に成績トップで入団予定の女騎士がいるんだ。そいつはな、気がとても強くで勝ち気、きっちり結んだ榛色の髪の毛を振り回し他の男の団員に食ってかかる猛獣みたいな女なんだよ」
「は、しばみ色…?そんな、まさか!セレナは領地経営学を学びに行ったはず」
「今のセレナにあったら腰ぬかずぞ。今や腕っ節は上から数えた方が早い。簡単にやられるような女じゃねーぞ。訓練のしすぎで肌も焼け、筋肉もついたが元の美しさは変わっちゃいない。ほんと王にお前たち姉妹はそっくりだよ。顔も性格もな」
私の頭頂部に顎をのせ、背中をポンポンと叩いていたレオリオンが『あーーーー本当に』といい頭をガシガシ掻く。
「お前ら姉妹って本当に姉妹だよな!?」
「なっなに言って」
「本当はどっちかが男で、義理の家族とかじゃないよな、あーでも顔そっくりだし、血は繋がっているか…」
「バカなこと言わないで」
この男、本当に突拍子のないことを言う。出会ってからずっとこうだ。
「相手が妹でも嫉妬しちまうよな」
また一段と腕に力を入れ、強く強く私を抱きしめる。
「でもいいや、ルナベルの一番になれなくても、俺の気持ちは変わらない」
頭の上にあったレオリオンの顔が離れ、私の顔を覗き込み二人で顔を合わす。今までにないくらい真剣な眼差しに嫌な予感がする。
「今まで数え切れないくらい、告白してきたよな。月蝕の魔女討伐を命じられた魔法騎士の言うことなんて信じられなかったのは知っている。でも、やっと“ルナベル”を捕まえられた。ありのままの俺で、ありのままのルナベルに告白したい」
レオリオンが私の手を掬い、甲に唇を落とす。長いまつ毛が影を生し、フルフルと震えている。
長い間唇を押し付けた後、懇願するように私を見つめる。昨日はこの瞳にまんまとやられてしまったのだ。
「ルナベル、愛している」
でももう、二度目はない。私は誰とだって一緒のにはいられないのだから。




