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席に座るとレオリオンが紅茶を乗せたワゴンを引いてきた。ポウっと指先から光を放つと、茶器が勝手に動き出しお茶を淹れる。
「レオリオン様にお茶を用意していただけるなんて、恐れ多いです」
「僕も飲みたかったから気にしないで。お気に入りの茶葉だからぜひ飲んで欲しくて」
いつの間にか目の前にカップが置いてある。深みのある艶やかな赤褐色にモルトを思わせる香ばしく濃厚な香り、大好きなアッサムのようだ。飲むのは実に五年ぶり。口に含むと豊かな旨味と甘みが広がる。
「美味しい」
「そうだろ、気に入ってくれると思ったんだ」
レオリオンも紅茶を口に運ぶ。静寂の中、日が差し込む店内で彼はそこにいるだけで絵になった。長くしなやかな指先が一つの音も立てずにソーサーからカップを引き上げる。背筋を一切崩すことなく完璧な優雅さを纏う彼は生粋の貴族、この国で二番目に大きい権力を持つグラディウス公爵家の後継者であることを思い出させた。
改めて考えればおかしな話である。
彼の《夜の祝福》でのとんでもない行動を目の当たりにしているので私も気負いなく接してしまっているが、本来であれば許されるはずもない。
そして、なぜ公爵家の人間がこんなところにいるのか。
私をひったくりから助けてくれたのは仕事の一環だったにせよ、そのあとケーキを奢り、厨房に立ち、平民にお茶を振る舞うなどあってはならない身分だ。
この男の本心はどこにあるのだろう。こんなにも高貴で美しく誉高い“天才魔法騎士”が月蝕の魔女のことが好きだなんてあり得るのだろうか。
ふと、レオリオンが飲んでいる紅茶に目が留まる。
「ウバを飲んでいらっしゃるのですか?」
「…そうだよ、よくわかったね」
ウバは刺激的なシャープな強い渋みとキレが特徴の紅茶だ。パティスリーやカフェを何店も経営していると聞いたのできっと甘いものが好きなのだろうと思っていたが、紅茶の好みは違うのだろうか。
「リナは普段からお菓子作りを?」
「はい、仕事が休みの時はお菓子作りをして楽しんでいます」
「あのオレンジピールは素晴らしかった。一からリナのアイディアなのかな」
「そうですね、オレンジが好物なのでこの香りを楽しめたらと思って作ってみました」
本当は魔法に『皮も食べれないかしら』とお願いしただけなのだが。
「…なるほどね」
レオリオンは視線を落すと再び優雅な仕草で紅茶を口に運ぶ。
「そういえば例の時計は無事に渡せた?」
「はい、あのあとすぐにお嬢様にお渡ししました」
そうだった、あの懐中時計は仕える家の主人に頼まれたものと言っていたのだ。
セレナのアカデミー卒業まではあと二ヶ月はある。時折を見て届けなければと思っているが、いつにしようか迷っているところだった。
セレナのことを考えると胸が温かく締め付けられる。
「リナは主人のことが大好きなんだね」
「…また顔に出てました?」
「うん、リナってすごく顔に感情が出やすいよ」
「今までそう思ったことはなかったのですが…」
「その迂闊さが本当に可愛い」
「レオリオン様!リナさん!レシピが完成しました!」
興奮気味にジェイドさんがキッチンから飛び出してきた。
あれ、今レオリオンなんて言った…?ジェイドさんの声と被ってよく聞こえなかったけど、何かとても不穏なことを言われたような気がしたけれど。当の本人は何事もなかったように視線をジェイドさんに向けている。
「ホール全体をチョコレートのグラサージュで覆い、オレンジの輪切りのコンポートを花弁のように重ねて飾り付け、華やかなデザインにしてみました。中は三層にして、一つはカカオのビスキュイ生地、その下はオレンジのムース、最後にキャラメリゼナッツとオレンジピールの食感も楽しめる層で締めくくります。これから試作に入りますが、もしこのケーキが私のイメージ通りに完成したら、この店が始まって以来の最高傑作になります!」
これも全部リナさんのアイディアのおかげです!と私の手を握りぶんぶんと振ってくる。その腕そっと制したレオリオンが『では試作を始めてください』と伝えると『はい!!』と勢いよくキッチンへ戻っていった。
「あとはジェイドが素晴らしいケーキに仕上げるでしょう」
「ふふ、楽しみですね」
一体どんなケーキになるのだろうか。話を聞いただけでもすごく美味しそうで期待に胸が躍る。
『そうだね』といつもより低い声が返ってきたので驚いて彼を見上げるが、表情は変わらず穏やかなままだった。
「ケーキが完成したら連絡するね。手を出して」
なんでもないかのように渡してきたのは、黄金に輝く一粒のピアスだった。
「通信魔法を込めたピアスだよ。これでいつでも連絡が取れるからね」
魔法は宝石に役割を与えることができるのか、初めて知った。……じゃなくて!
「今後レオリオン様と会うこともないでしょうに、私には必要ありません」
「いや、会わなければならない」
「なぜですか」
「今回の対価をロイアリティとして支払うとジェイドと決めたから」
「ロイアリティ?」
「このケーキの権利者はリナにあるから、ケーキの売り上げに応じて権利料を支払うことだ」
「まさか!このケーキはジェイドさんが作りあげるもので、私は何もしていません」
「オレンジピールのアイディアがなければ、このケーキは生まれなかった。そう言わずに受け取って欲しい」
これは困ったことになった。私はこの日が終わればもう二度と二人と会うつもりはなく、再び誰とも関わらない暮らしに戻らなければならない。特にレオリオンとは《夜の祝福》で今後も顔合わせることになるので何かのきっかけで月蝕の魔女と私が同一人物と気づかれるリスクもある。
「もしそのロイアリティを頂けるのだとしても、レオリオン様が直々に手渡しなさるおつもりですか?私がこのお店に立ち寄れば済む話です。なのでもう会う事はないでしょう。この度は貴重な機会をありがとうございました、では、私はこれで」
ピアスをレオリオンに押し付けお店を出ようとする。その私の腕を掴み『待って!』と引き留められる。
「…どうしても受け取らないと言うなら、せめてのも御礼に今夜一緒に食事しないか?」
「食事、ですか?」
「うん、すごくいいお店を知っているだ。きっとリナも気に入って来ると思う。海鮮料理のお店で甘くて美味しいお酒も多くあるんだ」
「私、お酒は飲んだことなくて」
「だったら尚更一緒にどうだい。お酒の飲み方教えるよ」
「あの、常々思っていたのですが、公爵様はなぜ私にここまでしくれるのでしょうか。いくら貴族のことなどわからない平民の私でも、流石におかしいと気が付きます。一体どうしてなのでしょうか」
「そうだな、実はリナに相談したいことがあるんだ」
「相談?」
「うん、とてもじゃないけどここでは話せないから内容だからやはり食事をしながらにしよう」
「ですから、私は食事など…」
「きっと私の話を聞いたら納得すると思う。僕の秘密に関することだ」
「この国で最も偉大なグラディウス公爵家後継者様の相談相手が私に務まるわけがございません」
「そんなことないよ、むしろリナに相談しないと意味がないんだ」
『意味がない』とはどう言うことだろう。それにしても公爵様の相談相手だなんて絶対に引き受けたくないが、私の腕掴む手が全く弛まないところを見ると諦めるきもなさそうだ。
とにかくこの食事さえ乗り切れば、もう二度とリナの姿になることはない。そうすれば会うこともないだろうと思い直し小さくため息をつく。
「…わかりました。お力になれなくてもお咎めはなしでお願いします」
「そんなこと当たり前だよ、ではお店へ案内しよう」
私の腰に手を回し瞬間移動を発動させる。
この選択が運命を大きく変えてしまうことになるとは、この時の私は知る由もなかったのだ。




