33話 県立図書館
自動ドアが開くと、中は少しひんやりとしていて、走って熱を持った体にはちょうどよかった。
入ってすぐ左側のロビーにある椅子には、所狭しと中学生や高校生らしき人たちが座ってゲームをしていたり、本を読んだり、喋ったりしている。
正面には2階へ上がる階段があり、視聴覚ホールや会議室などがあるらしい。右手には文書館、左手には図書館の入り口が見えた。
俺はまず図書館の方へと入り、郷土資料があるスペースを探した。
入り口の案内板を見ると、カウンターの角を右に曲がり、突き当たりまで進んだ場所に郷土資料があるらしい。
奥に見える一般資料スペースにはたくさんの人がいたが、案内板に従って奥へと足を進めると、周囲のざわめきがすっと遠のいていくのが分かった。
「郷土資料」とラベルが貼られた本棚の前に立つ。独特の静けさと、古い紙の匂いが鼻をかすめた。そこには誰もいなかった。
まずは背表紙のタイトルに目を走らせる。
「空海と讃岐:弘法大師生誕の地をめぐる信仰の系譜」
「庵治石と石工の町」
「香川の近代建築」
「こんぴら信仰」
……どれも、女木島に繋がりそうなものはパッと見た感じではない。
俺はさらに横へと移動しながら、視線を滑らせていく。
ふと、「過疎と再生の瀬戸内海」という本が目に入った。それを手に取って開いてみると、瀬戸内海に浮かぶ島々の歴史と過疎化の現状、それに合わせて今取り組んでいる観光誘致の方法などがまとめられていた。
そこに女木島の文字を見つけ、概要に目を落とす。
女木島は一九一四年にとある郷土史家があの山の洞窟を見つけたことをきっかけに、鬼ヶ島として有名になった——。
俺はその郷土史家の名前を頭に刻み、すぐ近くの「郷土人文庫」とラベルが貼られた本棚へと移動した。
そこで先ほどの名前を探してみる。
すると、棚の隅の方に、ぽつんと一冊だけその人物の著書が置いてあった。手に取って開いてみたものの、旧字体や独特の言い回しが混じっていて、今の俺には内容を読み解くのが難しかった。
仕方なくそれを元の場所に戻し、もう一度さっきの郷土資料の本棚へと戻った。
今度は、指先で背表紙をなぞるようにしてタイトルを追っていく。すると、「瀬戸内の島々と風土」という本が目に留まった。
それには、瀬戸内の島に住む人々がどのように暮らしてきたのか、農業や漁業を気候の観点から解説しているようだった。
ページをめくっていくと、「オーテ」という文字に目が止まる。どこかで見たことがあった気がした。
よく読んでみると、女木島には昔から「オトシ」と呼ばれる冬季の強風から家を守るため、「オーテ」という石垣が積まれている、と書いてある。
確かに、思い返してみると、彼女と巡った集落の中で立派な石垣を見た。あれはかつて女木島に住んでいた人が厳しい自然と戦うために考え、練り上げた、生きるための術だったのだ。
ふと、その本のあった場所の横に、「目で見る高松の百年」というずっしりとした大判の本を見つける。
開いてみると、白黒写真からカラーまで、およそ百年間の高松の歴史を写真でまとめたものらしい。
町や村で区切られており、その中に女木島も入っていた。そしてそこには一九三〇年代に観光会社が作った、「鬼ヶ島」のポスターが載ってある。
女木島の地図がイラストで描かれていて、鬼や子供がカラフルに、ポップに描かれている。
「ここから鬼ヶ島として有名になったのか……」
ペラペラとページをめくっていくと、学校という項目が出てきた。そこには俺自身の母校の小学校や中学校が載っていて、懐かしい気持ちになったが、その中に「女木島中学校」と書かれた写真があるのを見つけた。
キャプションには「女木島中学校一九五八年閉校、その後市内の中学校と合併」と書かれており、載っていたのは最後の卒業生の集合写真だった。
何気なく、並んだ生徒たちの顔を一人ずつ目で追っていく。……そして、ある一人の顔の前で、視線が完全に凍りついた。
「これ、おじいちゃんだ……」
以前、祖母の家で親戚が集まった時に、昔の写真を見せてもらったことがある。
確か、祖父が祖母と出会ったばかりの頃の写真だったと思うが、その時に見た顔と、この写真に載っている顔があまりにもそっくりだった。
流石に、俺の記憶の中にあるおじいちゃんとは随分年齢が違うが、何故かその時に見た写真の祖父の面影が、強く記憶に残っていたのだ。
——そこからの記憶は、少し曖昧だ。俺は取り憑かれたように、女木島の歴史に関係がありそうな本を片っ端から棚から引き抜いていった。
中には縄文時代から明治に至るまで、島がどのような軌跡を辿ってきたのかが書かれている本もあり、その一つ一つを見落とさないように、必死で文字を追った。
「あの〜そろそろ閉館の時間なのですが」
突然、後ろから声をかけられてハッと顔を上げる。閲覧スペースの窓から差し込んでいた夕日はとっくに沈んでいて、代わりにガラス窓には、呆然とした自分の姿が反射していた。
振り返ると図書館の職員が立っていて、困ったような顔でこちらを見ている。
「あ、すみません、片付けて出ます」
俺はそう言って、慌てて本を元の本棚へと返した。そして、職員以外は誰もいなくなった図書館を後にした。
来た時に入り口の横でたむろしていた学生たちは、もう誰もいない。
外に出ると、昼の暑さがまだ不気味に残ってはいたが、顔を撫でる夜風が涼しくてあまり気にならなかった。
俺は手を天に突き出して大きく伸びをしてから、祖母の家へと歩き出した。
その夜、俺は眠りにつくまで、祖父の部屋から持ってきたスケッチブックを眺めていた。
七月二十四日。その日付のページを最後に、スケッチブックは不自然なほど真っ白な余白を残して終わっていた。
しかし、他のスケッチブックを開いてみると、そこにはまた海や島などの景色が描かれていた。
だが、そこにあるのは、あの目を惹きつけるような鮮烈な絵というより、どこか寂しさを内包しているような、そんな絵ばかりだった。
俺は、机の上に開かれたままのスケッチブックに目を落とす。
一九五七年七月二十三日。
どこかで見たような、山の上から島を見下ろすアングルで描かれたその絵をじっと眺めて、思う。
祖父が女木島にどんな想いを抱いていたのかは、まだわからない。
あの絵を描いたんだとしたら、どうして描いたのかもわからない。
だけど、きっとそれは、彼女の願いに関係しているはずだ。
だから、描こう。
もう自分の感情に振り回されて、彼女を悲しませるような真似はしない。
彼女の願いを、今度はちゃんと聞こう。
俺はスケッチブックを閉じて、大きく息を吐いた。
窓の外からは、夏の虫たちが途切れることなく鳴き交う声が聞こえていた。




