2話 画用紙
郊外の住宅地はいつも人気のないような気がする。
祖父母の家の前で自転車を降り、門を開けて中に入る。停めてある白の軽自動車の横に自転車を停め、カゴに入った鞄と空になったスポーツドリンクをホルダーから外し手に取る。
玄関の戸の前に立ち、一瞬迷う。鍵は鞄の中にある。ただ、おそらく奥の方に仕舞ってあるだろう。そして、それを取り出す手間を考えるとチャイムを鳴らした方が楽なのではないか、という怠惰な誘惑に負け、戸の横のチャイムを押す。
ピンっという鈴の音が鳴り、数秒の後にガラガラと戸が開いた。
「あら、千冬ちゃん。いらっしゃい」
戸を開けてくれたのは祖母だった。
「うん、今日泊まってってもいい?」
「あぁ全然かまんよ。ほら入りまい」
言われて、戸をくぐる。いつもの、あの懐かしい匂いがして汗で濡れた肌が冷めていくのを感じる。
「お茶でええかい?」
「あーうん、お茶でいい」
廊下を歩いて行く祖母の背中に向かって返事をする。俺はリビングの座椅子に腰掛け、ふーっとため息を吐く。
「はい、これね。お菓子も食べていいから」
祖母はガラスのコップに入れた冷たい麦茶を机の上に置きながら、既にそこにあった和菓子や駄菓子を指し示す。
「ああ、ありがとう」
麦茶をぐいっと喉に押し込みながら、袋詰めされたチョコレートを一袋手に取る。
「そういえば、進路はもう決まったんな?」
「…………いや、まだ」
「そうな?画家さんになる思ってたけど、違うん?」
言葉に詰まる。微かに聞こえるエアコンの音の中でチョコレートを開ける音だけがやけに大きく聞こえた。
「画家になるって言ってもさ、結局不安定な仕事だし」
そう言った後に、どこか言い訳臭く感じて「そもそも食べていけるくらい上手くないよ」と付け足した。
「千冬ちゃん、昔っから絵上手かったのに」
「俺より上手いやつがいるって高校で思い知ったよ」
「じゃあ、もう絵は描かんの?」
「うーん……描きたくないこともないけど、描く意味がわからんくなった」
そう言うと、祖母は俺の顔を見ながら微笑んだ。
「じいちゃんも、よく言ってたなぁ」
「え?おじいちゃんが?」
「うん、じいちゃんも絵、描いてたんよ」
「え、全然知らんかった……」
祖父が絵を描いていたというのは今まで一度も聞いたことがなく、思わず身を乗り出して話を聞いていた。
「うん。若い頃はね、海とか島とか、よう描きよった」
「もしかして、飾ってある絵っておじいちゃんが描いたの?」
祖母の家には廊下やリビングなど、数枚の絵画が飾ってあった。どれも風景画で、瀬戸内の景色が描かれていることだけは知っていた。
「そうそう。他にもたくさん描いてたのはあるんだけどね」
「もしかして、今もある?」
祖母は少し考えるように天井を見上げてから、すぐに答えた。
「たぶん、じいちゃんの部屋に仕舞ってあるはずや」
その言葉を聞くとすぐに「見てきていい?」と言う言葉が口から出ていた。
「かまんよ。埃っぽいけん窓開けなね」
「ありがとう」と言って、廊下の奥のおじいちゃんの部屋に向かう。おじいちゃんの部屋はもう何年も行っておらず、一番新しい記憶は、まだおじいちゃんが生きている頃の、ご飯を呼びに行った時であった。確か小学2年生だったかな、と思いながら戸を開ける。
部屋は、まだ昼下がりだというのに薄暗かった。その原因を探るように全体を見渡すと、雨戸がほとんど閉まり切っていて、日差しを遮っていた。窓に近づき、鍵を開け、全開に開く。そして外側の雨戸も引いてみるが、錆びついているのか動かない。思い切ってふんっと力を入れるとキキッという甲高い擦れるような音を立てて微かに動いた。
キキッ、ズッという音を響かせながら何とか窓を開けると真夏の日差しが部屋の畳を照らし、空気中に停滞した埃の粒子と共に、机と椅子、たくさんの本が並ぶ本棚に加え、束ねられたスケッチブックが目に入った。
そのうちの一番上のスケッチブックを手に取り、机の上に置いて開いてみる。
一ページ目には海が描かれていた。透明水彩が滲んで、波が多様な表情を見せる。ページをめくると、次も海。その次も海。同じ海だが、波の印象が異なっている。わずがなズレを表現し、高さと光の置き方も異なる。何度も同じものを描いた人の絵だった。
そして、その次のページを開くと、どこかの港が描かれていた。
「うん?なんか見たことあるような……」
頭を捻るが、思い出せない。ページをめくると、次は海岸沿いの風景が描かれていた。次のページも同じく海岸沿い。そしてページをめくるごとに、とある島の風景を描いていると確信した。
そして、最後のページを開くと、そこには何も描かれておらず、代わりに一枚の紙が挟まっていた。
どうやらスケッチブックから破り取ったものではなく、別の厚い画用紙のようだが、そこには鳥居と共に、街を上から見下ろした風景画が描かれていた。
「これは……山からの景色?」
その紙を裏返して見ると、下に小さく「天空の鳥居より」と書いてあった。
他のスケッチブックもざっと見てみるが、同じように海と島ばかりが描かれているようで、そのような異質な紙は一枚も挟まっていなかった。
その紙を持って、リビングに戻る。
「ねぇばあちゃん、これってどこかわかる?」
「んん?いやぁわからん」
祖母はまじまじとその絵を見つめるが、結局どこなのか、何を思って描いたのかは今ひとつわからないようだった。
「じいちゃんって、海と島ばっかり描いてたん?」
「うん、そうやねぇ。わたしもどこの島かはわからんけど、よう描きよった」
「聞いたことはないの?」
「じいちゃん、絵について聞いたら、すごく寂しそうな顔をするんよ」
祖母はそう言って、微笑みながら「だからわからんな」と言っていたが、俺にはその顔もまた、寂しそうに見えた。




