20話 近道
今日は二度寝をせず、余裕を持ってフェリーに乗ることができた。
やはり昨日の倦怠感は、二度寝と起床直後の全力疾走のせいだったらしい。
もう慣れた道を進み、神社の石段を登ると、拝殿前に座っている少女の姿が見えた。
「今日は疲れてないみたいだね」
「あぁ。ちゃんと九時には起きて準備したからな」
「じゃあ、多少荒れた道に行っても大丈夫か」
「それは勘弁してくれ」
少女は楽しそうに笑って、石段を降りていく。俺もその後を追った。
すると、少女はすぐに神社の横にある小道へ入っていった。
「さっそく雲行きが怪しいんだが」
「えー? ここはまだ誰でも使う道だよ」
「まだってことは、誰も使わない道も行くってことじゃん」
「あ、バレちゃった」
少女は悪びれる様子もなく、軽い足取りで進んでいく。
少し歩くと視界が開け、そこにたくさんのブロックが積まれた塀のようなものが見えた。
「これ、なんだ?」
「祭りの出し物みたいだねー」
「あぁ、瀬戸芸の作品なのか」
見渡すと、作品の説明が載っている立て看板を見つけた。
近づいて読んでみると、どうやらここは元々段々畑だったらしい。その地形を利用して、焼き物の作品を展示しているようだった。
大パノラマ、という文字を見て思わず振り返る。
そこには、作品と溶け合うように女木島の家並みと瀬戸内海、そして高松の街が一望できた。
「おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
その横から、少女の声がした。
「描く?」
見ると、少女が満足そうに微笑んでこちらを見ていた。
「……いや、今度描くよ。今日は行くところがあるんだろ?」
「そっか。じゃあ、今度また描きに来てね」
少女はそう言って、木々の間にうっすらと見える獣道へ進んでいった。
後を追うと、洞窟へ向かった時と同じような、木々の生い茂る険しい道だった。足元には落ち葉や枝が散らばり、少し気を抜くと靴底が滑りそうになる。
そんな道を、少女は何事もないようにすいすい進んでいく。
さっき一瞬、少女の表情が寂しそうに見えた気がした。
けれど、その軽い足取りを見ていると、気のせいだったのだろうと思うことにした。
それから十分ほど歩いたところで、アスファルトで舗装された道に出た。
「こっからは一本道だから」
「ちゃんと舗装された道あるのかよ」
「そりゃああるよ。あんまり島を馬鹿にしないでよね」
「いや、そうじゃなくて。じゃあ、なんであんな道を歩かせたんだよ」
「え? 近いから」
そう言って、少女は一滴の汗もかかずにまた歩いていく。
こっちはすでに額に汗が滲んでいるというのに。
「島の近道って、全部信用ならないな」
「慣れれば楽しいよ」
「慣れる前に足首やるだろ」
「大げさだなぁ」
少女は笑いながら、道の先へ進んでいく。
そこからまた十分ほど道なりに歩いたところで、足元は舗装路から土の道へと変わった。
そのすぐ先で、少女が振り返る。
「ここだよー」
指差す方を見る。
左手に何段かの石段があり、その上に直径二メートルほどの大きな岩が鎮座していた。
周りには木々が生い茂っている。観光地というより、山の中にぽつんと置き去りにされた場所のようだった。
石段の間には落ち葉が敷き詰められている。足元に気をつけながら登ると、岩のそばに小さな石が積み上げられていた。
形から見るに、祠に見立てているのだろうか。
そのすぐそばには、小銭がいくつか転がっている。
まるで、この岩そのものに何かが宿っているような雰囲気だった。
「この岩はなんなんだ?」
「えっとね〜、お姫様の霊が眠ってるんだって」
「お姫様の霊?」
「うん。さっき看板に書いてあった」
どうやら看板を見逃していたらしい。
石段を降りてみると、確かに道の脇に立て看板があった。
そこには、この場所が琴姫大明神として祀られていることが書かれていた。
「ということは、神社なのか?」
「まあ、そんな感じかなぁ」
少女は曖昧に答えて、上を見上げる。
木々の間から、わずかに青空が見えていた。風が葉を揺らす音が、なぜか涼しく聞こえる。
俺はその音を聞きながら周りを見渡した。
何を描くべきか。
昨日の海は、広すぎて迷った。
けれど、今日の場所は逆だ。視界は木々に遮られ、描けるものは限られている。
それなのに、どこを描けばいいのかがわからなかった。
石段か。
積まれた小石か。
木漏れ日か。
それとも、真ん中に鎮座する大きな岩か。
視線は結局、その岩に吸い寄せられる。
俺は石段の下に腰を下ろし、岩を見上げる形でスケッチブックを開いた。
「今日はこれを描くのか」
「うん」
「……正直、ただの岩にしか見えないんだけど」
「ただの岩じゃないよ。お姫様が眠ってるんでしょ」
「それ、本当なのか?」
何気なく聞くと、少女は少しだけ口を閉じた。
そして、岩の方へ視線を向ける。
「本当じゃなかったら、描かないの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、本当かどうかってそんなに大事?」
「大事だろ。嘘か本当かで、意味が変わるじゃん」
「そうかな」
少女は石段に腰を下ろし、膝に頬杖をついた。
「私は、誰かが忘れたくなかったから、こういう話になったんじゃないかなって思う」
「忘れたくなかった?」
「うん。ここに誰かがいたこととか、何かがあったこととか」
木々の葉が揺れる。
その隙間から落ちた光が、岩の表面にまだら模様を作っていた。
「でも、姫の霊って言われてもな」
「うん」
「実際にどんな人だったのかもわからないし、そもそも本当にいたのかもわからない」
「それでも、残ってるでしょ」
少女は小さな石積みを指差した。
「誰かがここに来て、お金を置いたり、手を合わせたりした。そういうのは、本当にある」
言われて、俺は小銭の転がる地面を見る。
十円玉か、五円玉か。土と落ち葉の色に紛れて、少し黒ずんでいる。
立て看板の文字よりも、その小銭の方が妙に現実味を持って見えた。
「……伝承って、そんなものなのか?」
「さあ」
「さあって」
「私も全部知ってるわけじゃないもん」
少女は軽く笑った。
けれど、その笑い方はいつもより少しだけ静かだった。




