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笑った女鬼の島  作者: アコウ丸


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17話 残したいもの

 少女は時折、横から絵を覗き込んでみては、足をぶらぶらとさせながら遠くを見たりしていた。

 最後の色を乗せて終わって顔を上げると、気付かないうちに側に寄ってきていたのか、少女は野良猫を膝に乗せて頭を撫でていた。

「あ、できた?」

「できた。その子は?」

「ついさっきからここに居るんだよ、ね?」

 少女は野良猫に返事を求めるように声をかけると、その野良猫は小さくニャーと鳴いた。

「あ、そういえば昨日ここに来た時にいた猫かな」

 独特な三毛模様を見て昨日のことを思い出す。確か、境内に駆けて行った猫と似ている気がする。

「そうなの? あっ」

 何を思ったのか、突然少女の膝から降りて、また奥の方へと逃げて行ってしまった。

「君のこと嫌いみたいだね」

「え、今の俺のせい?」

「でしょ」少女はニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見る。俺は小さくため息を吐いた。

「それより、見ないの?」

「あ!見る見る!」

 慌てた様子で俺の隣にピッタリと引っ付くように腰を下ろして、絵を覗き込んでくる。

「おー!よく描けてるじゃん!」

「ちょ、近いって」

 肩と肩がふれあい、思わず俺が身を引いて横にずれると、それを見た少女はニヤリと口の端を持ち上げた。

「え?なに?照れてるの?」

「照れてない。距離感がおかしいだけ」

「えー?ほらほら、正直になりなって」

 少女は肘で俺の脇腹をつついてからかってくる。

「ちょ、やめろって」

「本当のこと言うまでやめなーい」

 少女は楽しそうに、えいえいと小突いてくるが、俺はそれを大袈裟に避ける。

 すると、突然、ぐうっという間抜けな音が境内に響いた。

「…………」

「…………」

 少女は肘で突くのをやめてゆっくりと俺を見る。

「今の、何?」

「セミだ」

 耳を傾けると、蝉は島全体に響き渡るように大きくミーンミンと鳴いていたり、ジジジという音を立てて鳴いている。

一拍置いて、少女が吹き出した。

「何で誤魔化すの」

「お前が悪いんだろ」

「私のせいじゃないよ」

 少女の笑いはしばらく収まらずに、一通り笑うとやっと息を落ち着かせた。

「お昼食べてないの?」

「食べてないっていうか、食べるタイミングがなかっただけ」

「ほんとに?」

 少女の目が少し細くなる。思わず目を逸らして誤魔化そうと思うが、上手く言葉が出てこずに正直に話す。

「……フェリー代が思ったよりかかるんだよ」

「フェリー代?」

「高松と女木島を往復する金。毎日来るなら、結構な出費になる」

「へぇ。船に乗るのって、お金いるんだ」

「え、そこから?」

「あんまり乗らないから」

「島にいるのに?」

 そう言うと、少女は一瞬だけ口を閉じた。だがすぐに、いつもの調子で笑う。

「島にいるから乗らないんだよ」

「……まぁ、それもそうか」

 どこか引っかかる言い方だったが、深く考える前に、また腹が鳴りそうになって俺は姿勢を正した。

「一食くらい抜いてもなんともないし」

「ダメだよ」

「急に真面目だな」

「だって、倒れたら絵が描けないじゃん」

「心配するとこそこかよ」

 少女は当然のように言った。その言い方が、昨日の「取引」の内容を思い出させる。

「いっぱいって、どのくらいだよ」

「女木島全部」

「範囲が広すぎる」

「じゃあ、君が見つけた女木島全部」

「それでも広いだろ」

「でも、君なら見つけられる気がする」

 少女の声は軽い。けれど、その言葉だけは不思議と冗談には聞こえなかった。そもそも「見つける」とは何かと聞こうと思ったが、少し黙る。

「……いいけど、金銭的に、あと1週間くらいしか来れないぞ」

「あと1週間……」

 少女は少し考え込むように呟いた。

「それでいいなら、描くけど」

「……うん、わかった。それでいいよ」

「その代わり、約束は果たしてくれよ」

「わかった。約束する」

 そう言って、少女は小指を立てて胸の前に突き出した。俺は一瞬、どうしようか迷ったものの、同じように小指を立てて彼女の小指に絡めた。

「じゃあ、明日も来てね」

「……あぁ、わかった」

 彼女の小指は、想像よりも温かかった。絡んだ指はすぐに離れたが、しばらく小指にその熱が残っているように思えた。

 ふと気づくと、空は徐々に茜色に染まりつつあった。

「もうこんな時間か」

「ほんとだ。あ、そういえば、今日は何で来るの遅かったの?」

 少女は首を傾げてこちらを見た。昨日は十二時のフェリーに乗ってきたからおそらくこの神社で会ったのは十三時前後だったはずだ。確かに、今日は担任に呼び止められたせいで十四時のフェリーに乗ってきたから昨日よりは遅かった。

「あー……進路指導があったんだよ」

「しんろしどう?」

「これからどうするのか決めろって話。大学行くのか、専門行くのか、就職するのか」

「ふーん」

「興味なさそうだな」

「興味はあるよ。よくわからないだけ」

 少女はそう言って、足元の小石を軽く蹴った。

「君は決まってないの?」

「決まってたら言われてない」

「そっか」

「そっかって」

「でも、ここには来たんだね」

 何気ない言葉だった。けれど、俺は少しだけ返事に詰まった。

「……取引だからな」

「あの絵のことを知りたいから?」

「そうだよ。だから来ただけだ」

「だけ?」

「……だけ、だろ」

「ふーん」

 少女は疑うようでも、からかうようでもない顔で、俺を見た。

「じゃあ、ちゃんと描かないとね」

「わかってるよ」

「ちゃんと見ないと、あの絵のこともわからないかもしれないし」

 少女がじっと俺の顔を見ているのに気づいて、その目線に耐えられずに目を逸らす。

目を逸らした先で、さっき書いたスケッチブックが視界に入った。

 海と空、遠くに並ぶ高松の街並み。手前には、民家の屋根と畑。それから、その間を抜ける細い道。

 さっき紙の上に線を引いていた時、俺は目の前の景色をどう残すか考えていた。

 「残したいもの」という意識はまだ分かりきっていないが、描き終わってみると、少しだけわかるような気がした。

「……じゃあ、そろそろ行くから」

「うん」

 そう言って、立ち上がり、石段の方に向かって歩こうとした時、少女が口を開いた。

「あ、そういえば君って名前なんて言うの?」

 思わず振り返ると、少女は座ったままこちらをじっと見ていた。

「今聞くのかよ」

「昨日聞きそびれたから」

「…………千冬」

「ちふゆ?」

「そう。一十百千の千に、季節の冬で、千冬」

「夏なのに?」

「俺が決めた名前じゃない」

「でも、いい名前だね」

 少女はそう言って、目を細めた。

「暑い日に聞くと、ちょっと涼しい」

「名前に涼しさ求められても困る」

「じゃあ千冬、また明日ね」

「呼び捨て早いな」

「取引相手だから」

「取引先なら敬称つけろよ」

「千冬先生?」

「やっぱなし。余計むず痒い」

 少女はまた笑った。

 その声に混じって、境内の外からヒグラシの鳴き声が響いた。

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