12話 海賊
「ねぇ」
ノミで削られた跡が残る壁を眺めていると、唐突に少女が口を開いた。
「なんだ?」
「鬼って本当にいたと思う?」少女もまたその壁を見つめたまま問いかける。
「それ俺が聞いたやつなんだけど」
「あれ、そうだっけ?」わざとらしくきょとんとした。その表情に、はーっとため息を吐きながら答える。
「絶対覚えてるだろ…………まぁでも、鬼かどうかはわかんないけど、ここに誰かが居たってことは確かだと思う」
「どうして?」
「どうして……うーん、鬼は海賊だってのが有力な説なんだろ?」
「そうだね」
「じゃあ海賊がここに隠れてたって考えるのが自然じゃないか?」
「じゃあ、鬼はいなかったっていうこと?」
「いや、鬼が海賊だったんなら鬼はいたって言えると思うけど」
「じゃあなんで私に鬼がいたと思うか聞いたの?」
少女は責めるような口調ではなく、ただ初めて見たものを親に聞く子供のように言った。その言い方に、俺は「やっぱり覚えてたじゃないか」とは言えず、素直に答える。
「単純に、気になったんだよ」
「何が?」
「鬼って言葉が」
そう言うと、少女はようやくこちらを見た。
洞窟の照明が逆光となって、少し赤みがかった茶色のその瞳は、少し暗く見える。
「確か前に聞いたんだよ、女の鬼を見たって噂を」
「ふうん、それで?」
「その時に鬼って単語に引っかかって。鬼って、大体、こんなふうに赤かったりツノが生えたりしてるだろ?」
そう言って金棒を担いで立っている赤鬼の人形を指差す。
「うん」
「じゃあ、そいつの言う鬼って本当に鬼だったのか、それとも何か理由があって鬼って言ってたのかよく分かんなくなるなって」
「ただの見間違いじゃなくて?」
「いや……詳しくはわからない。けど、そいつが心霊スポットに行って見たって言うならただの幽霊かもしれないな」少し重くなった空気を誤魔化すように軽い口調で言った。
「幽霊の方がロマンあるじゃん」
「ロマンあるか?怖いだろ」
「えー、そうかなぁ」納得できない、と言った感じで口を尖らせる。
「もしさ、その人が見たのが鬼の形をした幽霊だったらなら面白くない?」
「……それって結局、鬼は海賊じゃなくて鬼だったってことにならないか?」
「そ。だから鬼は本当にいたのかって聞いたんだよ」
少女はまるで最初から俺がその噂を聞いていたことを知っていたかのような口ぶりで話す。
「なんだよそのこじつけ」
「こじつけじゃないよ、ロマンだよ」
そう言ってまた自信ありげにスタスタと歩き始める。
「そういえば、絵は描かないの?」
唐突に絵という単語を出されて思わず「え?」と声を漏らす。
「スケッチブック、持ってたでしょ」
「何で知ってんの?」
「神社で見た」
俺は神社で休んでいた時のことを思い出す。確かに彼女が現れた時にリュックのファスナーが開いていて、スケッチブックが見えていたかも知れない。
「ここは描かないの?」
「だって、薄暗いし」言い訳じみた言い方で言い返す。
「せっかくだから描けばいいのに」
「それなら写真でいいだろ」
「うわ、つまんない。ほんとに絵描き?」
少女は振り返って俺の目をジトーっと見つめる。その視線に何故かむず痒くなって思わず視線を逃す。
「絵描きっていうほどでもないし」
「絵描きじゃないのにそれ持ち歩いてるの?」
そう言われて、クリアファイルに挟んだあの絵が脳裏に浮かぶ。わざわざ新品のスケッチブックを持ってきたのは光に『その絵について何もわからなければ絵でも描いて将来を考えたら?』と言われたからだった。
「あー……まぁ事情があるんだよ」
「事情?」
「あっほら、出口じゃないか?」
俺はあからさまに話題を逸らすために、奥の光が差し込んでいる場所を指差す。右を見ると、複数の鬼の人形がこちらに向かって手を挙げて、「また来てね」と今にも言い出しそうなくらい気の抜けた表情で立っている。
「ちょ、なんで話逸らすの!」
「意外と広かったなー、四〇〇〇平米もあるんだっけ」
「…………そうだねー」
少女は聞くことを諦めたのか、棒読みで相槌を打ち、出口の傾斜を駆けて登っていく。
洞窟を出た瞬間、白い光が視界いっぱいに広がった。冷えた肌に夏の熱が一気にまとわりつく。忘れかけていた厳しい日差しに思わず目を細めると、遠くで蝉の声が一斉に戻ってきた。
「やっぱ外あっつ」
「冷えた体にはちょうどいいでしょ」
「ちょうどよくない、致命傷レベルだわ」
「これだから最近の若者は……」少女はやれやれと言った具合に額に手を当てて、わざとらしく呆れている。
「年そんなに変わんないだろ」
自分で言いながらそう言えば年齢を知らなかったことを思い出す。それと同時に名前も聞いておこうと思って口を開く。
「あっそういえば」
「ねぇ、展望台行かない?」
少女は俺の言葉を遮るように矢印の上に展望台と書かれた看板を指差す。
「えっ、あぁうんいいけど」
「よしっ、じゃあ行こ」
彼女は俺の返事も聞かずにさっさと歩いて行ってしまう。
その後を追って行くと、どうやら展望台への道は石畳で舗装されているらしい。数分歩くと、物見櫓のような、螺旋状に階段が一周している展望台を見つけた。
その階段を登ると、一面に絶景が広がった。
すぐ下には女木島のタカト山と呼ばれる山の尾根が連なっており、逆に遠くには見慣れたシンボルタワーと高松の市街地が広がっている。
ゆっくりと左に回りながら見渡すと、平らな尾根が特徴の屋島や大島、小豆島、そして奥には岡山県すらも見渡せた。
「おぉ……めっちゃ綺麗」
「だよね。お気に入りの場所なんだ」
少女はベンチに腰掛けながら、俺の感想を聞いて満足そうにぶらぶらと足を揺らした。
「ここにはよく来るのか?」
「うん」
「……やっぱり島に住んでるんだよな?」
「だから、幽霊だって」
そういって、また揶揄うように口角を上げた。




