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笑った女鬼の島  作者: アコウ丸


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10話 少女

 石垣から飛び降りた少女は、着地の瞬間に少しだけ膝を曲げた。砂利が小さく鳴って、スカートの裾が遅れて揺れる。

 俺は思わずその動きを目で追っていた。

 年は自分より少し下だろうか。肩のあたりまでまっすぐ伸びた髪は、真っ黒というより、夏の日差しを受けて少し赤く透けて見えた。

「そんなとこ、ってことは違うの?」

 少女は首を傾げる。

「あー……観光というか、まあ、散策?」

「ふーん。変だね」

「変か?」

「変だよ。観光客はだいたい、この上の洞窟に行くか、作品見て写真撮って帰るか、海で遊ぶかだから」

 そう言って少女は、俺の横に置いてあった鞄に目を向ける。タオルを取り出した際に開けっぱなしにしていたファスナーから、新品のスケッチブックがちらりと見えていた。 

「そのどれでもなさそう」

「まあ、確かに」

 言われてみれば、その通りだった。

 俺は海に入る格好でもなければ、首からカメラを提げているわけでもない。スマホ片手に作品を巡るわけでもなく、ただ自転車で島の坂道を登ってきて、神社でへばっているだけの人間だ。自分で考えても、かなり不審だった。

「君は? 島の人?」

 何気なくそう聞くと、少女は一瞬だけ目を細めた。

 その表情は本当に一瞬で、すぐに何でもないように笑った。

「そう見える?」

「いや、わからん。石垣に立ってた時は幽霊かと思った」

「じゃあ、幽霊かもね」

「なんだよそれ」

 思わず突っ込むと、少女は楽しそうに笑った。最初に一目見た時とは一八〇度違う印象だ。その笑い声は、神社の境内の中でやけに軽く響いた。蝉の声と葉擦れの音に混ざって、すぐにどこかへ消えていく。

「ここ、暑いでしょ」

 言われて辺りを見渡す。鳴り止まない重奏のような蝉の声と、木漏れ日というには鋭すぎる夏の日差しに目を細める。

「暑い。正直、舐めてた」

「自転車なんて乗ってたらすぐ茹であがっちゃうよ」

「身をもって知った」

 そう言って額の汗をタオルで拭うと、少女は立ち上がって数歩前に行き、くるりと振り返った。

「じゃあ、涼しいところ行かない?」

「涼しいところ?」

「うん。この上の、洞窟」

 少女が指差す方を見る。指先は木々の間から見える山を指していた。

「あぁ、鬼ヶ島洞窟か。ちょうど行こうと思ってたんだよ」

「そうなんだ、じゃあ丁度いいじゃん」

「案内してくれるのか?」

「もちろん」

 少女はそのまま本殿の方へ歩き、賽銭箱の前で足を止める。それから振り返って、いたずらっぽく目を細めた。

「何お願いしたの?」

「特に何も」

「言ったら叶わないとか、そういうやつ?」

「いや、そもそも人に言うような願いでもない」

「へえ。すごい願い?」

「何かいいことありますように、っていう雑なやつ」

 正直に言うと、少女はきょとんとした顔をした。

 そして、次の瞬間には腹を抱えるほどではないが、肩を揺らして笑い出した。

「雑すぎ」

「だって、願いなんて急に言われても出てこないだろ」

「十円でそれは欲張りすぎじゃない?」

「な、そこまで見てたのか」

「当たり前でしょ」

 少女はまた笑った。何が当たり前なのかはわからないが、その声を聞いていると、さっきまでの疲れが少しだけ軽くなる気がした。

 少女の後を追うように石段を降りて鳥居をくぐる。そして、脇に停めてあった自転車のことを思い出し、ポケットに手を突っ込み鍵を探る。

「自転車、ここに置いて行ったら?」

「いいのか?」

「たぶん、今日は人もそんなに来ないし」

 何も確証があるわけでもないのに、少女の口から放たれたその言葉には妙な納得感があった。

「平日はやっぱり人が少ないのか?」

「うーん、そこまで変わらないかな」

 少女は足で小石を転がしながら「でも」と言って言葉を足す。

「あの祭りが開かれてる時はいつも人がたくさん来るよ」

祭りと言われて一瞬きょとんとするが、すぐに意味を理解した。

「あぁ、瀬戸芸か」

 少女は何も言わずにこくりと頷く。手を後ろで組んでまだ足で小石を転がしていたが、その表情はどこか寂しそうに見えた。

 自転車をそのままにして、さっき俺が登ってきた坂道の上を見る。神社を境に左にカーブしていて、その先が見えなくなっていた。少女は小石を転がすのをやめて、歩き始める。少し進むと、先ほどのカーブに突き当たり、足を止める。

 すると、少女は舗装されたアスファルトの道路から逸れて細い獣道に入って行った。その後ろ姿を見ながら声をかける。

「道こっちじゃないのか?」

「こっちの方が近いからー」

 少女は振り返らずにぶっきらぼうに答える。仕方なく後ろをついていくと、開けた棚田のような地形が目に入る。

「こんな抜け道があるんだな」

「秘密だよ」

 少女はやっと振り返ったと思うと、口角をニヤリと持ち上げイタズラな笑みを浮かべた。

 そうして棚田を抜け、木々と木々の間にある、わずかな幅の道に入った。

「これほんとに合ってるのか?」

「大丈夫大丈夫。あと数歩で着くから」

 全然大丈夫に聞こえない言い方で少し不安になるが、言われた通りに歩く。

「数歩進んだけど?」

「うん、それがどうしたの?」

「いや、どうしたのじゃなくて。あと数歩で着くって言いましたよねあなた」

(たと)えに決まってるじゃん」

 少女はケラケラと揶揄(からか)うように笑う。その様子に俺は何か責めるようなことを言う気も失せて、若干顔が緩んでしまう。

 足元は木の枝や落ち葉で埋め尽くされている。上を向くと葉が日差しを遮ってくれていて、そのおかげか少しは暑さがマシに感じられた。

 ふと腕に止まる蚊や顔にまとわりつく小さな虫を払い除けながら呟く。

「これ光だったら絶対死んでたな」

「コウってだれ?」

「ん? あぁ俺の友達」

「へー。なんで死ぬの?」

「めっちゃ虫嫌いなんだよ、あいつ」

「虫かぁ。私は好きだけどなぁ」

 虫を手で追い払いながら少女を見ると、虫を全く気にすることなく前に進んでいる。虫除けスプレーでも振っているのか、それともそう言う体質なのかわからないが、あまり蚊もたかっていないようで少し羨ましい。

「あっもうちょっとで着くよ」

「そのもうちょっとって数歩と同じ意味じゃないだろうな」

「違うよー、ほら」

 少女は道の先を指差す。見ると、アスファルトで舗装された道が視界に入った。草をかき分けて道に足を踏みいれると、奥に駐車場と思われるスペースが見える。

 近寄ると、駐車場には車は一台も停まっていないようで、バスと白線で書かれた文字が顕になっていた。おそらくバスの時間とはすれ違っているのだろう。

 右を見ると石段と、巨大な赤い鬼の人形が目に入った。

「鬼だ」

 少女はその人形をじっと見つめながら呟く。やはり島に住んでいて見慣れているのだろうか、特に驚く様子もない。

 俺は鬼という単語に胸の奥が微かに反応して、どこかで聞いた噂話を思い出す。

 瀬戸内には鬼が出る。

 

「鬼って、本当にいたと思うか?」

 気づくと、そんなことを聞いていた。

 少女はこちらを見る。

「どうして?」

「いや、ここって鬼ヶ島って呼ばれてるんだろ。由来とかは確かじゃないけど、この洞窟にも鬼が住んでたとか」

「観光案内みたいなこと言うね」

「一応県民だしちょっとくらいは知ってるよ」

「ふーんそっか」

 少女は適当な相槌を打って石段を登り始める。

「でもちゃんと見ないとね」

 少女はまた、揶揄うように軽い調子で言った。

 けれど、俺にはその言葉が妙に気になって、胸に引っかかった。

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