第66話
勤務先のホテルの客室には、珠子の描いた絵が飾られている。ホテルのオーナーが珠子は絵描きであるということを知り、尚且つ、描く絵を気に入ってくれたのだ。
何なら会うたびに新作の行方を尋ねてくれるから、気にかけてくれるその気持ちがありがたいことこの上ない。
「たまこ、クリスマスは何をして過ごすんだい?」
ホテルで働く同僚とランチ休憩をしながら、何気ない会話を交わしていた。
「別に?一人で、過ごすよ。サウナでも行こうかな。」
珠子の答えに、同僚は驚いたように目を見開く。
「家族に会いに、日本に戻らないの?」
日本では逆でフィンランドではクリスマスを家族と、正月に友人や恋人と過ごすのが定番だ。そして珠子がフィンランドに来て、一度も家族のもとに帰っていないことは知られていた。
「家族は大事にしないと。今年は、絶対に戻るんだよ。」
普段、あまり深入りしてこない同僚も苦言を呈する。
「えー…、でも、お金もかかるし。」
珠子はクリームパスタを一口大に丸めながら、視線を落とす。
「貸すよ?」
いつの間にかオーナーが背後に立っていて、珠子たちの話に混ざった。
「君はよく働いて勤勉だし、お給金の前借ぐらい援助をしよう。」
「たまこ、よかったじゃないか!」
「…。」
こうして外堀を埋められて、珠子の一時帰国が決定した。
久しぶりの日本はフィンランドに比べると、随分と温かい冬だった。
さすがに給料の前借は断ったものの休暇を得て向かった先は、実家のある長野ではなく大学生の頃に住んだあの町だった。ビジネスホテルに宿を取り、珠子は早速散策を開始した。
「…懐かしい。」
時代の波だろうか。駅前に大きなスーパーが建てられていたが、商店街ではなじみのある店がまだ数件残っていた。個展を行ったカフェは今も頑張って、営業していたことが嬉しい。
久しぶりに、カフェの扉をくぐる。カラン、と涼しげな音は記憶を呼び覚ますに十分な合図だった。
店内の壁にポスターが貼ってあり、二階は今、雑貨の委託販売をしているようだ。思い出よりも若干、客足が賑わっている気がする。
「チャイをホットで、一つ下さい。」
「はーい。少々お待ちくださいねー。」
カフェのオーナーは女性の店員に、代替わりをしていた。話を聞くと、前オーナーの姪っ子らしい。今、前オーナーはのんびりとした隠居生活を楽しんでいるという。お元気そうで何よりだった。
スパイスの利いたチャイをテイクアウトして、飲みながら歩く。相変わらず地域猫は多かったが、ミケの姿は案の定見つからない。しあわせな猫生を送っていてくれたらいいと思う。
道の角を曲がると、健と過ごしたあのアパートが見えてきた。といっても、外壁などリホームされていて随分と綺麗になっていた。ほんの少しの寂しさを感じるものの、清々しさの方が勝った。思い出は清算されるべきだ。
見上げた二階のアパートの窓には、歯ブラシ2本がコップに入れて置いてある。間取りが昔と一緒なら、あの場所は確か…そう。洗面所だ。どうやら住人は二人暮らしらしい。
ベランダには小さな家庭菜園があり、その生活の質が知れる。
アパートの周囲を一回りして、珠子は記憶を手繰りながら神社へと向かう。途中、コンビニで肉まんを買い求めて腹を満たした。さすがに複数を食べれば、胸やけを起こすだろうと予想が付いたので今回は一つだけだ。年を重ねたな、と思う。
コンビニの店員は変わらず大学生らしき若者だった。大学は、珠子が卒業した美術大学しかないので、もしかしたら後輩かもしれない。心の中で「頑張れよ」などと勝手に応援をした。
程なくして着いた神社は、変わりなく存在した。
文字通り神聖なほどの静謐と、清らかな空気がこの場を支配する。社務所には従業員がいて、境内を巫女が掃除していた。巫女を見て、珠子はふとさやかのことを思い出した。
健が警察に自首をし、世間に事件が明るみになった際にさやかとは連絡が途絶えた。天真爛漫な彼女は、今、何をしているのだろう。木原の件で、心を病んだと聞いた。生きているのか、死んでいるのかもわからない。
「何となく、死んでる気がするなー…。」
珠子は呟きながら、神社にお参りを済ます。さやかの健康を、白々しく願った。
神社の裏手に回ると、蔵が取り壊されていることに気が付く。いじめ自殺と木原の拷問の現場が重なれば、致し方がないことだろう。
由緒ある蔵の代わりに何の情緒もないプレハブ小屋が立ち、そこが物置になっているようだった。結局は物をしまう場所がないのだし当時はそれこそ肝試しに流行ったのだから、いっそのこと観光名所に残しておけばいいのにと無責任に思った。
夜が近づき、太陽が沈んで辺りが暗くなり始める。珠子は今日の散策を終えて、ビジネスホテルに戻ることにした。
明日は、大学に遊びに行こうと思う。時間があれば、おばあちゃんの墓参りにも。




