第47話
珠子は荒んだ畳の上に寝転がって、天井を見つめている。
「…。」
呼吸は深く、息の白さが濃い。聞くと、この家に来ればいつもここで、天井を眺めて過ごすらしい。
健も珠子の隣で、寝転ぶまではいかなくても座ってこの沈黙の心地よさを味わっていた。
ただ、寒さだけが耐え切れず、何か暖が取れるような小物がないか衣服のポケットを探って調べてみる。
「ん。」
ひやりとした細長い物に指先が触れる。取り出してみると携帯用のライターだった。
さすがに焚火を起こすわけにもいかず、ポケットに戻そうして今度は潰れた煙草の箱に触れた。何気なく取り出してみると、一本だけ取り残されるように余っていた。
「健って、煙草吸ったっけ?」
珠子が首だけを動かして、横にいる健の動向を窺っている。
「や、禁煙してたんだけど…。残りが入ってた。」
「ふーん。」
「もったいないから、吸ってもいい?」
「いーよー。」
珠子の了承を得て、健は慣れた手つきで咥えた煙草に火をつけた。
一本の線のように、紫煙が上がっていく。そこに風が吹き、ゆらりと揺らぐ空気の流れが目に見えた。
久しぶりに味わう煙草の味に、思わずため息が零れる。
「…そんなに、美味しい?」
「え?うん、そうだね。」
「ね、私にもちょっとちょうだい。」
健は、いいよ、と言う。
「ちょっと待ってね。」
健は再び紫煙を吸い込むと肺に溜めて、珠子の体に覆い被さるようにして唇に口付ける。そしてゆっくりと珠子が咳き込まない速度で、ふう、と息を吐いた。健の肺から口を伝って、珠子の肺に紫煙が満たされていく様はまるで親鳥が雛鳥に餌付けをしているようだった。
「…。」
珠子は味わうように、息を止める。
「どう?」
「甘いけど、苦いね。コーヒーみたい。」
私は喫煙に向いてないみたい、と珠子は呟いた。
ミルクのように真白い朝霧が辺りに立ち込めていた。金色の光の粒子が降り注ぎ、痩せた木々を柔らかく照らす。くーくー、と番いのキジバトが寄り添って鳴いていた。
日の出だ。
障子から、淡い光が室内を照らす。もう用無しとなった懐中電灯の明かりを消した。
「眩しー…。」
珠子はその刺激に、目を細める。
「今日はいい天気になりそうだね。」
空気の清々しさを感じ取り、健が呟いた。寒さのピークはとっくに超えている。
「…たまちゃんは、どういうときにここに来るの?」
気になっていた。うら若き乙女が、こんな寂しい場所にたった一人で訪れる理由が。
「んー。制作が思ったように進まないときとか?」
「ふーん。今は、何に悩んでんの。」
「肌。」
「肌?」
外の景色を少し開いた障子から眺めていた視線を、珠子に移す。珠子は健をじっと見つめていた。
「そう。人の肌…、健の肌って色味が複雑なんだもん。」
健は何気なく、自分の手のひらを見る。肌色や赤みの他に、血管の青や紫。指紋を縁取る茶色など確かに、様々な色が入り混じっていた。素人だてらに手のひらだけでこんなにも複雑なのだから、顔は如何ほどなのだろうと思う。
「今まで、人物画を避けてきたツケが回ってきたーって感じ。」
「そっか。何か、手伝えることがあればいいのに。」
健の何気ない一言に、珠子ががばっと勢いよく起き上がる。
「ほんとに、そう思う?」
「え?うん。」
珠子の瞳がきらりと光った。まるで獲物を見つけた猫だ。
「よし、帰ろ!」
「急だね。」
「うん。健、帰って一緒にお風呂入ろう!!」




