第45話
珠子の制作が始まった。
週に大学には二度三度行く機会を除いて、珠子はずっとアパートの部屋でキャンバスに向かっている。
時に鼻歌を口ずさみ、時に集中して無言のまま時間が過ぎていく。健は邪魔をしないように家事を引き受けたり、モデルとして彼女の前に立った。
「…。」
大胆に筆を動かしたかと思うと、細筆に切り替えてキャンバスに顔を近づける。珠子の息遣いと、キャンバスをなぞる筆の音だけが部屋に満ちていた。
「…ウザいな。」
不意に、珠子が肩を払うしぐさをして舌打ちをする。
「ん?」
「あ、ごめんね。さっきから肩をつんつんと突かれるんだよね。」
「肩を?」
健が珠子の背後を見ても、何かがいるわけでもない。珠子は溜め息を吐きながら、筆をおいた。
「なんか最近、やたら体を触れられる感覚があって。」
「へえ。例えば?」
健の問いに、珠子は腕を組んでうーんと思い出すように唸る。
「お風呂で足首に触れてきたり、寝てると耳をくすぐられる。」
「ははあ…。そういえば、僕が前に住んでいたところもよく手を握られたな。」
「え、何なの?結局。」
「さあ。」
ふーん、と珠子は何気なく呟くと、再びキャンバスに向かった。
「幽霊かな?」
健が首を傾げると、珠子が、ええ、と声を漏らした。
「家賃払えよなー。」
「…たまちゃんって幽霊怖くないの。」
「別に。」
珠子の感覚によると、幽霊は死体の上位版らしい。
「まあ、でもさ。健って幽霊とか、すごい引き連れてそうだよねー。」
「やっぱり、そう思う?」
「うん。」
とりあえず塩でも撒いておこう、と言い、健は台所に向かった。
「えーと…、塩。塩っと。」
「ねえ、健。」
背後から、珠子の声が響く。
「何ー。」
「私さあ、幽霊って怖くないから会いに来てよね。」
「わかった。」




