表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/46

プロローグその1

 六日前――東京都内・総合病院


 規則正しく響く心電図。


 消毒液の匂い。


 白い天井。


 点滴の管。


 それらすべてが、壺井圭介にとって"いつもの景色"だった。


 病室のテレビでは、西部劇が流れている。


 荒野を馬が駆ける。


 乾いた銃声。


 夕陽を背に立つガンマン。


 コンコン――


 病室のドアが開いた。


「また映画?」


 入ってきたのは兄・壮介だった。


 細身のスーツ姿。


 どこか疲れた顔をしているが、その目だけは昔から変わらず優しかった。


 圭介は画面から目を離さず答える。


「うん。」


「今度は?」


「『夕陽のガンマン』」


 壮介は苦笑した。


「何回目?」


「十五回目。」


「もう台詞まで覚えてるだろ。」


「だいたい。」


「普通そこまで観るか?」


「西部劇は何回観ても面白いから。」


 そう言う圭介の顔だけは、病人とは思えないほど生き生きとしていた。


 壮介は肩をすくめる。


「ほんと好きだな。」


 テレビではガンマンが馬を走らせている。


 自由だった。


 誰にも縛られず。


 自分の意思だけで生きる男たち。


 圭介はその世界に憧れていた。


 映画だけが、


 病室の外へ連れ出してくれる。


「体は?」


「うん。」


「もうだいぶいい。」


 そう答えたあと、小さく笑う。


「……またしばらく、ここで暮らすことになるけど。」


「そうか。」


 壮介は静かに頷いた。


 圭介は窓の外を見る。


 病院の外では、


 制服姿の高校生たちが笑って歩いている。


 恋人同士らしい男女が肩を並べ、


 サラリーマンは忙しそうに駅へ向かう。


 ほんの数十メートル。


 たったそれだけの距離なのに、


 そこは自分とは別世界だった。


 当たり前の日常。


 友達と笑うこと。


 恋をすること。


 働くこと。


 旅行へ行くこと。


 それはもう、自分には届かない景色だった。


 だから映画を見る。


 映画の中だけなら、


 どこへでも行ける。


 荒野でも。


 宇宙でも。


 未来でも。


 そして――西部でも。


 自由な風が吹く大平原。


 馬に乗り、


 拳銃を腰に下げ、


 明日死ぬかもしれない世界で、


 それでも笑って生きる。


(いいな……。)


(あんな生き方。)


(できるなら。)


(強くて。)


(かっこいい女性と恋をして。)


(普通に笑って暮らしたい。)


 その願いだけは、


 子どもの頃から変わらなかった。


 沈黙を破ったのは圭介だった。


 窓の外を見つめたまま、小さく呟く。


「……聞いたんだろ。」


 壮介は少しだけ目を伏せた。


「うん。」


「あと半年……もつかどうか。」


 病室が静まり返る。


「なんで……。」


「俺だけなんだろ。」


 涙が一筋、


 頬を伝った。


 壮介は何も言わない。


 ただ弟の隣へ座る。


「どうせ死ぬならさ。」


 圭介は笑った。


 泣き笑いだった。


「死ぬ前に、一回だけでいい。」


「アメリカ西部へ行ってみたかった。」


 自分でも分かっている。


 そんな体力は残っていない。


 兄に迷惑をかけるだけだ。


 だから、


 夢のままで終わる。


 ……はずだった。


「なんとかなるよ。」


 壮介が笑う。


 その手には、


 なぜか一つの壺があった。


「……え?」


「ほんとに?」


 壮介は真顔で頷く。


「願いを叶える壺。」


「五十万円。」


「高っ!」


「兄弟だから出世払いでいい。」


「いや、俺もうすぐ死ぬよ?」


「その時は踏み倒していい。」


「兄ちゃんが損するじゃん。」


「うん。」


「まあ、それはそれ。」


 圭介は思わず吹き出した。


「また変な物買ったの?」


「雑誌の裏に載ってるやつ?」


「うん。」


「雑誌のは駄目だった。」


「試したんだ!?」


「胡散臭すぎる……。」


「新興宗教?」


「違う。」


 壮介は壺を差し出した。


「家の近くの壺新溜神社。」


「そこの御神体を模した壺。」


「願いを込めて割る。」


「それだけ。」


「……。」


 半信半疑だった。


 でも、


 どうせ失う命だ。


 最後くらい、


 馬鹿なことをしてもいい。


 圭介は壺を両手で持つ。


 目を閉じる。


 そして願う。


「西部劇みたいな世界で生きたい。」


「馬で荒野を駆けたい。」


「自由に笑いたい。」


「恋をしたい。」


「強くて。」


「誰よりカッコいい女性と。」


「普通に暮らしたい。」


「それだけでいい。」


 パリン――ッ!!


 壺を床へ叩きつけた。


 砕け散る破片。


 その瞬間。


 世界が、


 白く染まった。


 まるで映画館のスクリーンが切り替わるように。


 ……


 …………


 ………………


 頬を風が撫でる。


 ゆっくり目を開ける。


 そこは、


 見覚えのある神社だった。


 夕暮れの境内。


 風鈴が静かに揺れている。


 その中央に、一人の巫女が立っていた。


 銀色の長い髪。


 雪のように白い斎服。


 人間離れした美しさ。


 だが、その口元には、


 どこか悪戯好きな笑みが浮かんでいる。


「よう来たの。」


 女は、まるで全部分かっていたように笑った。


「圭介。」


「お主の願い――」


「確かに受け取ったぞ。」


 その笑みは、


 これから始まる運命を知る者だけが浮かべられる笑みだった。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ