第63話 銅貨の出目と、狂気のサイコパス
バタン、ギィ……。
ティワヌの街外れにあるサルーンの、古いスイングドアが開いた。
店内に滑り込んできたのは、一人の華奢な少女。
深めにかぶったテンガロンハット。
黒いロングコート。
端正な顔立ちと、雪のように真っ白な肌。
そして、あどけなさを残したショートのボブカット。
だが──その灰色がかった淡い青の瞳には、一切の情動が宿っていなかった。
少女は眼球だけをゆっくりと滑らせ、観察するように店内を眺める。
酒を煽る客。
ポーカーに興じる女たち。
カウンターで不快そうに煙草をくゆらせる者。
ドアの前でピタリと足を止めた少女は、ほんの少しだけ首を傾げると、足音もなくカウンターへ向かって歩み出た。
カウンターの奥では、大きなお腹をさすりながら女店主が声をかける。
「いらっしゃい。何にするんだい?」
少女──アンナ・ミラーは、カウンターの後ろにある大きな鏡に視線を落とし、背後の客たちの動きを確認した。
その瞬間。
無機質だった彼女の顔が、突如として変貌する。
──ニヤリ。
口角が釣り上がり、不自然極まりない「作り笑い」が顔面に貼り付いた。
瞳の奥だけが、気味の悪い愉悦に濡れている。
これから巻き起こる血と悲鳴の惨劇を、心底心待ちにしているかのように。
「コーヒー。お願い」
声は明るいが、あまりにも滑舌が無く、イントネーションが崩れている。
「5セントだよ」
アンナは無言で5セント硬貨をカウンターへ滑らせた。
「はい、コーヒー」
カップが置かれる。
アンナは一口もつけず、不自然な笑みを浮かべたまま尋ねた。
「……『ヴァレリア』って女。どこで、会える?」
「知らないね」
店主は面倒くさそうに吐き捨て、そっぽを向いた。
アンナは懐から紙幣を一枚取り出し、カウンターへ置く。
「……テキーラを大量に扱ってるって、聞いた」
店主は両手を上げ、肩をすくめた。
心底迷惑だと言わんばかりの態度。
「知らねえな。」
「このあたりの顔役に会いたいなら、誰かの紹介がなきゃ無理だ。」
「それに……ここで厄介事はナシだぜ?」
ポンポンとカウンターを叩く店主。
次の瞬間。
アンナの首がゆっくりと横に振られ──顔面から一切の表情が消え去った。
ドスッ!!
「ギャぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
絶叫が店内に響き渡る。
店主の左手に、いつの間にか一本のナイフが深々と突き刺さっていた。
異変に気付いた客たちが一斉に銃を抜こうとする。
だが、アンナは振り返りすらしない。
左手を残像のように一閃させた。
バァンッ!!
放たれた一弾が、銃を抜こうとした女の帽子だけを完璧に弾き飛ばす。
「……動くな。殺す」
冷ややかな、死者のような声。
店内の客たちは青ざめ、蜘蛛のの子を散らすようにスイングドアから逃げ出していった。
アンナは震える店主の左手に刺さったナイフの柄を掴むと、ジワジワと横に倒した。
「や、やめろ……っ! 話す! 話すから……っ!」
アンナは人差し指を口元に当て、しーっ、と静寂を促した。
そして、空いた手で懐から一枚の銅貨を取り出す。
「……表と、裏。……どっち?」
「な、何を言ってるんだ……っ!?」
グッとナイフが深く食い込む。痛みに顔を歪める店主。
「……どっちにするの?」
「う、裏だ! 裏!!」
「……そう」
アンナは淡々と言葉を紡ぐ。
単語を並べるだけの、不気味な言葉遣い。
「なら……総取りね」
「……え?」
「裏なら……『ヴァレリア』の居場所を話す。」
「あなたは……命が助かる。……」
「お互い、ウィンウィン」
アンナの瞳が、恐ろしい平坦さで店主を見つめる。
「でも……表なら」
「ひっ……!」
「……話さなくていい。」
「私は、二度とここに来ない」
一拍。
「……あなたの目をくり抜いて、殺す……」
「私も情報を得られない。……」
「お互い、ルーズ」
「じ、冗談だろ……!?」
「……なぜ、そう思うの?」
ナイフを抜き取ると、そのまま店主の目元ギリギリに刃先を突き立てた。
頬から一筋の血が流れる。
狂気ではない。
これが彼女にとっての『普通』なのだと悟り、店主は死の恐怖にガクガクと震えた。
「ま、待て……! 頼む、話すから……!」
「……もう、遅い」
アンナは首を振ると、親指で銅貨を高く弾き上げた。
クルクルと空中で回転するコイン。
カチャリ。
カウンターに落ちたコインは──『裏』を示していた。
「……『ヴァレリア』は、この時間……この通りを真っ直ぐ南に行った、街外れの大きな倉庫にいる……! 仲間たちも……全員だ……っ!」
吐き捨てるように叫ぶ店主。
その瞬間。
──ニコッ。
アンナの顔に、再び不自然極まりない天使のような笑顔が浮かび上がった。
彼女はカウンターに数枚の紙幣を並べると、冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
「……コーヒー、ごちそうさま。」
「……美味しかった」
言い終わると同時に、スイングドアの方へ向かって歩き出す。
その背顔からは、すでに先ほどの笑顔すら綺麗に消え失せ、完全な無機質に戻っていた。
パタン、とスイングドアが揺れる。
絶対的な死の気配を撒き散らしながら、最悪のサイコパス・アンナは次の獲物が待つ倉庫へと向かって消えていった──。
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