第60話 愛の逃避行――新聞が、僕たちを夫婦にした。
脱走から二日。
二人は追手を巻き切り、メヒクトリの街ティワヌにある荒れ果てた隠れ家へと辿り着いた。
ギィィ……と重い木製ドアを開ける。
「はぁ……やっと帰り着いたね、リシア」
圭介が安堵の息を吐いた、その瞬間。
──ガバッ!
背後から、逃がさないと言わんばかりに力強い両腕が身体に巻き付いた。
背中に押し付けられる、柔らかく圧倒的な胸の感触。
「……っ!?」
リシアは圭介の肩口に顎を乗せ、耳元で熱い吐息を漏らす。
「もう……我慢できない」
「あ……ちょっと、リシア!?」
「 帰ったばかりだし、それに……!」
「いい」
「あ、汗臭いよ、僕……!」
「知ってる……」
リシアは圭介の両肩を強引に掴むと、クルリと己の方へ向かせた。
帽子の下から覗く眼が、粘着質な愛執に濡れている。
「お前が……悪いんだからな……」
妖しく微笑んだ次の瞬間、襟元を引き寄せ、暴力的なまでに激しい口づけで圭介の唇を塞いだ。
「うぐっ……!?」
濃厚で、息もできないほどの接吻。
お互いの舌と唾液が嫌らしき音を立てて絡み合う。
そのまま、リシアは圭介を脇のベッドへ押し倒した。
華奢な体躯の上に馬乗りになり、ニヤリと不敵に口角を上げる。
「こんなに惚れさせといて……」
「他の女に色目を使ったな?」
「えっ!? ほ、保安官事務所のこと……!?」
「うるさい。」
「全部だ、全部」
くすりと笑うリシア。
「覚悟しろ……」
圭介のシャツのボタンを乱暴に弾き飛ばし、自身のシャツも脱ぎ捨てる。
月明かりの下、暴力的なまでに豊かな双丘が露わになった。
二人はむせ返るような熱気の中で、再び互いの体を貪り合った──。
深夜。
先程までの濃厚な睦事の余韻を置き去りにするように、紫煙が天井へと漂っていた。
リシアは上半身裸のままベッドの背もたれにもたれかかり、旨そうにタバコを吸っている。
一方の圭介は、シーツを頭まで被り、顔を真っ赤にして横たわっていた。
「フゥー……」
紫煙を吐き出し、リシアがチラリと圭介を見る。
「なあ……吸うか?」
差し出されるタバコ。
「いや……いい」
「そうか」
一拍の沈黙。川のせせらぎと夜風の音だけが響く。
「なあ、ケースケ」
「ん……?」
「結婚しないか?」
ポツリと呟かれた言葉に、圭介はガバリと飛び起きた。
「な、なんでそうなるのさ!?」
「いや……ここでは一応『夫婦』って名目だしな。」
「それに、お前はもう……カタギには戻れねぇぞ」
リシアは悪戯っぽく笑うと、ベッド脇に転がっていた一枚の紙片──『ロス・パソス新聞』を圭介に放り投げた。
「読んでみな」
「え……?」
紙面を開いた圭介の目が点になる。
【大々的見出し:愛の逃避行! 保安官事務所襲撃、密輸団の一味脱走!】
密輸容疑で逮捕されたパトリシア・ヴィショップの夫、ケンジ・ヴィショップが保安官事務所を単身襲撃!
新聞記者になりすました黒髪黒目の『ケンジ』は、鮮やかな手口で事務所へ乗り込み、妻を救出。
二人は保安官らの目の前で、長時間の破廉恥な抱擁と激しい口づけを交わし、愛を囁き合って逃走した。
【保安官のコメント】
「ケンジには気をつけろ! 頭が切れる上に、恐ろしい『女たらしガンマン』だ。甘い言葉で女を誘惑し、油断させる!」
紙面には、やたらと男前に描かれた圭介の似顔絵がデカデカと載っていた。
手と唇を震わせる圭介。
「な……なんなのこれぇぇぇ!?」
「 女たらしなんて……僕、そんなことしてないよ!?」
「そうか〜?」
リシアが腹を抱えてくっくっと笑う。
「まあ、これで指名手配犯として超有名人だな。」
「人を殺してない分、あっちじゃ『ロマンチックな義賊』として大人気だぞ?」
「うわぁぁぁ……最悪だ……」
頭を抱える圭介。
リシアはタバコを吹き消し、真面目な顔で目を細めた。
「だから……このまま二人で、どこか遠くへ行こうぜ」
「行くって……どこにさ」
「アメリジアでもメヒクトリでもない、どこか遠く。」
「お前がついてきてくれるなら……この稼業から足を洗ってもいい」
圭介は絶句した。
「仲間の……『アウトレイジバンチ』のみんなは……?」
リシアは少し瞳を揺らし、寂しそうに視線を落とした。
「あいつらのことを思うと……胸が痛む。」
「……だけどな」
「お前と過ごす時間の方が、今の私にとっては狂おしいほど愛おしいんだ」
静寂。
ただ部屋の中に、甘い紫煙と二人の息遣いだけが漂う。
圭介の頭の中に、エレノアの激しい情熱、リシアの歪んだ愛、そして自分の未来が交錯する。
「……考えておくよ。」
「もう、普通の生活に戻れないことくらいは……分かってるから」
圭介の絞り出すような言葉に、リシアはどこか悟ったように微笑んだ。
「そうか…」
「お前には……まだ戻りたい場所があるんだな」
切なげに目を伏せる。
「まあいい。もう半分夫婦みたいなもんだ。」
「しばらくは追手が厳しくて、アメリジアには戻れねぇしな」
(……嘘だ)
圭介は心の中で小さく呟いた。
リシアほどの手練れなら、アメリジアへ戻る裏ルートなど幾らでも知っているはずだ。
これは彼女の『小さな嘘』。
けれど、圭介はそれを詰問しなかった。
彼女もまた、この過酷な荒野で、必死に安らぎを求めているのだと分かっていたから。
「ふぅ……汗かいたな。風呂に入るぞ、ケースケ」
リシアが素裸のままベッドから立ち上がり、圭介の腕を引く。
「うん……僕はこのまま寝るよ……」
「ダメだ。二人で入るんだよ」
「なっ……!?」
「夫婦なんだろ?」
抵抗する間もなく引きずられていき、
二人の影は湯気の立つ浴室へと消えていった──。
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