第59話 白馬の騎士は、新聞記者のふりをする。
早朝。
空が、夜の黒から薄い灰色へと変わり始めていた。
国境沿いの街。
まだ人通りの少ない通りを、ひとりの男が歩いている。
山高帽。
白いシャツ。
黒いアームバンド。
蝶ネクタイ。
サスペンダー。
茶色のズボン。
そして――黒髪、黒目。
どう見ても、この土地では目立つ。
男は一軒の建物の前で足を止めた。
国境保安官事務所。
圭介は一度だけ深呼吸する。
そして。
ガチャリ。
扉を開けた。
「おはよう、淑女のみなさん」
早朝である。
当然、誰も笑わない。
事務所にいた保安官たちが一斉に振り返った。
「……誰だ?」
「どうしたんだい。こんな早朝に」
圭介はにこやかに笑った。
「ロス・パソス新聞の者です」
胸ポケットからメモ帳とペンを取り出す。
「大捕物があったと聞きまして」
「取材です」
「新聞記者?」
「ええ」
圭介は笑顔を崩さない。
「まだ駆け出しですけど」
「男が新聞記者ねぇ」
保安官のひとりが、珍しそうに圭介を見る。
「最近は男も新聞を書くのかい?」
「時代は変わりますから」
「ふうん」
疑いの目。
だが、圭介は平然としていた。
むしろ――楽しそうだった。
そのとき。
奥から、大柄な女が現れた。
保安官らしい星章を胸につけている。
「私がここの保安官だ」
「ハンナだよ」
圭介はすぐに手を差し出した。
「はじめまして」
「ケー……」
一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「……ケンです」
「ケン?」
「ケンジ・ヴィショップ」
「変わった名前だね」
「よく言われます」
にっこり。
ハンナが鼻を鳴らす。
「昨日、密輸団の一味を捕まえてな」
「へえ」
「これから尋問して、連中のルートと根城を吐かせる」
「なるほど」
圭介はメモを取る。
「その密輸団の方にも、お話を伺いたいんですが」
「まだ早い」
「駄目ですか?」
「ああ」
ハンナは親指で奥を示した。
「牢屋にいる」
「でも、今は尋問前だ」
「そうですか」
圭介は少し残念そうな顔をした。
そして。
ふと。
ハンナの腰を見る。
「……それ」
「ん?」
「銃」
圭介の目が輝いた。
「見せてもらっても?」
「銃を?」
「ええ」
「記者が銃なんか見てどうする」
「資料として」
「資料?」
「西部の男として」
「?」
「興味があります」
ハンナは笑った。
「変な男だね」
だが、悪い気はしないらしい。
腰から銃を抜く。
「ほら」
「ありがとうございます」
圭介は両手で受け取った。
その瞬間。
表情が変わる。
「……いい」
「分かるのか?」
「ええ」
銃身を眺める。
「スコフィールド」
「モデル3ですね」
「しかも、この彫刻」
圭介の目が本気になる。
「いい仕事してる」
「おっ」
ハンナが嬉しそうに笑う。
「銃の良さが分かるじゃないか」
「ええ」
「映画でも、こういう銃は――」
「映画?」
「……西部劇です」
「西部劇?」
「ワイアット・アープとか」
「誰だ、それ」
「知らない?」
「知らん」
「そうですか」
圭介は残念そうに呟く。
「これでバントライン・スペシャルまであったら完璧なのに」
「なんだ、それ?」
「長い銃です」
「長い?」
「ええ」
「銃身が?」
「かなり」
「……変な趣味だね」
「よく言われます」
圭介は笑った。
そして。
銃を返そうとする。
「ありがとうございました」
「おう」
ハンナが手を伸ばした。
その瞬間。
圭介の笑顔が消えた。
銃口が跳ね上がる。
「動くな」
ハンナの眉が動く。
「……何?」
圭介の声は低い。
「そのまま」
周囲の助手たちも凍りつく。
「おい」
「どういうつもりだ」
「こういうつもりです」
パンッ!
銃声。
ハンナの頬を弾丸が掠めた。
「――っ!」
床に転がった帽子。
静寂。
圭介は銃を構えたまま。
「牢屋の鍵」
「……」
「出してください」
「お前……」
「早く」
その声に迷いはなかった。
ハンナが睨む。
「新聞記者じゃないな」
「そうですね」
「何者だ?」
圭介は少しだけ笑った。
「ただの――」
一拍。
「迎えに来た男です」
保安官事務所の奥。
鉄格子の向こう。
リシアは壁にもたれ、目を閉じていた。
眠っていたわけではない。
足音を聞いていた。
銃声も。
怒鳴り声も。
だが。
聞き覚えのある声がした。
「鍵、開けるよ」
カチャリ。
鉄格子が開く。
リシアが振り向く。
「……」
目を見開く。
「ケースケ?」
そこにいたのは。
新聞記者のような格好をした圭介だった。
「お待たせ」
「……」
言葉が出ない。
圭介が笑う。
「助けに来たよ」
胸の奥が熱くなった。
リシアは拳を握る。
視線を逸らす。
(馬鹿……)
(何しに来てる)
(来るなって言っただろ)
なのに。
嬉しい。
どうしようもなく。
(……好きだ)
その感情だけは、抑えられなかった。
「行くぞ」
「……ああ」
リシアが立ち上がる。
そのとき。
牢屋の外には、ハンナと助手が立っていた。
「お前……」
ハンナが圭介を睨む。
「こんなことをしたら、お前もお尋ね者だぞ」
「うん」
「分かってるのか?」
「分かってる」
圭介は淡々と答えた。
リシアが圭介を見る。
目だけで問う。
――殺すのか?
圭介は首を横に振る。
――殺さない。
リシアも、それ以上は言わなかった。
「顔も見られた」
リシアが低く言う。
「いいのか?」
「いい」
「後悔するぞ」
「もうしたよ」
圭介が笑う。
「昨日、十分に」
リシアの目が細くなる。
「……そうか」
「うん」
「殺さないんだな」
「丸腰の人を殺すのは嫌だ」
一拍。
「そこまでは行きたくない」
リシアは黙った。
そして。
ほんの少しだけ笑う。
「甘いな」
「よく言われる」
「死ぬぞ」
「かもね」
圭介は肩をすくめた。
「でも」
リシアを見る。
「君を見捨てたら」
静かな声。
「一生、後悔する」
リシアの表情が止まる。
次の瞬間。
彼女は圭介の胸元を掴んだ。
「……馬鹿」
「え?」
引き寄せる。
そして――短く唇を重ねた。
「……」
圭介が目を丸くする。
リシアは顔を逸らした。
「行くぞ」
「う、うん」
そのとき。
「おい」
ハンナが咳払いした。
「そういうのは他所でやってくれ」
二人が同時に振り返る。
「すみません」
「悪かった」
声が重なる。
リシアが圭介を見る。
圭介も見る。
二人とも、少し笑った。
「それで?」
ハンナが言う。
「私たちをどうする?」
圭介は銃を下ろした。
「追わないでほしい」
「無理だね」
「そうですか」
「保安官だからな」
「じゃあ」
圭介は少し考えた。
「二日」
「二日?」
「二日だけ、時間をください」
ハンナが笑う。
「二日くらいならいい」
「いいんですか?」
「どうせ追跡隊を組むのに、そのくらいはかかる」
「ありがとうございます」
圭介が深々と頭を下げる。
「素敵な淑女たちです」
「お世辞か?」
「本心です」
そして。
「彼女より先に会ってたら、恋してたかもしれません」
ハンナと助手の顔が赤くなる。
「……」
リシアの顔から笑みが消えた。
額に青筋。
「ケースケ」
「はい」
「行くぞ」
「はい」
リシアが圭介の肩を掴む。
ギリッ。
「痛っ」
「急げ」
「はい」
「時間がない」
「はい」
圭介は引きずられるように歩き出した。
背後からハンナの笑い声が響く。
「仲のいい夫婦だねぇ!」
「うらやましいだろ!」
リシアが振り返って怒鳴る。
保安官事務所の外。
厩から二頭の馬を出す。
リシアが跨る。
圭介も続く。
朝日が地平線から顔を出した。
黄金色の光が、二人を照らす。
「しかし……」
リシアが圭介を見る。
「その格好」
「新聞記者に見える?」
「どうかな」
リシアはじっと見る。
「……めちゃくちゃダサい」
「えっ」
「似合ってない」
「ひどくない?」
「事実だ」
「そんな即答ある?」
「ある」
「……」
圭介が帽子を直す。
「せっかく頑張ったのに」
「頑張る方向を間違えてる」
「ひどい」
「ふっ」
リシアが笑った。
圭介も笑う。
「ふふっ」
「はは」
二人の笑い声が、朝の荒野に溶けていく。
やがて。
リシアが前を向いた。
「ケースケ」
「ん?」
「……最高の相棒だ」
「何か言った?」
「何でもない」
「そっか」
リシアは前を向いたまま微笑んだ。
(お前がいるなら)
(それでいい)
(もう、何もいらない)
普通の生活。
安全な暮らし。
名前を隠さず生きる未来。
そのどれもが――もう遠い。
それでも。
隣にいる男だけは。
手放したくなかった。
二頭の馬が走り出す。
蹄が大地を叩く。
土煙が舞う。
朝日を背に。
二人は荒野へ消えていった。
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