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第6話 「明日に向かって撃て!」なんて知らない。

 荒野を渡る風が、二人の頬を撫でていく。


 エレノア・ウエストウッドは手綱を握り、馬をゆっくりと歩かせていた。


 前には黒髪の青年。


 壺井圭介。


 馬に乗れない圭介を、自分の後ろでなく、前へ乗せている。


「……お前、本当に馬に乗ったことねぇのか?」


 半信半疑で尋ねる。


「うん。」


 圭介は振り返りもせず、目を輝かせていた。


「こんな大平原も初めて。」


「馬も初めて。」


「すげぇ……。」


 まるで子どもだった。


「あこがれてたんだ。」


「西部劇みたいな世界を、馬に乗って旅するの。」


 その声には、嘘がなかった。


 エレノアは思わず苦笑する。


「……変な奴だ。」


 手綱を軽く鳴らす。


 馬は再び歩き始めた。


 その拍子に。


 圭介の背中が、エレノアへ寄る。


 距離が近い。


 背中越しに伝わる体温。


 エレノアの鼓動が跳ねた。


(……男を前に乗せるなんて。)


(活動写真の恋人同士じゃねぇか。)


(こんなの、一度くらいはやってみたかったけど……。)


 そして気付く。


(……こいつ、いい匂いする。)


「…………」


 頬が熱い。


 まずい。


 顔がにやける。


(落ち着け、エレノア。)


(ただ乗せてるだけだ。)


(仕事だ、仕事。)


 そう自分に言い聞かせても、頬は緩みっぱなしだった。


 しばらく進むと、荒野の中に一本だけ果樹が立っていた。


 赤い実がいくつも実っている。


「ちょっと止まる。」


 馬を降りたエレノアは枝を引き寄せ、実をもいだ。


 一つを圭介へ放る。


「食え。」


「ありがとう。」


 圭介は嬉しそうに一口かじる。


 甘い果汁が口いっぱいに広がる。


「うまい!」


 その笑顔を見て、エレノアまで少し笑ってしまう。


 そして自分も実をかじる。


「……ん?」


 圭介がぽつりと言った。


「『明日に向かって撃て!』だ。」


「……何だ、それ。」


「映画。」


「僕、大好きなんだ。」


 エレノアは首を傾げる。


「活動写真か?」


「うん。」


「こういう景色の中を旅するんだ。」


 圭介は遠くの地平線を見る。


「君さ。」


「ポール・ニューマンみたい。」


「立場は逆だけど。」


「……さっぱり分からねぇ。」


 エレノアは苦笑した。


 圭介は映画の世界へ入り込んでいた。


「そうそう。」


「映画でさ。」


「主人公がこんなこと言うんだ。」


 少し照れくさそうに笑う。


「『俺の自転車に乗れよ』って。」


「恋人同士がさ、すごく好きな場面なんだ。」


 エレノアの思考が止まる。


(……恋人。)


(え。)


(今、恋人って言ったか?)


 圭介はまるで気付かない。


「映画のセリフなんだけどね。」


「いいよなぁ。」


「ブッチ。」


「…………」


 エレノアの口がぱくぱく動く。


「お、お前……。」


「ん?」


「それ……。」


「わざとか?」


「何が?」


 本気で分かっていない。


「いや……。」


「だから……。」


「…………。」


 言えない。


「恋人ってどういう意味だ」とは。


 言えるわけがない。


「……もういい。」


 エレノアは顔を背けた。


 圭介は一人で盛り上がっている。


「このあと泥の中へ落ちるんだよ。」


「落ちねぇよ。」


 エレノアは乾いた地面を指差す。


「見ろ。」


「砂しかねぇ。」


「あ、そうか。」


 圭介は笑った。


「映画と違うか。」


「当たり前だ。」


「でもさ。」


「この世界好きだ。」


「映画の中へ入ったみたい。」


 その笑顔は、あまりにも無邪気だった。


 エレノアは思う。


(何言ってるか半分も分からねぇ。)


(だけど。)


(……心地いい。)


 男と、こんなに長く話したことなんてない。


 肩が触れそうな距離で。


 他愛もない話をして。


 笑い合う。


 それだけで胸が苦しい。


 圭介は振り返る。


「エル。」


「ん?」


「こういう旅、ずっとしてみたかったんだ。」


 満面の笑みだった。


 その笑顔を見た瞬間。


 エレノアの心臓が大きく跳ねる。


(……やべぇ。)


(惚れる。)


(いや、もう惚れてる。)


(駄目だ。)


(勘違いするな。)


(それで何度痛い目を見てきた。)


 そう自分へ言い聞かせる。


 だが。


 目の前の笑顔を見るたびに、その決意は崩れていく。


 やがて荒野の向こうに、小さな木造の家が見えてきた。


 煙突から細い煙が立っている。


 エレノアは平静を装って言う。


「……着いた。」


「ここが俺の家だ。」


 その声とは裏腹に。


 胸の鼓動は止まらない。


(男を家へ連れてくるなんて。)


(初めてだ。)


(どうする、俺。)


(落ち着け。)


(鼓動まで聞こえたら……。)


 エレノアは必死に平静を装いながら、ゆっくりと馬を家へ向かわせた。


 しかし、その胸の高鳴りだけは、荒野の風でも抑えることができなかった。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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