第56話 三日目の銃創――そして、俺たちは相棒になった。
リシアが『仕事』を始めてから――三日。
夕暮れ。
メヒクトリの白い日干しレンガの家に、ゆっくりと影が伸びていた。
カチャ。
玄関の扉が開く。
「おかえり」
台所から顔を出した圭介が、笑顔で振り返る。
そして。
その笑顔が消えた。
「……リシア?」
立っていたリシアは、肩を押さえていた。
顔色が悪い。
コートの袖から、赤い雫が一つ。
床に落ちた。
ぽたり。
「どうしたの?」
「……転んだ」
「嘘」
「……」
即答だった。
リシアは目を逸らした。
「座って」
「平気だ」
「いいから」
いつもの圭介とは違う。
有無を言わせない声だった。
リシアは一瞬だけ圭介を見る。
そして。
「……分かった」
椅子に腰を下ろした。
圭介がコートを脱がせる。
シャツの肩口に、血が滲んでいる。
「シャツ、切るよ」
「ああ」
鋏が入る。
布が裂ける。
肩口に残っていたのは、明らかな銃創だった。
「……撃たれたの?」
「かすっただけだ」
「かすっただけで、こんなに血が出る?」
「……」
「リシア」
「……悪かった」
圭介はため息をついた。
「怒ってないよ」
手を傷口にかざす。
淡い光が広がった。
じわり。
傷が塞がっていく。
リシアは目を閉じた。
痛みが引いていく。
「……便利だな」
「便利じゃない」
「そうか」
「心配したんだから」
「……そうか」
短い返事。
けれど。
リシアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
治療を終えると、圭介はリシアの肩を支えた。
「寝て」
「まだ仕事が――」
「寝て」
「……」
「明日にして」
リシアは黙った。
そしてベッドに腰を下ろす。
「圭介」
「何?」
「一緒に寝ないのか」
「そういうのいいから」
「……そうか」
「寝て」
「ああ」
リシアは天井を見る。
圭介は布団を掛ける。
「後で何か食べるもの、作るから」
「……ああ」
圭介が部屋を出ていく。
扉が閉まる。
静寂。
リシアは天井を見上げたまま――
小さく息を吐いた。
(怒られた)
不思議だった。
昔なら。
怪我をしても、誰かに心配されることなんてなかった。
まして。
こんなふうに。
(……夫婦みたいだな)
そんな考えが浮かぶ。
リシアは眉を寄せた。
(何を考えてる)
だが。
口元は笑っていた。
翌朝
朝日が窓から差し込む。
リシアがダイニングへ入る。
「もう大丈夫だ」
「うん」
圭介は振り向かない。
「朝食、できてるよ」
テーブルにはコーンブレッド。
それと温かいスープ。
「いただきます」
「いただきます」
二人で食べ始める。
しばらく沈黙。
圭介がパンを一口食べた。
「ねえ」
「何だ」
「昨日、どうしてあんな怪我したの?」
「……転んだ」
圭介が顔を上げる。
じっと見る。
「……」
「……」
「嘘だよね」
「……」
リシアは観念した。
「撃たれた」
「やっぱり」
「それだけだ」
「誰に?」
「知らない」
「なんで撃たれたの?」
「……」
「ポーカーで負けた?」
「そんなところだ」
「ふーん」
圭介はスープを飲む。
「じゃあ、当てようか」
リシアが視線だけを向ける。
「『仕事』だよね」
「……」
「しかも裏の」
「……」
「『誰も傷つけない』」
「嘘ではない」
「『何も盗まない』」
「盗んでない」
「たぶん」
リシアの眉が僅かに動いた。
「密輸の手伝い」
「……」
「武器の運搬」
「……」
「盗品の受け渡し」
「……」
「それから――テキーラ」
リシアの手が止まった。
圭介は、それを見逃さなかった。
「当たり?」
「……勘がいいな」
「西部劇を見てきたからね」
「それだけか」
「だいたい、こういうのは定番だから」
リシアはスープを飲む。
「これで飯を食わせてる」
「うん」
「文句はないだろ」
「あるよ」
「……」
「無理やり連れてきたのは、そっちだろ」
リシアが黙る。
圭介も黙る。
少しだけ重い空気。
やがて。
「……分かった」
リシアが立ち上がった。
「仕事に行く」
「駄目」
「手付金をもらってる」
「だから?」
「行く必要がある」
「じゃあ僕も行く」
リシアが振り返った。
「駄目だ」
「行く」
「連れて行かない」
「行くよ」
「……」
リシアは圭介を見る。
圭介も譲らない。
「……頑固だな」
「リシアほどじゃないよ」
「……そうか」
二人の間に沈黙が落ちた。
そして。
圭介が言った。
「じゃあ、勝負しよう」
「何の」
「ファストドロウ」
リシアの目が細くなる。
「早抜きか」
「うん」
「勝てると思ってるのか?」
「やってみないと分からない」
「……いいだろう」
リシアが腰のホルスターを見る。
「条件は?」
「僕が勝ったら、一緒に行く」
「負けたら?」
「大人しく家にいる」
「分かった」
リシアがコインを取り出した。
指先で弾く。
「これが床に落ちた瞬間」
「抜く」
「ああ」
コインが宙へ。
くるくると回る。
朝の光を反射する。
上昇。
頂点。
そして――下降。
二人の目が変わった。
コインが落ちる。
カツン。
その瞬間。
――両者の手が動いた。
リシアが抜く。
速い。
だが。
その一瞬。
圭介の銃口が先に、リシアの胸元を捉えた。
「……僕の勝ち」
リシアが目を見開く。
「……」
「驚いた?」
「少しな」
圭介が笑う。
「じゃあ――」
「勝手にしろ」
「え?」
「行く」
「いいの?」
「約束した」
リシアは銃を戻す。
そして背を向けた。
「死んでも知らないぞ」
「分かってる」
「……そうか」
帽子のつばを深く下げる。
顔を見せない。
だが。
耳まで赤くなっていた。
(……まさか)
昨日まで。
自分一人で片付ければいいと思っていた。
仕事も。
危険も。
逃亡生活も。
全部。
自分だけで背負えばいいと思っていた。
それなのに。
今は――
(背中を預けてもいいと思ってる)
リシアは拳を握る。
(ダッチ以外の誰かに)
ちらり。
圭介を見る。
黒い髪。
まだ少年のような無邪気さを残した顔。
それなのに。
早抜きでは、自分より速かった。
(男に背中を預けるなんて)
おかしい。
そう思う。
なのに。
嫌じゃない。
むしろ――
(……嬉しい)
その感情を認めた瞬間。
胸の奥が熱くなった。
(何だよ、これ)
リシアは帽子をさらに深く被った。
「行くぞ」
「うん」
「離れるな」
「分かった」
「銃を忘れるな」
「持った」
「弾は?」
「ある」
「……ならいい」
玄関を開ける。
西部の強い日差しが、二人を照らした。
リシアは馬へ向かう。
圭介も続く。
ふと。
リシアが振り返った。
「圭介」
「何?」
「……今日は、私の隣にいろ」
「うん」
それだけ。
それ以上は言わない。
言えない。
だが――
リシアには、それで十分だった。
今だけは。
未来のことなど考えなくていい。
明日のことも。
その先のことも。
ただ。
この男と同じ道を歩ければいい。
リシアは馬に跨る。
圭介も続く。
二人は並んで、白い街を抜けていった。
――『仕事』へ。
そしてリシアは、まだ知らない。
この何気ない一日が。
やがて彼女にとって、
「失いたくない現在」そのものになることを。
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