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第53話 神が結んだ縁、悪魔が結んだ契約

 ロス・パソス。


 教会・牧師館執務室。


 重厚な木製テーブルの上には、湯気を立てるコーヒーが一杯。


 開けられたバーボンの瓶。


 そして、ショットグラスが二つ。


 ソファにはエレノア、ミリアム、ジャンゴの三人が腰を下ろしていた。


 部屋に流れる空気は重い。


 最初に口を開いたのはミリアムだった。


「情報が入ったわ。」


 一口、コーヒーを飲む。


「アウトレイジバンチが、国境沿いの街に現れたそうよ。」


 一拍。


「黒髪の男も一緒だったって。」


 ショットグラスを一気に空けるエレノア。


「……だろうな。」


 グラスを机へ置く。


「目的地は『砦の穴』で間違いない。」


 ジャンゴもバーボンを口へ運ぶ。


「なら、砦で待ち伏せするか。」


「いや。」


 エレノアは首を振った。


「もう着いてる頃だ。」


 ため息が漏れる。


 その時だった。


 誰も触れていないはずのバーボンの瓶が、ふわりと持ち上がる。


 三人の視線が止まった。


 瓶は勝手に傾き――


 空いていたショットグラスへ酒が注がれていく。


「……もう少し大きいグラスはないかの。」


 三人が同時に振り返る。


「……誰だ。」


 そこには、一人の女が当たり前のようにソファへ腰掛けていた。


 クリーム色を基調とした小袖。


 淡い灰色の帯。


 腰まで流れる銀髪。


 雪のように白い肌。


 均整の取れた肢体。


 静かに酒を口へ運びながら、満足そうに息を吐く。


「うむ。」


「悪くない。」


 ミリアムが目を見開いた。


(いつから……)


(そこにいたの?)


(その装い…)


 銀髪の女は自分の着物を見下ろし、肩をすくめる。


「そんなに珍しいかの。」


「民族衣装というやつじゃ。」


 ミリアムの表情が変わる。


(……心を読んだ。)


「読めなくもないがの。」


 乾いた金属音。


 ジャンゴの銃口が女へ向く。


「動くな。」


 しかし女は笑った。


「やめておけ。」


「そんなおもちゃ。」


 余裕。


 その一言だけで空気が変わる。


 するとエレノアが静かに口を開く。


「……久しぶりだな。」


 ジャンゴが振り返る。


「知り合いか。」


「ああ。」


「銃を降ろせ。」


 ジャンゴは数秒だけ相手を見つめ、


「……ふん。」


 銃をホルスターへ戻した。


 銀髪の女は満足そうに頷く。


「やっと礼儀を思い出したか。」


 エレノアは腕を組む。


「で。」


「何の用だ。」


 女は鼻を鳴らした。


「失礼な女じゃ。」


「誰のおかげで男と出会えたと思うておる。」


 その瞬間。


 瞳孔が縦に裂ける。


 部屋の温度が数度下がったような錯覚。


 ミリアムが思わず息を呑む。


「……あなた。」


「何者?」


 女は胸を張った。


「妾はツボニール。」


「ツボニール・ツヴァイ。」


「縁を司る神じゃ。」


 ミリアムはゆっくり名乗る。


「ミリアム・クリフ。」


「よろしく。」


「うむ。」



 ジャンゴも肩をすくめる。


「ヴィクトリア・フォックスだ。」


 ツボニールは苦笑した。


「うむ。」


 するとミリアムは無言で立ち上がり、新しいグラスを差し出す。


 琥珀色の酒を注ぐ。


 ツボニールは嬉しそうに受け取った。


「うむ。」


「気が利くの。」


 一口。


「ほう。」


「やはりバーボンは良い。」


 静寂。


 酒を揺らしながらツボニールが口を開く。


「本来なら。」


「縁を結んだ後は干渉せぬ。」


 一拍。


「しかし。」


「今回は別じゃ。」


 エレノアが低い声で問う。


「……何があった。」


 ツボニールはグラスを机へ置いた。


「お主と圭介の縁。」


「切れてはおらぬ。」


 一同が黙る。


「じゃが。」


「もう一本。」


「新たな運命が生まれた。」


 ミリアムが静かに整理する。


「……運命を書き換えられた?」


 ツボニールは首を振る。


「違う。」


「書き換えではない。」


 ミリアムの瞳が細くなる。


「……重ねられた。」


「そうじゃ。」


 ツボニールは頷いた。


「一つは、お主と圭介が結ばれる運命。」


「もう一つは。」


「別の女と結ばれる運命。」


 ショットグラスが静かに机へ置かれる。


 コトリ。


 それだけの音だった。


 だが部屋の空気は凍り付く。


 エレノアが顔を上げた。


「……誰だ。」


 ツボニールは酒を一滴だけ宙へ落とす。


 琥珀色の雫が空中で止まる。


 波紋が広がる。


 やがて一枚の鏡となった。


 そこに映っていたのは――


 圭介。


 そして。


 その隣を歩く女。


 パトリシア・パイク・ビショップ。


 普段では見せないほど穏やかな笑顔だった。


 エレノアの瞳が揺れる。


「……パイク。」


 拳が静かに握られる。


「どうして。」


 ツボニールは映像を見つめたまま呟く。


「契約じゃ。」


「妾ではない。」


「別の者。」


 ミリアムが尋ねる。


「対価は?」


 沈黙。


 ツボニールは酒を飲み干した。


 グラスを置く。


「……命じゃ。」


 その一言だけが重く落ちた。


 エレノアの喉が小さく鳴る。


「場所は。」


 ツボニールは肩をすくめる。


「ただでは教えられぬ。」


 ミリアムは何も言わず席を立った。


 数分後。


 古びた一本の瓶を抱えて戻ってくる。


「祭祀用のヴィンテージウイスキーよ。」


「これなら?」


 ツボニールの目が輝く。


「ほう。」


「神酒ではないか。」


「話が早い。」


 指先で机を軽く叩く。


 コン。


 その音と共に宙へ地図が浮かび上がる。


 赤い光が一点を示す。


「ここじゃ。」


「メヒクトリ国境沿いの街。」


「まず向かえ。」


「その後、『砦の穴』へ。」


 エレノアが問う。


「理由は。」


 ツボニールは首を横へ振る。


「それ以上は干渉になる。」


 立ち上がる。


 背後の空間が、水面のように揺らいだ。


 異界への門。


 その前で振り返らず言う。


「エレノア。」


「その女とは相容れぬ。」


「避けられぬぞ。」


 一拍。


「闘え。」


「勝ち取れ。」


「闘うことでしか。」


「掴み取れん。」


 そのまま門へ歩き出す。


 そして何気ない口調で。


「では。」


「義弟のことを頼んだぞ。」


 ツボニールは笑いながら異界へ消えた。


 静寂。


 三人が固まる。


 最初に口を開いたのはエレノアだった。


「……今。」


「何て言った。」


 ミリアムがゆっくり頷く。


「聞こえたわ。」


 ジャンゴも肩をすくめる。


「俺にも聞こえた。」


 エレノアは真っ赤になった顔を両手で覆う。


「……義弟って。」


 重苦しかった執務室に、ほんの少しだけ力の抜けた空気が流れた。


 だが、その地図が示す先には――


 運命を賭けた、新たな追跡が待っていた。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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