第51話 リシア――自由へ飛べ
二頭の馬が、荒野を裂くように駆け抜ける。
砂煙が舞い上がる。
乾いた大地を、蹄が激しく叩いた。
その背後。
十騎。
武装した賞金稼ぎたちが、一直線に迫ってくる。
「待てぇぇぇぇ!!」
「黒髪を返せぇぇぇ!!」
「売れば大金だ!!」
「ヒャッハァァァ!!」
下卑た笑いが風に乗る。
先頭を走る圭介は振り返り、顔を引きつらせた。
「だから言ったよね!」
「盗むのはやめようって!」
その言葉に、前を走るパイクは肩を揺らして笑う。
「仕方ねぇだろ。」
「金がなかったんだから。」
「いや……」
「盗んだの、金だけじゃないよね?」
圭介の背中では、新しい背嚢が大きく揺れていた。
馬。
銃。
弾薬。
食料。
全部、眠っていた連中から失敬した品だ。
「人生で初めて、人の物を盗んだんだけど……」
圭介は情けなくため息をつく。
するとパイクが鼻で笑った。
「気にするな。」
「相手は奴隷商人だ。」
「盗まれる覚悟くらいしてる連中さ。」
後方から怒号が飛ぶ。
「その男を渡せぇぇ!!」
「黒髪は高く売れるんだ!!」
「捕まえたら全員で遊んでから売り飛ばすぞ!!」
「ぎゃあああああっ!!」
圭介の悲鳴が荒野に響いた。
「ほら見ろ!」
「やっぱり最低な奴らじゃないか!」
「だから言ったろ。」
パイクは笑う。
「盗んで正解だった。」
圭介は泣きそうな顔で馬腹を蹴る。
「もっと早く言ってよ!」
「説明してる暇があったら逃げる。」
「それもそうだけど!」
二人は笑いながら馬を飛ばした。
しかし。
数分後。
目の前の景色が途切れる。
断崖絶壁。
その下には、大河。
黒く深い水が、轟音を立てて流れていた。
二人は馬を止める。
崖際まで歩き、水面を見下ろす。
「……しまった。」
パイクが舌打ちする。
「行き止まりか。」
ライフルを構え、後方を見る。
「この先で国境を越えるつもりだったんだが。」
追手との距離は縮まる一方だった。
砂煙。
十騎。
あと数分。
圭介が頭をかく。
「飛び降りよう。」
「だめだ。」
即答だった。
「いや、でも――」
「ここで迎え撃つ。」
ライフルに弾を込める。
カチャン。
一本、圭介へ放った。
「撃て。」
「いやいや!」
「十人だよ?」
「隠れる場所もないし!」
「それに……」
パイクは嫌そうに川を見下ろいた。
「濡れるだろ。」
圭介は思わず吹き出す。
「いや、そこ?」
「飛び降りるんだよ!」
「橋もない!」
「馬じゃ追えない!」
「嫌だ。」
「なんで!」
パイクが勢いよく振り返る。
「泳げない!!」
一瞬。
沈黙。
そして。
「ぷっ……!」
圭介は腹を抱えて笑った。
「あははは!」
「それ!」
「サンダンス・キッドだよ!」
「誰だよ!」
「映画!」
「このあと二人で川へ飛び込むんだ!」
「死なないから!」
「だから誰なんだよ、それ!」
パイクは額に手を当てる。
「あぁぁぁ……!」
「最悪だ!」
「くそっ!」
追手はもう目前。
「逃げ場はないぞ!」
「観念しろ!」
銃声が響く。
乾いた音が崖へこだました。
圭介は静かに手を差し出す。
「パイク。」
「……?」
「溺れ死ぬなら。」
一拍。
「二人で一緒だ。」
パイクは目を見開く。
その笑顔は、恐怖ではなく信頼に満ちていた。
思わず息が止まる。
そして、小さく笑う。
「……リシアだ。」
「え?」
「二人きりの時は。」
「リシアって呼べ。」
少しだけ照れ臭そうに帽子の鍔を下げる。
「親父しか。」
「その名で呼ばなかった。」
沈黙。
「……特別なんだ。」
圭介は優しく笑った。
「うん。」
「リシア。」
その一言だけで。
胸の奥が熱くなる。
父が呼んでくれた名。
もう二度と聞けないと思っていた名。
それを。
今。
この男が呼んでくれた。
(ああ……)
(悪くねぇ。)
(もっと旅をして。)
(もっと笑って)
(もっと一緒に馬鹿をやりてぇ。)
でも。
(もし。)
(ここで死んでも。)
(この男となら。)
(それもいい。)
パイクは圭介の手を強く握る。
「よし。」
「飛ぶぞ。」
「うん!」
二人は助走をつける。
崖の縁を蹴った。
世界が反転する。
空。
崖。
荒野。
奴隷商人たちの驚いた顔。
「飛んだぞ!?」
「正気か、あいつら!」
「死ぬぞ!」
次の瞬間。
ザァァァァァァンッ!!
巨大な水柱が立ち上る。
冷たい水が全身を包む。
川底近くまで一気に沈む。
耳鳴り。
水圧。
鼻に水が入り、思わず顔をしかめる。
それでも。
二人の手だけは離れない。
しっかりと繋がっていた。
やがて水面へ浮かび上がる。
「ぷはっ!」
圭介が大きく息を吸う。
崖の上には。
奴隷商人たちが悔しそうにこちらを見下ろしていた。
「逃げられた!」
「ちくしょう!」
怒号は次第に遠ざかる。
濁流は二人を飲み込み、荒々しく下流へ運んでいく。
国境は、まだ見えない。
旅の終わりも、まだ遠い。
それでも。
二人は顔を見合わせた。
そして。
声を上げて笑った。
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