第50話 クロスロードの悪魔と五年分の命
「さて──」
ペストマスクの暗がりから射し込む視線が、まっすぐにパイクを射抜いた。
「お前の」
「心の渇きは……何だ?」
一拍。
荒野を渡る風すら止まったかのような沈黙。
パイクの額を、一筋の冷や汗が伝う。
圧倒的な威圧感。
ペストマスクの奥の瞳は、すべてを見透かしている。
「お前……何者だ……」
パイクは言い淀んだ。鳥の嘴の奥から、低くかすれた声が漏れ出す。
「パトリシア・パイク・ビショップ」
「なっ……」
「言え。」
「願望……ではない。」
「『渇き』だ」
「……」
「叶えてやる。」
「渇きがなければ、ここには辿り着けない」
ペストマスクの男は、首をゆっくりと横に振りながら、パイクが『それ』を口にするのを静かに待っていた。
「何を……言っている……っ!」
パイクは咄嗟に腰のガンベルトからリボルバーを抜き、男の額へ銃口を突き突き突きつけた。
「やめておけ」
男──モルデカイ・グレイブは微動だにしない。
「そんなもので、私は殺せない」
「どうかな!」
パイクが引き金を絞る。
──カチッ。
虚しい金属音が響いただけだった。
「なにっ……!?」
「これのことか?」
嘴からクスクスと乾いた笑いが漏れる。
モルデカイが左手をかざして拳を開くと、ジャラジャラと真鍮製の銃弾が砂の上にこぼれ落ちた。
「物騒だ。」
「やめておけと言ったろう。」
それの一部始終を見ていた圭介の顔から、血の気が引いていく。
(間違いない……)
(このシチュエーション、この空気……!)
「パイク……やめよう……!」
「 頼むから、何も口にしちゃダメだ!」
震える声で圭介が叫ぶ。
「ケースケ? どうした」
「ここ……『クロスロード』だ!」
「 僕の世界にも似た伝説がある……」
周りを見回す圭介。
「十字路で悪魔と契約すると、どんな願いも叶えてもらえる…… 」
「でも、代わりに……寿命を取られるんだ!」
それを聞いた瞬間。
パイクの凛とした顔が、わずかに揺れた。
そして──妖しく、愉悦に歪む。
(いいな……)
(人並みの……温かい幸せ)
(一瞬でも手に入るのなら──)
パイクの歪んだ心象風景に同調するように、さっきまでの快晴が嘘のように掻き消えた。
空を覆い尽くす漆黒の暗雲。
遠くで紫色の稲光が走り、腹に響く雷鳴が空を割る。
冷たい狂風が吹きたけ、パイクの髪を激しく揺らした。
「いい顔だ」
モルデカイが満足そうに呟く。
「寿命と引き換えに」
パイクの唇に、静かな笑みが浮かぶ。
「望みを、叶えてくれるのか」
「ああ……」
モルデカイは両手を広げた。
「それを望んでいるのだろう?」
顎で、パイクの横に立つ圭介を示す。
「でなければ、この十字路に迷い込めはしなかった。」
「お前の胸の奥にある……狂おしい渇きを知っている。」
「さあ、口にするがいい」
冷たい風が吹きすさぶ中、観念したように大きく息を吸い込んだ。
(全部……お見通しか)
覚悟を決めた瞳で、圭介を見据える。
「──私の横にいる、この男が欲しい」
「……っ!?」
圭介が目を見開く。
「ケースケと共に歩みたい。」
「それが、私の渇きだ」
モルデカイは静かに頷いた。
「よかろう。」
「お前たちの運命を繋いでやろう」
「本当か……」
「だが──その男は、別の女とも強く結ばれる運命にある」
雷鳴が轟く。
「かなり強力な因果だ。」
「しかも……お前とは決して相容れない女」
(エレノア……!)
パイクの脳裏に、あの金髪の最強ガンスリンガーの顔が浮かぶ。
「闘え」
「……」
「どちらかが死ぬまでな。」
「分かち合うことは出来ない。」
「最後に立っていた者だけが、その男の隣を歩む資格を得る」
モルデカイが低く告げる。
「代償は……寿命、五年」
パイクの瞳に迷いはなかった。
「それで……どれくらい、こいつと一緒にいられる」
「十年」
パイクは笑った。
儚く、だがどこまでも力強く。
「いいな……十年か。」
「それだけあれば十分だ」
「後悔はないか?」
「どうせ地獄行きだ。……契約するぞ」
「──では、契約成立だ」
「ぐっ……!?」
パイクの右手の甲に、灼熱の痛みが走る。
皮膚が焼き切れるような熱気とともに、長い羽飾りの黒い紋様がじんわりと浮き上がった。
ドドドドンッ!!
激しい閃光と雷鳴。
視界が真っ白に染まった、次の瞬間──。
モルデカイの姿は、影も形もなく消え去っていた。
さっきまでの暗雲が嘘のように晴れ渡り、荒野に穏やかな太陽の光が戻ってくる。
「……夢、だったのか……?」
呆然と呟くパイク。
だが、己の右手の甲を見つめ、息を飲んだ。
そこには、紛れもなく──黒い羽飾りの紋様が深く刻み込まれていた。
凝視するパイクと圭介。
「パイク……君は……」
「行こう、ケースケ」
パイクは何も言わず、まっすぐに伸びる十字路の先へと歩き出した。
……はるか後方。
大きなつば広帽子をかぶったペストマスクの男が、去り行く二人の背中を静かに見送っていた。
「最後まで立っているのは」
「どちらだ」
鳥の嘴の奥から、深く、恐ろしい笑みがこぼれ落ちていた。
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