第32話 君と踊る夜
陽気なフィドルの音色が、祭り会場いっぱいに響き渡る。
司会者が帽子を高く掲げた。
「さあ、みんな! ダンスの時間だ!」
歓声。
「準備はいいかー!」
「「おおおおっ!!」」
待ってましたと言わんばかりに、人々が中央の広場へ集まっていく。
老若男女。
子どもも、大人も。
恋人も、夫婦も。
誰もが笑顔だった。
エレノアはその光景を眺め、小さく笑う。
「……行くぜ」
隣を見る。
圭介も笑って頷いた。
「うん」
二人は手をつないだまま、人の輪へ入っていく。
軽快なリズム。
手拍子。
ブーツが地面を鳴らす。
右へ。
左へ。
前へ。
後ろへ。
くるり、と回る。
圭介は慌てて一拍遅れる。
「あっ」
思わず苦笑い。
エレノアは吹き出しそうになりながら、ほんの少し肩を寄せた。
(こっちだ)
目だけで合図する。
圭介はすぐに気付く。
(こう?)
小さく頷くエレノア。
(そうだ)
また一歩。
また一歩。
少しずつ。
本当に少しずつ。
二人の動きが重なっていく。
目が合う。
笑う。
また目が合う。
言葉はいらない。
音楽だけで十分だった。
息が合う。
足が揃う。
手拍子も同じタイミングになる。
(その調子だ)
圭介も笑う。
(ありがとう)
伝わる。
何も言わなくても。
それが嬉しかった。
くるり。
回る。
笑う。
また回る。
祭りの歓声も。
音楽も。
全部が心地いい。
(ああ……)
胸が熱くなる。
(俺が)
(男と踊ってる)
去年までなら信じなかった。
恋人たちを横目に酒をあおり、
「くだらねぇ」
そう吐き捨てていた自分。
なのに今は違う。
輪の真ん中で。
一番大切な人と笑っている。
涙が出そうになる。
幸せだった。
胸がいっぱいだった。
まるで世界中が、
二人を祝福してくれているようだった。
曲が終わる。
大きな拍手。
だが司会者は、まだ終わらせない。
「よーし!」
帽子を振り回しながら叫ぶ。
「ここからは!」
一拍置く。
「カップルタイムだ!」
歓声が一段と大きくなる。
軽快だった演奏が静かに変わる。
アコースティックギター。
フィドル。
優しいリズム。
ゆったりと流れるクラシック・カントリー。
祭りの空気が少しだけ甘くなる。
圭介が照れ笑いを浮かべた。
「うまく踊れないけど……」
そっと右手を差し出す。
「一緒に踊ってくれる?」
エレノアは、その手を見つめる。
少しだけ照れて。
少しだけ笑って。
「ああ」
その手を握った。
二人は向かい合う。
一歩。
また一歩。
ゆっくり。
本当にゆっくり。
音楽に身を預ける。
近い。
互いの体温が伝わる。
呼吸も。
鼓動も。
全部聞こえそうな距離。
目が合う。
笑う。
また目が合う。
照れる。
エレノアは帽子のつばを少しだけ下げた。
「どうしたの?」
「……見るな」
「なんで?」
「照れるだろ」
圭介は思わず吹き出す。
「かわいい」
「ば、馬鹿」
頬が熱い。
耳まで赤くなる。
それでも今日は嫌じゃなかった。
音楽が流れる。
ゆっくり。
ゆっくり。
圭介がそっと距離を縮める。
エレノアも逃げない。
目を閉じる。
二人の唇が、ほんの一瞬だけ重なった。
長くはない。
祭りの喧騒の中に溶けるような、小さな口づけ。
再び目を開く。
どちらからともなく笑ってしまう。
「……へへ」
「笑うなよ」
「だって」
「俺も笑っちまうだろ」
また笑う。
またステップを踏む。
右。
左。
少し踏み外す。
「あっ」
「違う違う」
「難しいね」
「だな」
二人とも、踊りは上手くない。
それでもいい。
失敗しても笑える。
一緒だから。
それだけで楽しかった。
エレノアは夜空を見上げる。
(こんな日が)
(俺にも来るなんて)
恋人と笑って。
恋人と踊って。
恋人と同じ音楽を聴く。
それは、賞金稼ぎとして生きてきた彼女が、一度も夢見ることさえできなかった時間だった。
胸の奥から幸せがあふれる。
自然と口元が緩む。
(今日が)
(今まで生きてきた中で)
(一番幸せな日だ)
音楽は、まだ終わらない。
二人のステップも、まだ終わらない。
祭りの夜は、優しく続いていく。
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