第31話 君と歩く、初めての休日
恋人になって、初めての休日。
エレノア・ウエストウッドは、朝から落ち着かなかった。
鏡を見る。
帽子をかぶる。
外す。
髪を手ぐしで整える。
「……これでいいのか」
数秒後。
「いや、違うな」
また帽子をかぶり直す。
ため息。
「俺、何やってんだ……」
賞金首を追う朝でも、こんなに緊張したことはない。
銃を抜くより難しい。
恋人との初めての休日なんて、誰も教えてくれなかった。
「エル、準備できた?」
扉の向こうから圭介の声。
「あ、ああ! 今行く!」
慌てて帽子を深くかぶる。
深呼吸を一つ。
(落ち着け)
(ただの祭りだ)
(……いや、ただじゃねぇ)
恋人との祭りだ。
◇
ロス・パソスの祭り。
去年。
エレノアはサルーンの仕事帰りに酒を飲みながら、楽しそうに歩く恋人たちを眺めていた。
(くだらねぇ)
そう吐き捨てながら。
今年。
その真ん中を歩いている。
恋人と。
しかも、恋人つなぎで。
圭介の手は少しだけ温かい。
その温もりが伝わるたび、胸がくすぐったくなる。
「あれ、食べようよ」
圭介が屋台を指差す。
「ああ」
焼きたての串肉を一本買う。
「半分こね」
「おう」
一口。
二口。
「おいしい?」
「……ああ」
そう答えたものの、味なんて覚えていなかった。
胸がいっぱいで、それどころじゃない。
祭りの会場は、今日も大勢の人で賑わっていた。
色鮮やかな旗が風に揺れ、
陽気なカントリーミュージックが街中に響く。
子どもたちは駆け回り、
恋人たちは肩を寄せ合って笑っている。
(信じられねぇ)
去年まで、あの光景を遠くから見ていた。
羨ましいとも認めず、
酒で誤魔化していた。
なのに今は――。
(俺が、あっち側にいる)
隣には圭介。
誰よりも優しく笑う男。
ふと視線を向けると、圭介もこちらを見ていた。
目が合う。
にこり、と笑う。
その笑顔だけで、胸が熱くなる。
(祭りって、こんなに楽しかったのか)
もし去年の自分に会えるなら言ってやりたい。
心配するな。
もうすぐ、お前は運命の人と出会う。
そして、一緒に笑って祭りを歩く。
そんな未来が待ってるぞ、と。
◇
「始まるよ!」
二人が足を止めた先では、ロデオ大会が始まっていた。
若いカウガールが荒ぶる牛にまたがる。
「頑張れ!」
思わず身を乗り出す圭介。
エレノアも拳を握る。
「行けっ!」
数秒。
必死に耐えたカウガールだったが――。
次の瞬間。
勢いよく振り落とされた。
「「ああーっ!」」
二人の声が見事に重なる。
一瞬顔を見合わせると、どちらからともなく吹き出した。
「息ぴったりだね」
「……そうみてぇだな」
照れくさそうに帽子のつばを下げるエレノア。
そんな仕草すら、圭介には愛おしかった。
続いて向かったのは蹄鉄投げ。
「見てろよ」
エレノアが腕を回す。
ひゅっと放たれた蹄鉄は、大きな弧を描き――
軽やかな音を立てて杭へとはまった。
――カラン。
「よっしゃ!」
圭介が子どものように拳を突き上げる。
「すごいよ、エル!」
「これくらい朝飯前だ」
そう言いながらも、褒められたことが少し嬉しい。
口元が緩む。
二人は笑いながら屋台通りを歩いていく。
祭りの喧騒。
音楽。
笑い声。
そんな中、一軒の店の前でエレノアの足が止まった。
古い木造の建物。
窓には何枚もの肖像写真。
看板には大きく、
《写真館》
と書かれている。
「……」
エレノアは、その写真をじっと見つめた。
夫婦。
親子。
家族。
みんな嬉しそうに笑っている。
(一緒に写真か……)
胸が少しだけ熱くなる。
(でも)
視線が自然と自分へ落ちた。
(俺なんかと撮っても……)
帽子のつばを少し下げる。
(似合わねぇよな)
小さく息を吐き、そのまま歩き出そうとした。
その時だった。
「エル」
圭介が立ち止まっていた。
「ん?」
「写真」
一歩近づく。
「撮ろう」
エレノアが瞬きをする。
「……え?」
圭介は照れくさそうに笑った。
「エルと」
一瞬、言葉が出なかった。
胸の奥がじんわり熱くなる。
「……俺と?」
「うん」
迷いのない笑顔だった。
「エルと撮りたい」
その一言だけで十分だった。
「あ……ああ」
帽子を深くかぶり直す。
照れ隠しだった。
それでも頬が熱いのは隠せない。
「じゃ、入ろう」
「お、おう」
二人は写真館の扉をくぐった。
◇
店の奥には大きな木製の椅子。
白い背景布。
年代物の大きなカメラが静かに据えられている。
写真師が穏やかに微笑んだ。
「こちらへどうぞ」
圭介は椅子へ腰掛ける。
エレノアはその後ろへ。
少しだけ緊張して立つ。
「肩の力を抜いてください」
「はい」
「もう少しだけ笑って」
二人は顔を見合わせる。
自然と笑みがこぼれた。
「そのまま」
写真師が黒布をかぶる。
「動かないでください」
「一つ」
静寂。
「二つ」
祭りの喧騒が遠く聞こえる。
「三つ」
閃光。
白い煙がふわりと立ちのぼった。
撮影は終わった。
◇
しばらく待つと、写真師が一枚の写真を丁寧に差し出す。
「お待たせしました」
エレノアは両手で受け取る。
「……」
何も言わない。
写真を見る。
もう一度見る。
また見る。
祭りの笑顔。
少し照れた圭介。
帽子を深くかぶった自分。
二人が同じ一枚の中で笑っていた。
世界で、たった一枚。
複製できない。
この瞬間は、二度と戻らない。
「いい写真だね」
圭介が隣で微笑む。
「ああ……」
エレノアは小さく頷いた。
「家に飾ろうか」
その言葉に、胸が締めつけられる。
家。
二人で帰る場所。
二人で暮らす場所。
自然と笑みがこぼれた。
「ああ」
写真を胸に抱き寄せる。
少しだけ名残惜しそうに見つめてから、傷まないよう丁寧に革のバッグへしまう。
賞金よりも。
銃よりも。
今、この一枚が何より大切だった。
「行こう、エル」
圭介が手を差し出す。
エレノアはその手を握る。
「ああ」
二人は恋人つなぎのまま、祭りの喧騒の中へ歩き出す。
音楽が流れ。
笑い声が響く。
バッグの中には、一枚の写真。
今日という幸せを閉じ込めた、二人だけの宝物だった。
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